暴力が最強なのは当たり前
この世で最強なのは暴力です。
力こそパワー。故に最強。
気に入らない奴は片っ端から殴ってしまいましょう。
邪魔な障害は燃やし尽くすに限ります。これで全て解決です。
…というのは一旦置いておいて、暴力が最強というあまりにも当たり前な事実は当たり前過ぎてまともに考える機会も少ないかと思いますので、
今回はそれを改めて強調しておこうかと思います。
この世は暴力が最強です。
まず、物理的な力というのは最強です。
どれだけ知恵が回ろうが、肉体的に優れていようが、技術を持ち合わせていようが、
核爆弾を喰らったら即死です。
抗う術はありません。
核とまでいかなくても、マグマを頭から浴びるとか、銃弾で心臓を貫かれるとか、強い衝撃があれば簡単に人間は死んでしまいます。
物理的な力のエネルギーが減ってくればある程度身を守る術というのも存在してきますが、
その術というのも防弾チョッキを着てみるなど、やはり同じように力で守るしか無いということになります。
死なない程度の力というのも十分強力です。
アザが出来るほどの強い力で人間を殴れば、殴られた相手というのは損傷を受けます。
鉄パイプのようにより強い力で殴れば骨が折れる可能性が上がります。
そして、仮に骨が折れた側というのはその時点で圧倒的に不利です。
痛みが生じたり、物理的に肉体を支えることが出来なくなるために
反撃する為の態勢も整いづらくなり、これは防御においても同様です。
相手が暴力を止めない場合、より激しい肉体的損傷を受けやすくなってしまうのです。
また、暴力を受けた場合、受けた側はナーバスになります。
これは精神的ダメージも入るということです。
暴力は物理的だけでなく、恐怖によるストレスで精神的にダメージを与えることも出来るようになるということです。
この時生じるストレスというのは本来祖先から受け継がれた生きるための工夫のようなもので、
そのストレスを自身が認識することで「戦うか、逃げるか」の選択を誘発するために出るものですが
現代社会においてはこの二択自体がどちらも非常に厳しいです。行動として取り辛い。
容易に暴力をふるう相手に戦う選択は瞬発的には難しく、かといって逃げるという状況を作り出すことも難しいです。
つまり、暴力を受けた場合は今後もストレスやダメージを受けて生きていかなければならなくなります。
この時点で分かるように、暴力というのは先に行使した側が圧倒的に得です。最強です。
『ペンは剣よりも強し』などという言葉がありますが、
結局の所そのペンで誘発されるデモなどの行動は暴力に依存したものであり、
ペンが剣より強くなるということは特にありません。暴力が最強です。
また、精神的な暴力というのも現代ではブームになっています。
これは物理的な暴力がそれなりに裁かれていった結果、暴力が別の形態を伴うようになっていったものと考えられます。
少なからずは昔からあったものとは思いますが、
物理的な暴力のように分かりやすい形では残りにくいため、裁きづらい側面があり、結果として現代社会では蔓延しているものと考えられます。
こちらの暴力も強力で、受けた相手というのは物理的な暴力以上のストレスを身体に蓄積させることになりやすいです。
過度のストレスにより、体調の変化や、対人関係における不具合などが発生し、これがまたストレスを誘発させてしまうという悪循環のループです。
物理的な暴力以上に認知されにくい分、エスカレートしやすいというのもあるかと思います。
殴ることなく相手に強烈なダメージを与えることが出来るこの暴力も大変に強力です。
そして物理的な暴力と同様、こちらも先に仕掛けた方が得をします。
エネルギーを奪われた側には立ち上がる力を出すのは難しいのです。
先に暴力を与えた方が最強。
残念ながらこれが圧倒的事実です。
気に入らなければ相手をぶん殴れば勝ちです。
しかしその暴力によって
知恵が回るとか、肉体的に優れているとか、技術を持ち合わせているなどの
有用な人間がいなくなっていってしまうと
社会を円滑に進めることが難しくなることがあったのでしょうか、
なんとか暴力を止めるためのルール(法律)が出来ました。
そのルールの効力によって暴力をするデメリットが増えはしましたが
暴力を振るってしまえば相手にダメージを与えられる事実には何ら変わりありませんし、
『バレなければやった方がいい』と考える人間も当然出てきます。
そもそも暴力を振るって相手が反撃してこなければ100%得でありますし、得をした人間の方が生き残る率は高いです。
この長い歴史の中で生き残ってきた人間の中には当然そのような人間も多く存在するわけです。
そして最後に。何より暴力はお手軽に出来るのです。
大した準備も必要なく、道具を持って振り回すだけでいいのです。
現代にはナイフなどもあるので女性も安心して暴力を行えます。海外では銃も利用可能な地域があります。
言葉の暴力はそれよりももっと簡単に行えます。他人を侮辱し続けるだけでOKです。
そして暴力で受けた傷は物理的でも精神的でも治すのに力が掛かります。
一瞬のダメージで長期間に相手にダメージを与えられる。近視眼的に見ればコスパが最高に良いわけです。
こんなに簡単に出来て得もする行為を人間が手放すわけがありません。
よく「暴力の無い世界を」などと言うことを聞きますがこれは無理です。
100%無理です。やる奴はやります。やられたらもう対処するしかない。
それに、物理的な暴力を排除しようとした結果精神的な暴力という形を変えたものが幅を利かせたように、本来人間は暴力による得で生きながらえてきた部分が多分にあります。
簡単に得を出来るのですから当たり前です。これを変えることは出来ません。
どんな相手でも鉄パイプのようなもので殴り続ければ結局死ぬわけです。
精神的な暴力を浴びせ続ければ萎縮してまともな社会的活動も行えなくなるわけです。
なので「暴力の無い世界を訴える」よりはまず、
・暴力を行使するというのが最強であること
・完璧に防ぐことは難しいこと
これらを理解し、そしてそれを踏まえて自分が如何に暴力を振るわれない方法を考えるのが大切ではないかと考えます。
何度も繰り返しますが暴力は最強です。
暴力というのは振るわれた時点で圧倒的に不利になります。
なので生きる為には、暴力を振るわれないように立ち回るというのは最重要な項目なのであります。
よって、私は今日も家から出ません。
セルフソーシャルディスタンス最高。