【閲覧注意】どうすれば物事を楽しめる?
楽しい気分になりたい。思えば生まれてこの方「ああ楽しい」と思ったことがほとんどないんだよなぁ。
ぼくは今年で27歳になるのだけど、ふつうの27歳はどんなことをして「遊ぶ」のだろう。
ぼくのなかの「遊ぶ」は小学校低学年で止まっている。遊ぶといえば「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」のことだと、本気で思っている。
中学生になると、風のうわさで「ゲーセン」だとか「カラオケ」だとか「ボーリング」だとか、そんな言葉も聞こえてきたけど、ぼくはどれも行ったことがないので分からない。
カラオケには大昔に家族で行ったことがあるけど、そのときは何も歌わなかった気がする。ただただうるさいということと、音のかたまりが鼓膜をぐぐぐーっと押してくる気持ち悪い感覚。覚えているのはそれだけだ。
生まれたと思ったら「お兄ちゃんなんだから」といろいろ我慢させられた。ぼくが両親に教わったのは「何があっても耐える」ということ。
学校へ行くようになり、イジメられるようになっても、ぼくは言われたとおりに耐え続けていた。悪口を言われても、笑われても、トイレを覗かれても、殴られても、蹴られても。
いよいよ耐えられなくなり、逃げ出したら「中卒」で「うつ病」で「ひきこもり」の「ニート」というレッテルを貼られた。
ああしろ、こうしろ、とぼくに押し付けがましい「アドバイス」をしてきた人は、誰も「こういうレッテルを貼られてしまうぞ」と忠告してくれなかった。口うるさかったはずの大人たちは、誰もが皆「こいつはもう終わりだ」という目でぼくを見た。
18歳のときだったか。両親と、父方の祖母が、ぼくを養護施設に入れる計画を立てているのを見つけた。テーブルの上にパンフレットを並べて、うんうん唸っていた。
ぼく、何か悪いことしたのかなぁ。
言われたとおりにずっとずっと我慢してきて、唯一の友だちにまで被害が及ぶようになり、犯罪の手助けをしろと脅迫されて、もう我慢できないと、はじめてその場から逃げた。はじめて逃げたら、これだ。
みんなもこれくらいのことを我慢して、大人になったのだろうか?
それとも前世でトンでもない悪さを働いたから、こんな人生なのか。
本当は死にたい。
今すぐに。
ただ、ぼくの周りには、しんどくても楽しそうに生きているひとたちがいる。そんなひとたちを見ていたら、ひょっとしたらぼくもって、思ってしまう。
ぼくは分かっているんだ。
本当は生きていたい。ときどき辛くても、ときどき楽しく生きていきたい。それと同時に、自分が楽しく生きていくことなど無理な話なのだということも、よく分かっているんだ。
もはやぼくには「物事を楽しむ心」がないのだから。
「楽しい」と言うときがある。ただ、ぼくは自分の「楽しい」が「口だけ」なのをよくよく知っている。本当はそんなこと思っていないんだもの。
何をどうすれば、昔のように物事を楽しいと思えるのだろう?
14歳のころに学校へ行かなくなり、早12年。ぼくは未だに恨みの塊だ。街でばったりとクラスメートに出くわそうものなら、殴りかかり、そのまま殺してしまうかもしれない。
ひきこもりだから、その心配はないんだけどさ。
来世では我慢しないようにしよう。来世では遠慮しないようにしよう。人に嫌われようが好かれようが、自分の思うとおりにしよう。
今世はもう諦めよう。