『神話』ができるまで


おはようございます。


さて。

日曜日の今日は仕事の話ではなく、最近、僕が興味を持っている『神話』を題材に、『「神話」が生まれるまで』というテーマでお話ししたいと思います。

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▼ 当時の人は、どう見たか?
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僕は新潟県出身で、専門学校時代はリゾートスポーツの学校に行っていたのですが(#ほぼ筋トレとマッサージとサーフィンとスノーボードしかしてない)、冬になると地元のスキー場に三ヶ月くらい(もっとかな)籠るんです。

#雪山のコテージでサバイバル

近所のコンビニをウロつく格好(サンダル、ジャージ、はんてん!)で雪山をうろうろしたりして、そこそこ死にかけたのですが(でも楽しい)、おかげで良い景色&良い発見に出会えました。

この時期の雪山の山頂(ゴンドラで登るよ)では、「スノーモンスター」と呼ばれる樹氷を見ることができます。


モコモコの巨大なモンスターみたいで、とっても可愛いです。


世界的にも珍しい「樹氷」ですが、コイツが生まれるには、以下の条件を満たさなければなりません↓

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1.常に一定方向からの強風により多量の過冷却水滴と雪が運ばれること。

2.雪がつきにくい落葉広葉樹ではなく、常緑針葉樹が自生していること。

3.木々が埋没しない程度に積雪が適量であること。


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「どの雪山でも見れる」というわけではないんですね。


ここで気になるのが、このことを知らない当時の人達は、この「樹氷」をどう見たのか?という点です。


現在、僕らが「樹氷」を“自然環境が作り出した芸術”として捉えられるのは、科学を獲得したからであって、当時の人達は、本当に「スノーモンスター」として捉えていたかもしれません。


ここからが本題です。


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▼ 神話とは「納得解」である
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一時期、世界中の『神話』について、集中して勉強してみた時期がありました。


面白いのが、「世界各地で『同じような神話』が生まれている」という点です。

「○○地方から伝わった」というパターンもありますが、当時の人類の機動力と情報網を鑑みると、「伝わった」では片付けられないケースがあったりします。


つまり、「別々の地域で同時多発的に『同じような神話』が生まれている」というケースです。


これは一体、どういうことなのでしょうか?

関連書籍を2冊読んだだけの中年がドヤ顔で語らせていただくと…まずは『万物には動機(存在理由)がある』という大前提から話を始めるとイイかもしれません。

たとえば、 「噴火」にしても、「津波」にしても、【原因】があるわけで、

「雨」も「雪」も、そして「樹氷」も、存在している【理由】があります。

これらは、「自然(あるいは地球)の動機・事情」と置き換えることができると思うのですが、僕らがそう考えられるようになったのは、科学が出回ってからで、当時は、「動機」というのは「人間(動物)のもの」と考えられていた。

そして人類は、常に、納得したがっています。

「なぜ、山が噴火したのか?」「なぜ、そこに大きな石があるのか?」その説明を常に欲している。


近代は、その説明を「科学」が担当してくれていますが、当時は、自分達で“説明を創造する”しかなかった。

その結果、巨石や巨木や自然災害などを「擬人化」し、そこで擬人化された者の「意思」によって、それらが存在している…とした。



『神話』というのは科学を持ち合わせていなかった人類の仮説であり、皆が「おお!たしかに、それっぽいね!」と口を揃えて言った『納得解』が残ったので、世界各地で同じような神話が生まれているのでは?…というのが今のところの着地点です。


「正解」と「納得解」は違います。


身近な例でいうと、「アイツは金の亡者だから、金持ちなんだ」というのは、僕が知る限りでは「正解」ではなくて、お金を持っていない人の「納得解」です。


僕が知っている「お金持ち」の人達は、

とにかく紳士的で、

努力家で、

ギバーで、

「金の亡者」とは真逆のイメージです。


ただ、それでは納得がいかない人達がいる。

その人達は、「俺は、ズルいことはしないし、金の亡者じゃないから、貧乏なんだ」という納得解を出して、自分の気持ちを整理する。

ネガティブな解ではありますが、実に創造的です。


神話もこれに近い。

#もう少し前向きだけども


いろいろと調べてみると、「人類が生き残る為に『神話』を生む必要があった」というのは、どうやら後付けっぽいです。

むしろ、宗教的衝動(納得解)は資源やエネルギーを浪費するので不利に働くそうです。


なので、神話の創造は、そんな合理的な話ではなく(※途中からは合理的に進められたかも!)、最初は、もっともっとシンプルで、「納得したい」「説明が欲しい」という子供のような感情(なんで?なんで?)から始まっているみたいです。


つまり大喜利ですね。

「あの山が正三角形なのは、なぜ?」といった。

そう考えると、目につくもの(大きなもの)から大喜利が始まりますから、時代を遡れば遡るほど、大きなテーマを扱うことになる。

科学(正解)も無いし、大喜利で扱うテーマは物理的に大きい。

『巨人』を作り出すには、おあつらえ向きな時代だったでしょう。


Googleで正解を検索できてしまう時代に『巨人』を生み出すのは、なかなか難しい。


『神話』のことを調べれば調べるほど、「この島は、マウイさんが海の底から釣り上げて誕生したんじゃね?」「おお、それっぽ〜い!」と言っていた人達が愛おしく見えてきて、個人的には、そっちの作業の方が創造的で好きだなぁと思わされます。


現代、僕らは科学という「正解」を避けては生きられません。

おかげで、神話(ファンタジー)の役割は、ずいぶん小さくなりました。


ですが、


元を辿れば、僕らは「納得したい生き物」ですので、「正解」とは違う「納得解」の出番も少しはあるかもしれませんね。


今日もありがとう!


じゃ


またね。


#阿部の業連
https://avenogyo-ren.blogspot.com/

阿部

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