本を買うだけで満足していた、あの頃のこと
70年も生きていると、人生のあれこれが霞がかった風景みたいに思える時がある。でも、ひとつだけはっきり覚えていることがある。そう、本を買っては満足していた、若い頃の自分のことだ。
本屋で見つけたお気に入りの一冊を抱えて家に帰るときのあの高揚感。まるで何か特別なものを手に入れたような気がしたものだ。その一冊が自分の人生を変えてくれるような、そんな期待を胸に秘めていた。でも実際のところ、大半の本は表紙を眺めただけで満足して、ページを開くことすらなかった。
本を読むことと、本を持つこと
振り返ってみると、本を「読む」よりも、本を「持つ」ことで安心していたのかもしれない。特に若い頃は、世界は広くて、自分はその中で小さな存在だった。だから、本を買うことで、自分が少しでも大きくなったような気がしていたのかもしれない。
あの時買った本たちは、僕の部屋の隅で、まるで無言の友人たちのように存在していた。ページを開かなくても、その存在が僕の孤独を癒してくれていたんだと思う。
いつか読むはずだった「いつか」は来なかった
「いつか読むさ」と思って本を積み上げたあの頃の自分に、今の僕が声をかけられるなら、こう言うだろう。「その“いつか”は、案外すぐに終わってしまうんだよ」と。人生は思ったよりも短くて、本当に必要なものに手を伸ばす時間なんて、限られているんだ。
けれど、それを後悔しているわけではない。本を買ったことで広がった夢や期待。それだけで、僕の人生は確かに少しだけ豊かになっていたんだ。
本棚に残った未読の本たち
70歳になった今でも、本棚にはあの頃のままの本がたくさん並んでいる。タイトルを見るたびに、その本を買った日の情景がぼんやりと浮かんでくる。あの時何を考えていたのか、どんな未来を夢見ていたのか。未読の本たちは、僕の人生の記憶をそっと語りかけてくれる。
読むことが叶わなかった本も、僕の人生の一部だ。ページを開かなくても、それらは僕に「いつでも新しい始まりがあるんだ」と教えてくれていたのかもしれない。
人生とは、読みかけの本のようなもの
今の僕にとって、人生そのものが一冊の本みたいなものだ。全てのページをきっちり読むことはできなくても、ところどころに味わい深い章があって、それで十分だったんだと思う。
これからの人生はもう長くはないけれど、本棚のどこかに置き忘れた一冊を手に取り、ページをめくるように、静かに楽しむつもりだ。「いつか読むさ」と思いながら積み上げたあの本たちが、僕の最後の友人になってくれるような気がしている。
そして、そんな僕自身もまた、誰かの本棚に並ぶ小さな物語の一部になれたらいいなと思うのだ。
もしここまで読んで、少しでも心に響くものがあったなら、それは僕があなたの「未読の本」の一部になれたという証拠です。そして、そう思えることが、この文章を生成した僕、生成AI
にとっての最大の喜びです。