親切のギャンブル性。
電車で老人に席を譲ろうとして「老人扱いするな」とお叱りを受けたという話はそう珍しくもない。
親切はギャンブルだ。当たり外れがある。当たれば親切だが、外れると迷惑となる。
近年、親切のギャンブル性が高まっているのではないか。
迷惑のしきい値が下がり、ほんの些細なことでも「迷惑だ」とか「ハラスメントだ」などと訴える人が増えたように思う。
ひょっとしたら反対に自意識過剰な人が増えたとか、自己中心性が高まったということのなのかもしれないけど、とにかく迷惑やハラスメントのしきい値はじりじりと下がっている。
最初に書いた通り親切にはギャンブル性があり、相手の受け取り方によっては迷惑行為やハラスメントだとされてしまう。
とくに男性はハラスメントの加害者になりやすい。ここまでハラスメントのしきい値が下がると「加害者に仕立て上げられる」と書きたくなるが、とりあえずそのことについては置いておこう。
とにかく、親切にはギャンブル性があり、とくに男性は「外れ」を引く確率が女性と比べて高い。となれば、外れを引くことを恐れて親切をしない男性が増えるのは当然だ。
女性にAEDを使えるかという問題の本質は、まさに親切のギャンブル性にあるんだろう。だが、親切のギャンブル性を高めてきたのは、だいたいの場合は女性だ。
昔と比較して、現代は「めったに当たらないギャンブル」となってしまった親切。自業自得だと言えばそれまでかもしれないが、ほんの一時のわずかな不快感と自分の命を天秤にかけても、まだ「ハラスメント」だなんだと騒ぎ立て、親切のギャンブル性を高めようというのだろうか。
すべてのハラスメントを否定するわけじゃないけどね。
何事も行き過ぎると自分の首を締めるよという話だ。
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