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本紹介「権利のための闘争」を読んで思ったこと

平和なら権利なんていらないからスルーしろ。舐めプしてくる奴に対して自分が損しているならば闘え。そして舐めプに対して、戦いもせずそれを受け入れるのは自分自身に対する侮辱である。というのがメインメッセージ

そもそも権利なんて日々考える機会がない。しかしなぜ著者であるイェーリングは権利のことをこんなにも考えるようになったのだろうか?
それこそイェーリングが平和な状態ではないから権利のことを考えたのではないかと推測する。

なぜイェーリングは平和な状態ではないのか。それは権利とは人に由来するものだからだ。権利とはつまり人権のことを指しているのだろう。人以外の動物に権利を認めていない。故に「魚権」とか「牛権」とかその他の動物の権利の類は聞いたことがない。そして権利とは人口が多ければ多いほど「権利のための闘争」が発生してしまう。
故に闘争しないために生活するには人の少ないところに住むのが解決策になるのではないだろうか。

よってイェーリングも都会に住んでいて人が多いのに飽き飽きしてこの本を書いたのではないだろうか。そして調べてみると下記のような記載が出会った。

1872年、大都市での生活が次第に煩わしいものとなったらしく、招聘を受けてゲッティンゲン大学へと移り、その後ライプツィヒハイデルベルクからも招聘があったにもかかわらず、1892年9月17日に生涯を終えるまでゲッティンゲンで過ごした

ウィキペディアより引用

やはり都会に飽き飽きしていた
私も都会ではなく地元の帯広に住むことにした


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