『お金』と『ブランディング』
おはようございます。
さて。
今日は「今あらためて『信じる』を考える」という変なテーマでお話ししたいと思います。
テーマはヘンテコリンですが、今、全てのサービス提供者さんが向き合わなきゃいけない問題だと思うので、ご自身のサービスと照らし合わせながら話を聞いていただけると嬉しいです。
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▼ 「お金」という共同幻想
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僕はミヒャエル・エンデという作家が好きなのですが、彼が晩年、問い続けたのは「お金って何だろう?」という問題です。
自由を追い求めると、必ず「お金」の壁にブチ当たります。 人間が生活の自由度を上げる為に開発した「お金」によって、人間の生活は縛られています。
「お金」なんて、もともと存在しなかったものなのに、手元から無くなった瞬間に、絶望し、命を絶つ人もいます。
なんだか難しい話になっていきそうなので、ここらで止めておきますが……どうやら「お金」というものが、人類にとって、ものすごい発明であったことは間違いなさそうです。
ミヒャエル・エンデにハマると、まもなく、シルビオ・ゲゼルというドイツの経済学者に辿り着きます。 立派な髭をたくわえたオジサンです。
彼の活動を追うと「お金の正体」がよく見えてきます。
「お金」というのは実に不思議な存在です。
昔は、あの紙切れを「金匠(銀行みたいなとこ)」に持っていったら、実際に『金』と交換してくれたらしいのですが、今は、交換してくれません。
本当の本当の本当に、「ただの紙切れ」でしかないんです。 国が、「この紙切れには、1万円の価値があるから!マジで!信じて!」と懇願し、皆が真に受けて信じちゃったから、あの紙切れに『1万円』の価値が発生しています。
なもんで、信じられなくなったら、1万円札は、ウンコが付いたトイレットペーパーと何ら変わりません。
あの紙切れを「お金」とするには、皆に「これは、ただの紙切れじゃないぞ!お金だぞ!価値があるぞ!」を信じこませる為の条件が必要になってきます。
まずは、『保存ができる』『交換ができる』『価値のモノサシになる』の機能が搭載されていないといけません。
すぐに腐ってしまうサンマを持ってきて「これは、お金だ!一万円魚だ!」と言っても、誰も信じてくれないんですね。
次に、「数量」の問題もあります。
1万円札を刷りまくって、バラ撒きすぎてしまって、その辺に一万円札が落ちている状態になってしまったら、誰もその一万円札に「1万円の価値がある」とは思わなくなる。
ここまでの話を整理すると……
・ただの紙切れであろうが、皆が信じたら「一万円」になる
・しかし、皆に信じてもらうには、いくつか条件がある
といったところです。
そんなこんなで、今日の本題です。
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▼ イチゴをどう売るか?
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