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【ニジンスキー】のミニ・バイオグラフィー

推理クイズ本『世界の偉人は名探偵』〈1987年版〉の[P.95-96]からの引用。


幻の天才舞踊家〉 ニジンスキー(ロシア 1890-1950)

_ロシア帝室バレー団の第一踊り手として、芸術の都パリで、はなばなしくデビューした。とくに二三歳のとき、みずから振りつけた「牧神の午後」は、ヨーロッパはもとより、全世界に一大センセーションを巻きおこした。「彼の跳躍は、あたかも無限の空間へ飛び去るような感じを与える。彼の芸術にあふれる知性は豊かで、また変化に富み、天才の域に達している。彼は古代ギリシアの神、古典美の理想の完ぺきな肉体化を完成した」_と、有名な彫刻家ロダンは絶賛した。「わたしは肉体に宿った神である」_ニジンスキー自身も、日記にこう書いている。_彼は、バレー団の主宰者で希代(きだい)の興行師ディアギレフとホモの関係にあった。ところが、南米巡業中、貴族出身のバレリーナと結婚したため、ディアギレフの嫉妬を買って、バレー団から追放された。_その後、ヨーロッパ各国から出演の依頼はあったが、いかに不世出(ふせいしゅつ)の天才舞踊家でも、世界一のバレー団からしめ出されては、存分に才能を発揮することができない。不振のうちに第一次大戦がはじまったので、彼は戦火をのがれて、スイスに移住し、新作バレーの構想を練っているとき、突然、発狂して精神病院に収容された。二九歳のときである。それ以来、三一年間も廃人としてすごした。_舞踊家として活躍したのは、ほんの四、五年の短い期間であったが、それは、あたかも一瞬の光を放って無限の彼方へ飛び去るすい星のような生涯だった。

 ディアギレフ(1872-1929)の日本語版wikiより。《一生にわたって同性愛者であり続け、性愛の対象を一流の芸術に触れさせて教育するという習慣を持っていた。その相手として最も有名なのはニジンスキーであり、その後レオニード・マシーン、アントン・ドーリン、セルジュ・リファールや、晩年の秘書ボリス・コフノも同性愛の対象であった。》   ナントカ事務所の創始者?


ニジンスキーに関する↓映像作品が何本か存在するようだ。私は未見です。


↓Amazonの書籍での「ニジンスキー」の検索結果。私は一冊も読んでません


コリン・ウィルソン
の『アウトサイダー』にもニジンスキーは登場している


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#世界の偉人は名探偵 #藤原宰太郎 #偉人伝 #バイオグラフィー


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