【厳選】洒落怖の好きな回【マジで怖い】
洒落怖とは
私のニンテンドーDSiにWi-Fiが接続されたのは,2006年ごろだったかと記憶している。それから心もとない挙動のブラウザーで2chに辿り着き,「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?」という一連のスレッドを見つけるまで,さほど時間は掛からなかった。小学校から帰ってくると,とりあえず洒落怖を読み漁っていた。
うそだと思われるだろうが,私は洒落怖まとめ(現在,元のまとめサイトは閉鎖されている)に掲載されていた作品はすべて読んだ。有名どころでいえば,八尺様とか姦姦蛇螺,リンフォンくらいだったら,たとえば私がドラマの脚本家だったとして,ストーリーは頭の中にインストール済みなのでかなり原作に近いニュアンスの筋書きは書けると思う。
洒落怖はしかし,スレッドカルチャーの特性と限界を工夫しながら,いかにして文章で人を怖がらせるか,という技術にかけてはかなり洗練されていて,その独特の緊張感と,テキストをスクロールするたびに覚える高揚感にかけては,ほかのメディアの追随は許さないと思っている。たとえば,きさらぎ駅のこと自体は映像化できても,あの独特の雰囲気を表現できるかというと,並大抵のことではないように思える。
選考基準
今回のリストアップを考えるさい,話の「リアリティ/整合性」よりも,「物語」として強度があるものを採用した。
後世に語り継がれるような文芸作品と同じく,優れた洒落怖は,何度読み返しても面白いし,あらたな発見がある。真に語り継がれるべき作品は,スレッドではなく「物語」として残り,自然と淘汰され,さらに物語として強固なものになるだろう。これを民俗学の「伝承」にかけて「電承」とするという興味深い提言もある(伊藤,2016)。
また,「裏S区」や「コトリバコ」などがその代表に挙げられるだろうが,特定の地域に関する怪異や因習,都市伝説を語るといった作品は,洒落怖のなかでもかなり根強い人気を誇っているサブカテゴリーだろうが,語りの根幹に(読者に恐怖を喚起させるための舞台装置として),部落差別や,被差別階級者の歴史を取り入れていること,またそれらへの眼差しが,あくまでもホラーというエンタメに留まっており,差別を助長・再生産させる懸念があることから,あえて紹介はしないこととした。
それでは,特に好きな話を7つ,ご紹介していきたいと思う。なお,洒落怖のまとめサイトは現在閉鎖されているので,以下のリンクははすべて洒落怖超まとめというサイトのものになる。
01.『迷惑電話』
短くて怖い。短いのにとても怖い。忘れたころに読み返すと,いまだに脊髄がゾッとする感覚になる。短編洒落怖のお手本のような話。恐怖と不快感の最大瞬間風速を味わえる話として,『迷惑電話』を超えるものにはなかなか出会えていない。
ここでは,2chのテキスト文化由来の改行の多用と,くだけた語り口がとても有効に作用している。読者にスピーディに結末を与える。簡単に見えて,かなり練られている文章ではないかと思う。
短編洒落怖の傑作としてはほかに,『お神輿』などもある。おすすめです。
02.『気持ち悪いスナック』
本当に大好きな話で,いまでも春になると,この話が無性に読みたくなる。
まず,投稿者が,タクシーの運転手から聞いた話から物語が始まるという構成が,たまらなく良い。
恐怖感はもちろんとして,文章の端々から滲んでいるこのポエジーはなんなのだろう。投稿者の語りからは,恐怖体験に見舞われながらも,どこか達観しているような,一連のフィールドワークを楽しんでいるような雰囲気もある。『気持ち悪いスナック』の投稿年が2001年と,洒落怖の歴史の中では初期の作品でありながら,すでに読者に,物語としてのホラーを読ませようという,書き手の余裕があるのではないかと思う。
この導入にはいたく痺れさせられる。洒落怖のなかで,屈指の表現力を誇る一作である。
