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アカデミー映画博物館② Stories Of Cinema❷ 授賞式の歴史をたどるコーナー

オスカー像が並ぶコーナーを抜けると、次はアカデミー賞授賞式の歴史をたどるコーナーです。

部屋の両壁に細長いモニターがあり、時代を印象づけるようなスピーチが絶え間なく流されています
「ハート・ロッカー」で作品賞、そして女性で史上初の監督賞をとったキャスリン・ビグロー
「シェイプ・オブ・ウォーター」で作品賞などをとったメキシコ出身のギレルモ・デル・トロ監督、
「チョコレート」でアフリカ系として初めて主演女優賞をとったハル・ベリー、
トランスジェンダーの女優ダニエラ・ベガが主演した「ナチュラル・ウーマン」で外国語映画賞をとったチリのセバスチャン・レリオ監督、
「バベル」で音楽賞をとったグスターボ・サンタオラヤなどが登場します

アカデミー賞を主催する米映画芸術科学アカデミーが誇るアーカイブの凄さを見せつけられた気持ちです

マーロン・ブランド(!)主演の「サヨナラ」で、1958年にアジア系として初めてのオスカー受賞となる助演女優賞を得た日本出身のミヨシ・ウメキのスピーチもありました。戦後の神戸を舞台にした、米国人兵士と日本人女性の悲恋の物語です。
ミヨシは受賞を全く予想しなていなかったようで、驚きを隠せないままスピーチをしています。なんと、この映画がスクリーンデビューだったとか。

私はこの展示をみるまで、ミヨシ・ウメキのことをほぼ知りませんでした。

1929年に北海道小樽市で生まれ、戦後に東京で進駐軍相手にジャズ歌手としてデビュー。日本では「ナンシー梅木」という芸名で活動したそうです

IMDb では「演じた役は、謙虚で従順で繊細というステレオタイプ的な女性像だったが、彼女の魅力はそれを上回るものだった」と評されています。

部屋の中におかれた巨大な台には、アカデミー賞の歴史が時系列で紹介されています。1958年は助演賞に初めてアジア系がノミネートされており、ミヨシの他に、サイレント映画期からハリウッドで活躍していた早川雪洲が男優賞に。ですが、その年の助演男優賞は、「サヨナラ」の男優レッド・バトンが獲得しました。
ミヨシとレッド・バトンズが喜んでいる(ように見せている)写真とともに、早川雪洲の業績についても説明がありましt。

ミヨシのように、一般に広く知られていない受賞者の紹介は他にもありました。

例えば、2016年、パキスタンで実際に起きた少女への名誉殺人事件を告発した「ア・ガール・イン・ザ・リバー:ザ・プライス・オブ・フォーギブネス」で、短編ドキュメンタリー賞を受賞したシャルミーン・オベイドチノイ監督です。駆け落ちしたカップルを助けたという罪で、殺された少女について追っています。

5年ほど前に、受賞者が白人男性に偏る傾向を「#OscarsSoWhite(白すぎるオスカー)」と糾弾したハッシュタグが話題になりました。そもそも、ハリウッドの歴史は白人男性だけで作られたのではありません。

授賞式の歴史のどの場面を切り取るか。そこにアカデミー映画博物館の意気込みを感じました。

例えば、

「風とともに去りぬ」で、1940年、アフリカ系として初めてオスカーを得たハティ・マクダニエル。当時、黒人が演じる役はとても限られていたなかで、彼女は主人公スカーレット(ビビアン・リー)の召使い(マミー)役として出演し、ステレオタイプ化された黒人女性を演じました。
展示の説明では、「この映画は南北戦争時代の南部をロマンチックに描き、奴隷制度の酷さから目を背けた」とあります。
 差別は授賞式でも。マクダニエルは、白人の出演者たちと同じテーブルにつくことは許されまでせんでした。

彼女が震える声で
“My heart is too full to tell you just how I feel” 
とスピーチした映像も流れています。

男優で忘れてはいけないのが、
アフリカ系として初めて主演男優賞を得たシドニー・ポワチエ(1964年「野のユリ)。フェデリコ・フェリーニ監督やリタ・モレノなどのスピーチ映像もあります。

1952年、「羅生門」が名誉賞(外国語映画賞)を獲得した際の写真も。
金獅子賞を獲得したベネチア映画祭同様、黒沢明監督ら関係者が誰も出席していなかった。代理で参席した日本総領事館の吉田健一郎が、フランス出身のレスリー・キャロンからオスカー像を受け取った。が、その説明はない。

1973年、「ゴッド・ファーザー」で主演男優賞を受賞予定だったマーロン・ブランドが、映画やテレビ業界におけるネイティブアメリカンへの差別的な扱いに反発し、授賞式をボイコットしました。彼の代わりに登壇したのが、ネイティブアメリカンの若き活動家サーチン・リトルフェザー。ブーイングと拍手の双方が飛び交う中で、マーロンの代読役としての役割を果たしました。

他にも、1985年、同性愛(ゲイ)がテーマの映画として最初にアカデミー(長編ドキュメンタリー賞)を得た「ハーヴェイ・ミルク」。監督は長年のパートナーである男性とともに感謝を述べたそうです。


2002年は、主演男優と主演女優賞の両方をアフリカ系米国人が獲得した初の年でした。男優賞はデンセル・ワシントン、女優賞は「チョコレート(Monster's Ball)」のハル・ベリーです。ハル・ベリーは「今夜、ドアが開かれた」とスピーチしたと記録されています(映像も流れています)

1929年にスタートしたアカデミー賞の歴史を負の側面も踏まえて、きちんと紹介しています。スピーチ映像を見て、この歴史を年代順で辿っていくだけで、1時間以上かかりそうです。


写真は、2019年にスパイク・リーが「ブラッククランスマン」で脚色賞を得たときの様子の展示です。この映画は、「白人監督が黒人差別の歴史を美化している」として批判があった「グリーンブック」に作品賞で敗れました。

説明では、「この出来事は1990年を思い出させる。(「グリーンブックと同様に白人監督が差別を美化した映画として批判があった)『ドライビング・ミス・デイジー』に、スパイク・リー監督の「ドゥ・ザ・ライト・シング」が敗れたときのことだ」とあります。
つい最近の出来事をこう皮肉っぽく紹介するとは、この説明書を書いた人の思いが伝わってきます。

次は・・・
今年(2021年)のカンヌ国際映画祭審査員長として活躍した(そして期待通り?のハプニングも引き起こした)スパイク・リー監督の「部屋」が待っています。