2週間前の日記(海賊船でのこと)
エイリアンハンド症候群(Alien hand syndrome)とは、自己の意思あるいは意図とは無関係に上肢が動作するなどの運動障害である。 「他人の手症候群」とも呼ばれる。 道具の強迫的使用や両手間の対立が認められるとされている。(エイリアンハンド症候群 - Wikipedia)
もはや観劇もエイリアンの意志で座っているのかなとも思ってしまうほど。
何をどう書こうか。むしろ書かない方がいいのかもしれない秘密の話だった気もする。だからこそ口承した方が良い気もする。そういう話だった気がする。
そもそも、このご時世にマウスシールドもなく(そういうお芝居はすでにたくさんある)、密な席でカクテルを飲みながら(芝居中は客席マスク必須でとても飲めるような状況にはなかったが)、至近距離でのお芝居。アクリル板が設置してあるとはいえ、相当危うい空間だった。そうなってくると、演る方も演る方だが観る方も観る方だ。舞台演劇などでよく言われる『演者と客の「共犯関係」』が物理的に行われていたように思う。
えび美味しい。
オリジナルカクテルは『「没入感」を味わえる』と勧められた。
西田さんの作品は前半なにが起こってるのかよくわからず、どういう話かもわからず、途中入る無茶ぶりやら日替わりアドリブやらで伸びていく時間が過ぎたと思ったら、後半怒涛の巻き返しで線が繋がる。このリズム感があるから、冒頭から誰が何を発しているのか伏線を一つも漏らすまいと観劇しながら必死に思考を張り巡らせる。特に今回は一回しか観ないから余計に。
そういう風に真剣に観入るわたしたちを尻目に谷口さん演じる男が「どういう状況なのか必死に考えて座っている(セリフは全然覚えてないけどこういうことを言っていた)」という。してやられた、と思った。紛れもなく、私たちはどういう状況なのか必死に考えて座っている人たちだ。これが没入感と言わずなんと言うか、西田さんのどや顔が見えた。
滅びた(かもしれない)世界、隔離された空間、何故ここにいるのかわからない人々、記憶を全てなくした登場人物たち。インパクトだけで世界を制する宮下雄也さん。客席からの吐息ひとつ影響しそうな物語。を、一つも漏らすまいと観劇しながら必死に思考を張り巡らせてたつもりだけど近すぎてわけわからん。ちょっとでも気を抜くと、きたむ頭がちいせえとかすずきしょうごの怒声を聞きながらこんな角度で耳の裏を見ることもないだろうとか煩悩100008みたいになった。とにかく全員声が良いので懐かしの脳内メーカーしたら「声が良い」一色になってた。ひげを生やしたいかついおじさんたちの目から涙が落ちる瞬間が肉眼で見れることもそんなにないし…。
めちゃくちゃレア体験だし、蜜蜜な空間での舞台浴びたっ!って感じかなり久しぶりだったので震えた。感染防止用のアクリル板を使って泣き叫ぶ様子も攻撃は最大の防御だった。強い。
当然、このコロナ禍における状況を模して創られた話だとは思っていたけれど不意打ちで3.11の津波を持ってくるのは精神的にきつかったしちょっとな~と思った。
あと、前向きな希望の話ではあるんだけど、わたしはずっと生きてるって信じていなきゃいけないことがしんどくなって消耗してしまうという激弱な側面があるので(生きててなんぼだし、楽しく生きてて欲しい気持ちは本当だけど、酷くつらい生き方をしてるんではないかの方を考えてしまうので)個人的な諸々と重なりちょっと落ち込んでしまった。が、まあ、そんな個人の些細な感情をぐっちゃぐちゃにしてくれる圧!気持ち良いです。完全にトバしてくれる話の良さ。みんなかっこよかった。とにかく良子さんが幸せならそれでよいしもう大好きだった。西田さんの書いたものを演じる良子さんの役は強くて脆くて優しくて本当に大好きだし見てるだけで心がぎゅっとなって泣けてくる。素で話したときも(チェキ撮った)めちゃくちゃ優しかったから泣きそうだったけど。
宮下さんがカテコでくそみたいな世の中で舞台に立つ以外できないからっていう旨のことを言っててやっぱりそういう所が1番胸が詰まった。誰もが言ってるし思ってると思うけど、そのことが死ぬほど切実に感じる役者が好きなんだよね、やっぱり。無責任な話だけど、好きな役者みんな板の上で死んで欲しいなーって思うもんね。(死んで欲しくないです)おわり
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