03.『秘密の場所』
物語の2つの拠点を往復して終わる作品が基本的に好きだ。この話も自宅と○○ガマの往復の連続のなか,駐在所や喫茶店に立ち寄りながら,物語が展開していく。文芸の基本的なプロットに忠実で,骨太なストーリー展開ではないかと思う。
派手な仕掛けこそないが,物語の終盤までずっと誰かの視線を背後に感じているような,厭な不快感があり,それが照りつける太陽の描写と交差することで,どこか幻想的な雰囲気を帯びている。
また,不穏な展開が続いていくなか,ひとりも死者を出さないまま,筆者の喪失を豊かに描いているという点でも,とても表現力の高い一作だと思う。
04.『てっぐ様』
洒落怖のなかで屈指の知名度と人気を誇るサブカテゴリー,いわゆる「田舎にまつわる怖い話」の派生作品だろうか。しかし,『てっぐ様』はそのなかでずいぶん異質な輝きを放っている。
『てっぐ様』は,完全にフィクションの領域で語られた作品だが,それゆえに文章を読み進めるごとに得られる没入感はほかの比ではない。宮崎県の祖父の書斎に収められた,『宮崎の昔話』という本を読むのが好きだったが,それと似たような読書感を得られる話として,私にとって特別な物語である。ホラーや都市伝説とは大きく距離を取って,むしろ,神話や,民謡,わらべうたからのレファレンスを強く感じる。このように優れた作品を読むと,洒落怖というプラットフォームから民族/民俗学研究の道に進んだ同世代の人たちが,もしかするといるのかもしれないと思い,エモーショナルな感情になる。
05.『地下の井戸』/『地下のまる穴』
とにかく面白い。面白いの一点だけで選んだ。とくに『地下の井戸』は洒落怖の殿堂入りスレッドにも入っているので,読んだことのある人は多いかもしれない。
怪談は,タブーを捏造することができる。
タブーを捏造するというのは,かなり困難なことのように思える。映像技術の進歩,レーダーネットワークシステム,街中に張り巡らされた監視カメラ,ソーシャルメディアによって,「リアリティのあるホラー」の価値は相対的に下がり続けているように感じる。なにしろAI技術があらゆる恐ろしい空想を叶えてくれる現代だ。なんといえば良いのか,映像でタブーを表現することは,ほとんど不可能に思える。
テキストは,物語を改竄することができる。当たり前のことだが,これは,それ以外のメディアだと容易ではない。それに,何を書いて,何を書かないか,取捨選択ができる。あなたの日記の中では,恋人は生き続けている。第二次世界大戦は起きなかった。それにそもそも,あなたは別の世界からやって来たのではないか?
『地下の井戸』,『地下のまる穴』のように卓越した想像力は洒落怖からいくつも生まれている。「異世界系」と呼ばれるサブカテゴリーでは,それらの思考実験を覗き見ることができる。
またこれらの創作群の発展を許したのは,オカルト板の住人の,ある意味では寛容な態度に依るものが非常に大きいと思う。現代ではこのような,一見すると妄言のようなテキストは受け入れられづらいのではないだろうか。このあたりはぜひ,専門の研究者に考えてもらいたいことだが,ネットのコミュニティはいつから,どうして,このような物語に対して,冷笑的な態度でもってフィクションだと一蹴するような雰囲気になってしまったのだろうか。
06.『須磨海岸にて』
『須磨海岸にて』
忘れられない作品。うまく説明することができない。吐き気がする。忘れられない。
参考図書
今回のnoteとはあまり関係がないが,ネット発祥の怪談を民俗学的・人類学的に紐解いていて,読んで面白かった本です。
伊藤龍平(2016)ネットロア:ウェブ時代の「ハナシ」の伝承.青弓社.
廣田龍平(2023)〈怪奇的で不思議なもの〉の人類学:妖怪研究の存在論的転回.青土社.
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