(愛おしき)ヴァンパイアの時代

わたしミュージカル観るの下手かもしれない。なんか歌うたってると、歌…うま……で止まっちゃうのもあるし、歌詞を文章として読解する力がないので深読みできないのが大きい。「日本語は世界一歌いにくい言語」と加藤さん西川さんが仰っていて、な、なるほどそれでか……!と思うことにしました。あと海外産ミュージカルは共通言語があんまりなくて取っ掛りを得るまでに終わってたりする。これがこの国この時代の常識とか、教科書には書かれないけどこのアイテムはこういう意味を示唆しているとか。
そういう意味では愛ボクがやろうとしている'日本オリジナル'ってめちゃくちゃ見易くて、西川さんと同世代のこともあって共通言語が同じなのでわかりやすくて、個人的にはわかり易すぎかな?!っておもったりするあたりは日々ブラッシュアップしてるんだろうなとおもいましたし。
見終わった時のなんかちょっと幸せな気持ちのあとに、客出しBGMでシュガーベイブのダウンタウンが掛かったときに、一気にさっきの物語が自分の中にあるものみたいになる不思議な感覚があって、当事者意識みたいなものが生まれてわくわくドキドキした。
こういう個人の記憶とリンクさせるようなポイントを沢山つくってるのがわかるし、トリガーになるところは人それぞれだけど日本で暮らしてたらぜったいにどれかに引っかかるな〜という作りが頭いいなとおもいました。ただ、現代の表現ってどうしてもコンセプト命だし、コンセプチュアル・アートはすてきでそれならそれで良いんだけど、それ以上のなにかを得たい気持ちがあるのが伝わるからこそ舞台上で見つけられなかったかなー。敢えて言うなら。テーマが広すぎるから表面上掬ってもなんだかなーと思った。めちゃくちゃ面白かったし!万人におすすめだし!本当にただ単にわたしは何かに固執して気が狂いそうなものの方がすきだから…(物語がではなく…)(忖度しない感想の方が嬉しいかなと思って)

ミュージカル、観方が下手なだけ大筋を理解できないわけでもなし、歌うま〜セット豪華〜かわい〜かっこいい〜とんちゃんの縮尺おかしい〜とかでじゅうぶん楽しめるので無問題ですけど、おそらく一二分には楽しめてないなと思うと悔しい気持ちになる…。目の前に異国のひとがいて、そのひとと上手くおしゃべりできない。そのひとの母国語を学習してないから当たり前なんだけど、じゃあ勉強すればいいじゃんっていう。言うけどさー。
美術が学問か否かみたいなことがこの前なんか話題になってた気がする(定期的に話題にはなっている)。わたしは美術を学問として観てるというか、美術、絵画1つとってみても色んな側面があって、歴史を知ってたら誰がなんでこういう色でこういう形状でこういうテーマで描いたのか、だから価値がある、とか。単純に金持ちだから現代まで残るような絵の具で描けたということが価値とか。この時代のこの地域では赤土が取れるから全体的に絵が茶色いとかいう画材オタク的な側面から考えるのもたのしいし。楽しみ方は人それぞれだけど、おべんきょうしてるとどう楽しむかっていうのが拡がる気がする。それが教養……当たり前のことを言ってしまった。頭悪いから覚えられないんだけどね…。学術的な'正しさ'に囚われすぎて楽しめなかったり憤怒するのもあるけど…。かと言って机に座って教科書読んでもわからないから舞台を観るのが一理一番。池田屋事件が起きたのが2階の部屋で…とか知ってたらBSP新選組の池田屋シーンで階段登ってるのそういうことか!とかなるじゃないですか。そんなかんじで、ただサラは自分の美貌と若い女という価値を持て余しているから危険なものに惹かれるというくらいで吸血鬼の誘惑の術〈テンプテーション〉に掛かりやすいのかな〜とぼんやり思ってたけど、そもそもサラの方が…とか。店主が浮気してる意味わかんないんだけど、あのマグダという最高に美しい女を出したいだけなのか?とか思ってたら、マグダラのマリアからのシャガールの死と復活だとか。勉強になります。朝のシーンにクラシックの朝に似せた曲を…とか…お手上げすぎ…。すごい…。愛ボクで夕焼け小焼けが伴奏に組み込まれていて、これならわかる〜!って思った。こういう細かいとこ知ったりするのが楽しいんだよなとおもった(劇見てる時にわかるか、見終わった時に学ぶかにあんまり違いはないのでどちらが良いという話ではないです)。わたしは知りたいタイプの人間だから。(愛ボクは最終的に真っ直ぐ夕焼け小焼けを歌って正解を出していたけども…)
ダンスオブヴァンパイアの話の流れいまいちトンチキ!とおもったけど(トンチキなとこはトンチキだとおもう)、暗喩いっぱいありますっていう塩梅が何度観てもたのしいし知れば知るほどカオスさを増していくから心をざわめくのか。

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