ナゴヤキネマ・ノイで映画『マミー』を見た話
0.前回のあらすじ
ナゴヤキネマ・ノイで映画『マミー』が公開されているので、普段の運動不足を解消するため、長い散歩をして訪れた。
1.ナゴヤキネマ・ノイとはどんなところ?
ナゴヤキネマ・ノイとは今池にあるミニシアターである。
本当にミニシアターという名前がしっくりと来るくらいの小さな映画館だ。
座席数は40席、その他にもパイプ椅子や座椅子がおかれていた。
映画『マミー』を見ると決めてから前日にネットで購入。
その時点ではちらほらと席が埋まっていた。
大抵の人が休みである土曜日だからだったのか、それともこの映画『マミー』がナゴヤキネマ・ノイしかやってないからたくさん席がうまったのか。
とにかく会場は熱かった。
2.映画『マミー』の感想
私は普段、映画の感想はtwitterでつぶやいたり、ブログに書いたりしている。
今回noteに書いたのは、けっこう毒舌になる可能性高いし、ブログやtwitterでは語り切れない何かがありそうだったので、ここで描いてみることにした。
和歌山毒カレー事件を知ったきっかけ
和歌山毒カレー事件が起きたのは私が4歳くらいの頃。
父がこういうことあったと語ってくれた。
それは私が病院に入院した時のことだ。
なれない入院生活でいらついていた私を慰めようと、父はアンパンマンを見せるためにテレビをつけた。
しかし、残念なことに日曜朝にやるはずだったアンパンマンが放送されなかった。
というのは、和歌山毒カレー事件の犯人が逮捕されたということで衝撃体なニュースにより、アンパンマンがつぶれたのだった。
すまなかった、親父。いくら子供だったからと言って凶暴な自分で。
その次に毒カレー事件に触れたのは、とある本。
大学生の時に図書館で、当時中学生の子が書いたとされるレポートの本に触れたのだ。
タイトルは四人はなぜ死んだのか インターネットで追跡する「和歌山毒カレー事件」
夏休みの自由研究として取り組み、それが文芸春秋の賞を受賞したという。
へえ、すごいなあ。中学生でここまでできることを駆使して取り組むとはと感心したものだ。
しかし、この本の噂を聞いて驚く。
この本はすべて中学生が書いたわけではなく、父親も手を加えていたのではという疑惑が。
今でいうと炎上とかそういうのがあったらしい。
真相はわからないが、本人が平穏に生きているのを願いたい。
真相は藪の中で簡単にわからない
映画の内容はどんなものかというと、
当時と今の鑑定方法で冤罪の可能性が高くなる
死刑囚の旦那が語る、かつてやっていた悪いこと
事件の被害者の想い
取材をした監督の行動や警察沙汰
などである。
やろうと思えばできるのに、やらないのは本当に謎だろうなあと思う。
昔より今の科学技術は発展しているんだから、何かしらの間違いがあるっていうのはよくニュースなどで報道されているだろう。
どうしてかたくなにやらないのだろうか。
その一歩が大きいことで自分たちの正義がねじ曲がってしまうのだろうか。
死刑囚の旦那が語る話にはお、おう……と驚くものだ。
簡単にお金をたくさん稼ぐ方法(非合法)を生み出したからこそ、罪悪感があまりないように感じる。
むしろ、よく元ヤンキーがむかし悪いことをしたんだよねと笑顔で語るような印象を受けた。
死刑囚の旦那の話を聞いてみると、あの毒カレー事件は自分たち、身内だけで起こそうとしていたが、第三者に被害が拡大したようなうっかりさを感じてしまう。
本当にやったのか、やってないのかはわからないけど普段からああいうことをやっていたら、真犯人が濡れ衣を着せるにはちょうど良いところだったんだろうなあ。
とはいえ、真犯人が誰なのかわからないし、この事件の真相がはっきりとするのだろうかはわからない。
もしかしたらピンターカイフェック事件とかあらゆる事件みたいに永遠に解かれない謎になるかもしれないと思った。
好奇心は猫を殺す
この映画を見て脳裏にあの一言が浮かんできた。
好奇心は猫を殺すというフレーズ。
マスコミの勢い、そして監督の勢いにはすごいなあと思いつつ、おいおいと思うこともあった。
なんというかミイラ取りがミイラになるような感じ。
はっきりとしない事件だからこそ、好奇心はつきないだろうね。
真相が明らかにならない限り。
陰謀論までも出るほどなら、この事件はいつまでも注目されると思う。
地元の人たちが語りたくないっていうのは、過去のマスコミの勢いを思い出したくないからなのかな。
真相なんてどうでもいい、とにかく平穏に暮らしたいという気持ちを感じた。
今の平穏は死刑囚という生贄に成り立っているというか、なんというか胸糞悪さを感じるものだった。
3.胸糞悪さと希望
正義なんてありそうでないもの、正義の味方とかああいうはっきりとしたものは想像の世界にしかないと思う。
現実の正義なんて何かの一方的なおしつけにしかすぎず、何かを破壊しながら進んでいくようなもの。
映画『マミー』からそう感じた。
胸糞悪さを感じた一方希望を感じたことがある。
どんな人でも味方ができるってことかな。
おかしいことをおかしいと言ってくれる仲間がいるってのはある意味この胸糞悪さを打破する希望かもしれない。
そう思いながらナゴヤキネマ・ノイを後にしたのだった。