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愛がわからない

2021年の3月に無事大学を卒業し、4月から仕事を始めました。大学の専攻分野とはかなり違うので仕事の悩みも尽きませんが、相変わらず恋愛が分からず悩む日々が続いています。

10ヶ月くらい前に書いた、「恋愛感情がわからないけど、それでも愛で溢れた毎日だから」 では、「恋愛についてはゆっくり考えていきたい」的なことを書いていましたが、どうもそういうわけにはいかなくなりました。
そんな悠長なことを言っていてもいいのか、という焦りからくるものかもしれません。

仕事を始めた瞬間、「女」である私にのしかかってきたのは、

結婚しても、子育てをしながらでもこの仕事を続けるのかどうか

という疑問でした。
休みも勤務時間も不規則な仕事をしています。(そもそも出会いがないですね)

その疑問以前に私には、結婚願望も何もありません。あるのかもしれないのですが、よくわかっていません。パートナーが欲しいと感じることはあれど、一人暮らし故の寂しさでしかないような気もするのです。

だけど仕事は驚くほど楽しい。プライベートは仕事に関する勉強をしたり、趣味を楽しんでいます。
仕事が始まってから驚くほど生活が充実し始めました。
仕事ではタフな体力とメンタルを求められるし、毎日あれこれ言われながら仕事をしているけど、もっと色々なことを覚えて出来ることを増やしたいと思っています。
スキルと経験が圧倒的に足りないけれど、やる気はあります。

そもそも、社会人になって1ヶ月で結婚や子育てのこと考えるのは早いだろう、と思う私もいましたが、その部分を考えないと3年後、5年後さらには10年後の目標が立てにくいという現状に突き当たりました。


少し話は変わりますが、私は17歳の頃から「ベルサイユのばら」のファンで、辛い時に何度も読んでは勇気や元気をもらった本の1つです。

その中でもよく覚えているのがこのセリフです。

アンドレのこのセリフのような事、きっと私には出来ないし、言葉にだって出来ない。
どんなに愛したとしても私は私だし、他人は他人でしかない。私はその他人のために命を差し出す事は出来ない気がします。
アンドレが私じゃなくてよかった。そんな渇ききったアンドレがいてしまったら、ベルサイユのばらもすぐに打ち切りになったでしょう…

そんな気持ちがあったからこそ、このセリフに感心しました。それと同時に何一つ感情が湧いてこなかったショックも覚えています。

だけど愛する人と一緒に生きるというのはこのぐらいの重みのあるものなのかもしれません。正直、誰かに対して全てを投げ打ってでも一緒にいたいと思ったことがないので、なんとも言えませんが。
まだ出会った事がないだけかもしれないし、もしかしたら私自身の性格や考え方がそうさせているのかもしれない。そんなことを考えては悩んでいます。

この理論(?)を適用すると、愛する人の為なら仕事だってやめてやるわ!という気持ちになるのも不自然な話ではないような気もします。
ただ、フランス革命期と現代では時代背景も価値観も違うし、そもそもベルばらはフィクションですね…

とにかく私には経験が足りません。人生においても、仕事においても、恋愛においても。焦らずゆっくりでいいのかな…
前回と同じオチになってしまいました。

こんなことを考えては「恋愛がわからない」の沼に落ちていっている日々が続いています。

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