最近の月と冥王星における見解
初めて占星術にハマったきっかけが、月冥王星合という言葉を知ったことでした。
当時は、いろんなサイトや、松村潔先生のさまざまな本を読んで、なんだか人とは違う特別ですごいものという印象で、優越感や納得感を持って興奮していた記憶がある。思春期みたいにね笑
特に、親との関係性や、人間関係における感情の深さや、情緒不安定さなどに特に共感していた気がする。要するに自分の苦しみや孤独感に同情したかったしされたかったのである。
後に、マドモアゼル・愛先生の月の欠損を知り、こんなに月にこだわっていては本末転倒なのでは?これこそ月に囚われるということなのでは?と思うように。
月は、認識や自覚をしやすいため、意識してしまいがち。
しかし、クニカワチ先生の古典占星術やインド占星術や、海外のサイトの翻訳を勉強し始めると、そもそもつい最近まで天体は土星までで、トランスサタニアンは見つかってからそんなに経っていないためまだエレメントなどが決まっていない始末。
古典占星術ではトランスサタニアンは一切関係なく、それでも当たるのです。
しかも、蠍座のルーラーは冥王星と言われていますが、古典のまままだ火星もルーラーですし、魚座のルーラーだって、海王星だけでなくまだ木星も残っています。水瓶座だって、天王星だけでなく、ルーラー土星の概念はまだ残っています。
つまり何が言いたいのかというと、トランスサタニアンは確かに影響はあるけれども、ホロスコープの中での優先順位は言うほど高くないのでは?と言うことである。ハウスへの影響は結構ありそうではあるが。
ましてや私の場合は月のアスペクトである。
人生は太陽やドラゴンヘッドを輝かせてこそ。在惑星のルーラーシップで何を目的にしているのかを知ってこそ。
結論。いけだ笑み先生や、ミカミポーラ先生の言う通り、月冥王星合の女性は少し我慢強いくらい。強いて言うならば、自分の感受性の深さをコントロールして、自分の心に振り回されないことを覚えることくらいである。月にそんな大層な使命や宿命はない。
あったとしても自分で癒すか、過去の記憶や、肉体の意味がそこに刻まれているくらいである。
最近は本当に、自分の月冥王星には興味ないし、自己理解が進んで納得しているから、月もおとなしいのである。
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