【掌編小説】病気を吸い取る紙【前編】
「ようやくここまで辿り着いた」
「はい。博士の発明した『病気を吸い取る紙』は、今に革新的な発明として商品化され、世の中の病気で苦しんでいる人々を救うことでしょう」
博士が椅子に腰掛けて言うと、すかさず助手のロボットが博士を褒め称えた。博士の機嫌を損ねないようプログラミングされた助手ロボットも、博士自身が手がけた発明品のひとつだ。
助手ロボットには『博士を賛美する機能』しか備わっていない。博士がそういうふうに作ったのだった。助手にチャチャを入れられて集中力を欠いていては、良い発明はできない。
「そうだ。記者会見を開こう。私が持てる技術の粋を結集して作ったものだ。きっと会見は大成功を収めるだろう」
そうと決まると、博士は会見に向けてあえて不規則な生活を送りました。そうしてわざと体調を悪くさせた。
博士は風邪を引いたまま会見に臨んだ。会見の場で実際に『病気を吸い取る紙』を使ってみせようと考えたのだ。
博士はまず、聴衆の前で体温を調べた。
三十九度もの高熱だった。
「このひどい高熱と頭痛を『病気を吸い取る紙』の力で吸い取ってご覧にいれましょう。……ごほ、ごほん」
そういうと博士はメモ用紙くらいの大きさの紙を二枚取り出した。その一枚には『頭』という字を、もう一枚には『熱』という字を書いた。
二枚の紙を額に当てる。
十秒ほど当てたあと、もう一度体温を測定すると、ふしぎなことに、博士の体温は三十六度にまで下がっていた。
博士が体温計の数字を高々と掲げ、そこに表示された数値が大きなモニターに映し出されると、会場は歓声と拍手に包まれた。
会場を訪れた人は口々に「そのふしぎな紙を売ってくれ」といって、博士のもとに殺到した。会見は大盛況に終わった。
研究所に戻ると、助手ロボットが近づいてきて、博士を賛美した。
「博士。記者会見は大成功です。この『病気を吸い取る紙』がたくさん作られ、誰でも簡単に買えるようになるころには、博士は大金持ち。数々の権威ある賞を総なめにして、地位も名誉もほしいがままとなるでしょう」
博士はさもありなんという顔をしながらも、こう言った。
「こらこら。そう持て囃すでない。私は地位も名誉もいらぬ。そうだな、しかし金はほしい。新しい研究を始めようと考えているのだ」
「さすが博士。謙虚でありながら、研究熱心でございますね」
会見から数日が経ったある日、博士の研究所の扉を叩く者が現れた。助手ロボットが招き入れると、背の高い男がハキハキとした口調で自己紹介を始めた。
「ぼくは今年で三年目になるプロ野球選手です」
「おやおや、どうりで顔に覚えがあるはずだ」
「若手のエースなんて呼ばれているのですが、実のところ、連日の登板で、ぼくの肩はもう限界なんです」
「それは大変だ。この『病気を吸い取る紙』をお使いなさい」
博士は紙を差し出し、野球選手がそれを受け取った。
野球選手は博士の顔をじっと見た。
「病気を吸い取る紙?」
「そうとも。その紙に『肩』と書いて、痛む場所に当ててご覧なさい」
「は、はい。わかりました。ではさっそく……」
彼はペンを受け取ると、紙に『肩』と書き、それを右の肩に押し当てた。
すると、見る見るうちに彼の目が大きく見開かれていき、やがて笑顔になりました。肩の痛みや違和感がすっかりなくなった、と彼は大喜び。研究所のなかで、子どものようにピッチングフォームを取り、力強く腕を振って見せた。
「これはすごい。もうちっとも痛みません。本当に、ありがとうございました」
彼が帰り、しばらくすると、次の来客があった。
今度の来客は、若い人に支持されてテレビ番組に引っ張りだこの人気シンガーだった。彼女は博士の前に坐り、不安げに顔をうつむかせた。
「あの、わたし、喉にポリープが見つかったんです。それはどうも悪性らしく、手術をして取り除かなければならないのですが、その手術をしてしまうと、いままでどおりに声が出なくなると言われて……」
「大丈夫。これをお使いなさい」
彼女は渡された紙に『喉』と書き、患部に押し当てた。
すると、あっという間に喉の調子が良くなり、喉の奥にあったつっかえも綺麗さっぱり消えたと大いに喜んだ。
彼女はお礼です、と言って、一曲うたって帰っていった。
「やはり、博士の発明品はすばらしい。非の打ち所もありません」
「これこれ、やめなさい」
博士の顔からは思わず笑みがこぼれた。
そうこうしていると、次の来客があった。
あかるい黄色のワンピースを着たお嬢さんと、簡単な格好をしたその父親らしき二人組みだった。
お嬢さんが、いまにも泣き出しそうな声で言った。
「わたしのお父さんを治してほしいんです」
「どうしましたかな」
「お父さんは落語をしています。けれど心を病んでしまったのが原因で、ほとんど口を効かなくなってしまったんです。落語もできなくなり、いまは休業をしています」
「それは大変だ」
博士は『病気を吸い取る紙』を取り出して、噺家の代わりに『心』と書き、彼の胸のあたりに押し当てた。
すると彼は、口をもごもごと動かし始め、ついにしわがれた声で「ありがとう、ございます」と言った。
これにはお嬢さんも驚いて……
「お父さん、だいじょうぶなの?」
と、尋ねた。
「ああ。いままでの暗い気持ちが、まるでウソのようだ。また明日から、お父さん頑張るからね」
噺家とその娘さんが帰ったあと、助手ロボットがお決まりの言葉を吐いた。
「さすがです、博士」
「そう褒めるな」
つづき:【掌編小説】病気を吸い取る紙【後編】
著者情報
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