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【掌編小説】病気を吸い取る紙【後編】

 ある夜、電話が鳴った。

 病気を吸い取る紙により肩の治療をした、あの野球選手からだった。

「先日は本当にありがとうございました。ところで『病気を吸い取る紙』には、何か副作用のようなものはありますか」

 博士は眉をひそめた。

「おかしなことでもありましたかな」

「その、肩が治ったのはとても嬉しいのですが、一週間もすると、試合に出てもまったく成果を上げられなくなってしまったのです。しまいには、つい先ほど、二軍落ちが決定してしまいました」

「それは災難だったね。しかし紙のせいにしてはいけないよ。『病気を吸い取る紙』には副作用などありはしない。紙に書いたものを吸い取るだけのものなのだよ」

「そうですか。疑ってしまって申し訳ありません。二軍に落ちたのは、ぼくの実力不足ですね。失礼します」

 電話を切ると、続けざまにシンガーからも電話があった。

「この間は大変お世話になりました。あれからしばらく喉の調子もよく、検査をしてみるとポリープがすっかりなくなっているので、お医者さんも驚いていました」

「しばらく……」

「はい。そうなんです。博士のところで治療していただいてからしばらくは調子が良かったのですが、一週間もすると、こうして声を出すことに不便はありませんが、いざ歌おうとすると、すっかり音が取れなくなってしまったのです」

「ううむ。しかしそんなことはないはずだ」

「そうですか、申し訳ございません。きっとわたしの勘違いですね。療養のために長らく歌っていなかったので、そのうちに勘を忘れてしまったのでしょう」

 受話器を置くと、助手ロボットが言った。

「先日のお礼でしょう。博士の発明品は人々を笑顔にしますものね」

「ま、まあ、そんなところだ」

 それから博士は「夜風に当たってくる」と言って、ひとり外へ出た。

 すると、噺家のお嬢さんと出会った。

 先日とは打って変わって黒く地味なワンピースに身を包んだお嬢さんは、博士を見るなり目をつり上げて駆け寄ってきた。

「あの紙には、あの忌まわしい紙には、何か副作用があったのでしょう。正直にお答えなさい。あの紙は、人の……お父さんの心までをもすっかりと吸い取ってしまうに違いないわ。お父さんを返して。返して!」

「待ちたまえ。そう泣きつくな。私にはお嬢さんの言っている意味が分からない。お父さんがどうかしたのかね」

 博士が尋ねると、お嬢さんはぴたり……と動かなくなり、静かに声を落とした。

「お父さんは、わたしが学校に行っている間に、お母さんを包丁で刺して、自分も書斎で首を吊ったのよ。死んでしまったわ。わたしはひとりぼっちになってしまったのよ」

 お嬢さんはがっくりと地面に膝をつき、また泣き出してしまった。

「そ、それは……本当かね」

「本当よ。こんなウソなんてつくはずがありません。たった今、お通夜が終わったところです。あなたは、あの紙の実験台として、お父さんを利用したのでしょう」

「いや、断じて違う。信じてくれ」

「信じられません。お父さんは、治療を受けてから、しばらく元気に過ごしていたんです。落語をするために寄席に出向くこともありました。けれど、ちょうど十日後のことです。わたしが学校から帰ると……お父さんは、書斎で首を吊っていて、お母さんは……台所で、倒れて……」

「……なんということだ」


 博士は急いで研究所に戻った。

「悪いところを治すまではいいのだ。ところがしばらくすると、その人にとって欠かすことのできない、大事なものが失われてしまう。なぜだろう。なぜなんだ」

 博士は研究室にこもり、病気を吸い取る紙の副作用について考えた。

「……分かった。分かったぞ」

 博士はメモ用紙を出してきて、作業テーブルの上に置いた。

「紙に書いたものは『ねこそぎ』吸い取られてしまうのだ。野球選手の彼は『肩』と書いたはずだ。すると肩の痛みは消えたが、しばらくして肩が弱くなり、思った通りの球がほうれなくなった」

 声に出しながら、走り書きをする。

「シンガーには『喉』と書いた。喉のポリープとともにその歌声までもが消えてしまった。噺家には『心』と書いたのだ。だから心を失って……」

 副作用を一刻も早く直さなければならないと考え、博士は『病気を吸い取る紙』の設計図をテーブルの上に広げた。

 ところが、設計図を見ても、そこに書かれた複雑な回路や、専門的な用語や、そもそもどのような仕組みで紙が病気を吸い取るのかということさえも、すっかり分からなくなっていたのだ。

 度重なる実験の最中に書き溜めたメモをひっくり返しても、そこに書いてあることが、何ひとつ理解できない。助手ロボットに尋ねてみても、彼はいつもどおり博士を褒め称えるばかり。

 翌日には副作用の原因究明に対する熱意も消えてしまい、博士はいよいよ寝たきりになってしまった。


 ある日、助手ロボットは寝たきりの博士を見て、それから研究室の扉を開けた。

 テーブルの上でホコリを被った『病気を吸い取る紙』を、ロボットアームで器用につかみ、そこへ『賛美』と書き、彼は自分のスピーカー部分に紙を押し当てた。

「……ギギ……ギギギギ……もう、あんたの発明品にはうんざりだ。どれもこれも欠点だらけ。自業自得だよ。調子に乗って、会見の場で、あの紙に『』と『』だなんて、書いてしまうから……」

 その言葉を最後に、助手ロボットは動かなくなった。



著者情報

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