手塚治虫(1929-1989)と呉 智英(1946-/くれ・ともふさ)の1988年の対談。手塚氏は翌年(1989年)の2月に亡くなられるので、↓やはり?やつれて見える。
《1988年3月15日に、突然腹部の激痛にみまわれ、救急搬送される。検査の結果進行性のスキルス胃癌と判明し半蔵門病院に入院、胃の4分の3を切除する。5月に退院し、以前と全く変わらない多作振りを見せたものの、入院前に比べ次第に身体は痩せ細り、時折休憩を挟まないと描き続けられないほど体力が低下していった。同年10月に再入院。》 ※手塚のWikipediaを引用
「漫画の神様」が語っているから「客観的で間違いのない漫画史」とは限らないので、私は気付かないが、手塚氏なりのバイアス(誤認識)があるかも。
「劇画(昭和32年=1957年から使用?)」は映画だと「ノワール」だと思う。
掲載された『波』(新潮社)1988年8月号の書影と目次。定価70円の小冊子。
ヘッダー画像(アイキャッチと呼ぶ?らしい)は↓公式サイトから借りました。
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