冬に出る白い息
・少しブルーな出来事があった(と書いておきながら、それは起こった際には相当な衝撃をもって私の心を通りざまに刺していったのである。とても痛かった)のち、大学の書店の、その一角の本の山の前で放心していたら、よく知る、そしてよくお世話になっている先輩とたまたま鉢合わせた。お疲れ様です〜、と消え入りそうな声で挨拶したら「大丈夫ですか?」と言われてしまった。思わず、さっきのことをぼそぼそとこぼしてしまった、先輩はとくに何を語るでもなく、そのあと一緒にミルクティーを買った、去り際に「必修頑張ってね」と言われる、この一連の流れは紛れもなく慰めだった。私にとってそうなったのだからきっとそうなのである。ありがとうございます、と思う。
・挨拶には、見知らぬ人と交わすマナーとしてのそれと、見知った人と交わす「ご機嫌いかが」のそれとがある。さて今日、図書館で無意味に本棚を見つめていたとき、横からすれ違いざまに「おっ、こんにちは!」と言われてその顔を見たらほんとに見覚えがなかった。これは……相手にとっては後者の意味だろう。しかし挨拶の良いのは見知らぬ人にやってもおかしくないところ、わたしは前者の意味において「あっ、こんにちは〜」と返しておいた。つくづく、便利だ。
・マフラーに顔を埋め、冬の風の厳しさに耐えつつ歩いていると、ふと懐かしい曲の存在を思い出す。機種変で移行し損ねた音楽の数々の全ての復元は無理でも、海岸で、自分の前にたまたま流れ着いた貝を拾ってしまうように、すぐさま検索窓に歌詞を打ち込むのはやめられない。
・シャワーを浴びながら、授業で習ったワーシップ・ソングを口ずさむ、「君は愛されるために生まれた、君の生涯は愛に満ちている……」水道水以外のものが頬を流れそうになるのは、神の愛によるものか、それとも。
・自室の机の上には、様々の大きさの物体が、崩れないようにある程度のバランスを保ちながらそびえたっていて、その様子はときに街のようだなと思われる。明日友達来るから崩すけど。その時わたしはゴジラになるのか。
・冬の朝に外に出ると、しんとした空気が肺に入って、全身にはりついた霜がきらめくような爽快感を覚える。目を細めながら日向に出れば、たちまち陽光がわたしを包み込む。風もほとんどない日、ゴスペル歌手が"Lord, deliver me"と歌う、その力強い叫びがイヤホンを通じて鼓膜を揺らす。そのとき、わたしは確かに神を見る。クリスチャンでもない、私にとっての神は私の中にしか存在しない、しかしときには、神のしっぽを掴みかけたような感じがする日もある。もし、それをしかと握ることが叶ったのなら、私の日々の空想よりももっと幻想的な世界に行けるのだろうか。
・死ぬ夢の中での死に際、非常に恐ろしいながらも、これで終わるのだという高揚感も確かにあって、不思議な鼓動の早まり方をした。まるで恋みたいだった、そういう高鳴りである。破滅的な恋と死とは近いものなのかもしれない。やるべきじゃない。