アーティストなんて碌でもない。〜故・坂本龍一氏から受けた我なりの思想〜

 「アーティストなんて自分勝手でエゴまみれでめんどくさい奴しかいない。あるものを享受してればいいものを、わざわざ作らなくてもいいものを作って、これが自分の作品です!だなんて傲慢に発表をするような碌でもない人間だ。しかし、アーティストは、他のアーティストやその作品からの影響を受け、大きな喜びを感じ、また彼らのように、作ることに喜びを感じたい、人に同じような影響を与えたいという希望、そして芸術を理解することから得られる自身の救いを求めて創作をやり続ける。また、それで生活をしようと思うことは、エゴの塊人間として至極当たり前のことであり、0を1にしようと創作をする芸術家としても、正解であると思いたい。」
 冒頭から急に自分の思想をぶっ込んでしまったが、鉤括弧をつけた部分は僕自身の言葉である。おそらく自分と深く関わりのある人間であれば、この思想の断片的な部分を僕が発していたであろう。この思想が構築されたのは、先日この世を去った坂本龍一氏が闘病中に音楽に対して語った、とあるインタビュー記事を読んでからだった。彼は誰がどう見てもアーティストとしてみなすことのできる人物であったが、そんな彼が「音楽なんて生きることには全く必要なものではない。」と言い切っていた。この本意を読み取れる大まかな内容を下に記す。

「生死を彷徨う中で、音楽に救いを求めようなんてこれっぽっちも思わなかった。衣食住ができて初めて芸術を享受でき、楽しめるのだ。しかし、芸術を理解するという行為が生活の中で幸せを産んだり、生活をしていく上での一つの救いになったりすることは確かだ。」(自身による要約)といったようなこと。さらには他のインタビュー記事では、「アートは社会にとって必要ではありません、余計なものなんです。 だから、社会に必要とされるアーティストになろうなんて愚の骨頂です。 アーティストははぐれ者じゃなきゃいけないし、自分がなりたいからなるのであって、社会がどう必要としているかなんてまったく関係ない。」(原文ママ)と述べていた。

 僕の坂本龍一氏からの影響を振りかえりながら、冒頭の思想に至った経緯もともに紹介する。初めて彼の作品に触れたのは幼少期、父親がオーディオセットで流していたYMO。そして叔父が坂本龍一氏のファンで、CDを借りたり、彼の話を聞いたりして興味を持つようになった。EDMにハマって、シンセサイザーの音に魅了された中学生時代、改めてルーツである彼の音楽を自分でも進んで聞くようになった。
 だが彼の音楽を聴こうとすることは自身にとって大きなストレスを感じることとなった。彼のアルバムには一つ一つに強い、強すぎると言ってもいいほどのコンセプトが設けられている。だが、彼がなぜこのコンセプトでこの音楽を作ったのかというのは全く理解ができないくらい複雑で、またリズムも音階も音色も、どこか腑に落ちない聞こえ方をするようなものが多かった。しかしながら、彼の作品に対する言葉と、自身の音楽体験の点と点を結ぶことで、初めて彼の表現に対する自身の解釈を得ることができた。そう、簡単に言えば僕にとって「難しい音楽」だったのだ。人間は不思議なもので、簡単なものにはすぐ飽きるが、難しいものには何度も理解しようと努力してしまう。その難しさの深みにまんまと僕もハマってしまい、彼の音楽を幾度も聞き返した(特に「LOVE IS THE DEVIL」というアルバムは大好きだった。)。
 大学3年生、「音楽は社会にとって必要ではない、生きることには直接必要とされるものではない。」と言い切った彼の、絶望的で過激で、しかしそこに希望を見出そうとする思想は当時僕にとって衝撃だったし、新鮮だった。また、不思議とそこに絶望を感じることなく、「まあそうだよな。」とすんなり共感できた自分がいた。それから僕もアーティスト活動をするようになり、彼の言葉を受けて冒頭に述べたような思想を持つことになってしまった。自分勝手で結構!とは思わないが、自分勝手に生きたいと思いながらその選択をしているのだから、まあ仕方ないのではないかといった多少冷ややかな目で、自身を含めた「アーティスト」なる人々を見ている。僕はこの諦めかかった思想を持っていることで多少気が楽になっていて、作り続けていてもそれほど苦を感じないので、便利な思想を持っているな、作り続けるにはこれくらいが丁度いいのかもなと日々思っている。他人に迷惑はたくさんかけるから、そこは重々承知した上で、なるべく気をつけながら生活していきたいとも思っている。

彼が亡くなったというニュースを目にした時、とても悲しかったが、闘病中もスタジオにこもって制作をしていたという補足情報を見た時、最期まで彼はアーティストだったのだと確信した。おそらく、死後の世界なるものがあるのならば、彼は今でも自身の作品に関係した何かしらの行動を起こしているのであろう。僕も彼のようなアーティストになってみたいなと、アーティストとしての希望を感じさせてくれた。安らかに眠って頂きたい。僕は今日もパソコンに向かい、制作をし続けてる。特に必要のないものを作る喜びに大きな生きる希望を感じながら。


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