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私小説01

ショッピングセンターで手を絡めて歩くカップルを見ても殺してやるなどと思わないようにしている。
そのカップルとその付近をたまたま歩いているだけの私は何の加害被害の関係もないし、幸福を享受する他人が目に入るだけで攻撃されたと思ってしまうのは本当に幸せになれない人だってインターネットが言ってた。インターネットは凄い。ソイツの顔面容姿が想像がつかないもんだから一定のそれらしい言葉を羅列すれば偉い学者の新書の一説を読んだ気分になれる。
こうして、左脳がこのような論理展開を私の身体に働きかけることによって本来であれば三途の川を境界線に二度と会えなくなっていたであろうカップルの未来を救ってやっているのだ。バッドエンドな本来の世界線を自分の論理思考1つで平和へと導いている感覚で悪くない。人知れずかけがえのない命を繋ぎとめるヒーローだ。

ヒーロー?
ショッピングセンターでカップルを見て殺すか殺さないかの選択肢が出てくるヤツが??

私がツッコミを入れてくる。

一ヶ月前にオーストラリアに留学した際に夜道を歩いていたら
「「I Lost!!」」
と叫んで気狂いの女がこちらを追い掛けてきた。
理不尽というのは何も社会の風当たりだけでなくこうした物理的な恐怖をも内包している。その理不尽にならないように必死に自制をすることだって善性の考えの筈に違いない。
私が私に論破を試みる。

そもそも起点がおかしいんだよ。
そのカップルを殺すか殺さないかの選択肢が出てくる対象という起点が。そのカップル、もっと言うと容姿が整った女性声優のようなルックスとミニだがダサく感じさせないスカートを穿いた美的感覚も持っている女を侍らせている男と自分とで勝手に優劣をつけて勝手に負けて勝手に苦しんでいるだけなんだろうが。

エスカレーターに乗った私の前のカップルがイチャつきをヒートアップさせている一方でこちらのディベートの熱も負けていない。

持たざる者なりの矜持がある。持たざる者が持つ者に対して嫉妬を抱くのは仕方のないことで、その嫉妬をどのように消化するのかという方法に知恵と品性が必要であり、その知恵こそが自分をヒーローと思い込み自己肯定感を上げ、品性こそが殺生を起こさないという理性である。手元の手札の中で最大限やりくりした結果なのだ。

持つ、持たざるって女の話?その「持たざる者」が持つ者のトロフィーを軸に一生生きてたらいつかパンクして、行き着く先はインセルだろ。

女はクソだから仕方ないんだ。

女性声優の写真集を探し求めて今本屋巡ってるヤツが女はクソだ、だってさ。結局持ってないトロフィーに依存してるだけじゃん。

女体は好きなんだ。

女体は好きで女は嫌いって、女が好きで好きでたまらなさそうで良いと思う。

2階のエスカレーターの頂上を登り詰めた私と3階のエスカレーターの底辺に差し掛かったカップル。
その距離がいたずらした。
容姿が整った女性声優のミニスカの中身のパンツが少しチラっと見えた。

私のジーンズのチャックが少し蠢く。

エロいもん見れたからいいや、という私とパンチラが体験できる女性の淫靡な部分の限界である私に対して、このエロいもんを好き放題出来る男はやはり殺した方が良いのではないだろうという私がまた言い争っていた。


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