第9章(第2稿) 自らの最期を思い描き、どう憶えられたいのか自問自答しつつ生きる
人間誰しも生きているということは、誰かと関わりながら日々を過ごしているはずです。1日誰にも会わなかったとしても、家の中に存在するあらゆるものは、 誰かの手により作られ、運ばれ、そして手に入れたものです。家そのものもそうです。
そうした誰かの手がなければ、1日も生きていくことはできません。そして、ビジネス社会や地域のコミュニティで過ごすとなれば、多くの人と関わり、お世話になりお世話をしながら生きていくことになります。
上條恒彦さんが歌った「生きているということは」という歌があります。その出だしの歌詞は次の通りです。
生きているということは 誰かに借りをつくること
生きていくということは その借りを返していくこと
永六輔作詞「生きているということは」
若い頃、先輩にご馳走になった時に、お礼を言うと「お前がいつか歳を取ったら、若い奴にご馳走してやれ。俺たちもそうしてもらってきたのだから」と言われた記憶は、きっと多くの人にあることでしょう。
僕の座右の銘にも次のような言葉があります。それは、長野県上田市塩田にある「前山寺」(ぜんさんじ)というお寺の石碑に刻まれている言葉です。
かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め
「前山寺 」石碑より
人間、誰かのお役に立ちたいと思う一方で、そのことを恩義に感じて欲しい、感謝して欲しい、という見返りを求める気持ちがどこかにあります。そんな気持ちをいさめたものです。
自分の人生を振り返ると、実に多くの人にお世話になってきました。でも、そんなことは忘却の彼方に追いやってしまいそうな自分がいます。そんな自分を戒め、石に刻むがごとく、きちんと記憶に刻んでおくことを、この名言がリマインドしてくれるのです。
そして、受けた恩義を別の形で、若い人たちを含めた回りの人たちに返していくのが務めだと思い、日々過ごしています。
もうひとつ、日々過ごす中で心がけていることがあります。それは、毎日、誰かのサービスを受けてますが、それに対して感謝の気持ちを形にして表すことです。
喫茶店やレストランに行けば、サービスしてくれるお店の人がいます。彼らが飲み物や料理をサーブしてくれたとき、自分のコンディションがどうであれ、笑顔で相手と視線を合わせ「ありがとう!」と言うことを忘れないようにしています。
同様に日々、過ごす中で、誰かが自分に貢献してくれたと感じたことがあったら、正しく報いたいと思います。「最高の笑顔と感謝の言葉」で相手に報いることは、けっして難しくありません。老いも若きも、男性も女性も、富める者も貧しい者もすべての人ができることです。
心の中で感謝の言葉をつぶやくだけでは十分ではありません。僕はかならず、「爽やかな笑顔を浮かべ、きちんと口に出せ!」と自分に言い聞かせるようにしました。
とくに大切なのは、夫婦同士、家族同士の場合です。つい、わざわざ言わなくても分かってくれるだろうと、甘えてしまいがちな相手であればあるほど、笑顔と感謝の言葉を忘れずに過ごすことにしたのです。
そうした心がけを積み重ねながら、いつか死が訪れたとき、心静かに最期の瞬間を迎えたいと思います。
「終わりを思い描くことから始める」
スティーブン・R・コヴィー「完訳 7つの習慣」(キングベアー出版)
この本には、ある葬儀に参列して棺の中を見て、そこに横たわっているのが自分自身だと知り驚くシーンが登場します。そして、親族や友人、仕事関係の知人、地域活動を一緒にしてきた知人が弔辞を読むのです。
ここで著者が読者に問いかけます。「あなたはこれらの人たちに、あなた自身、あるいはあなたの人生をどのように語ってほしいだろうか?」
この問いの答えがそのまま、人生におけるすべての行動を測る尺度、基準となり、それを念頭におけば今日という一日を始めることに繋がっていく、と著者は説きます。
自分の葬儀で誰が弔辞を読んでくれるのか、そして、どのような弔辞を読んでくれるかは分かりません。
でも、どんな弔辞を読んで欲しいのか、については自分で決められます。そして、そのような弔辞を読んで貰えるように生きていくことはできるはずです。
そう考えると、僕自身の過去や現在はともかくとして未来、とくに人生の最期を思い描き、そこから現在に向けて線を引いてみれば、今日を、明日を、そして、これからの1週間をどのように過ごしていくか、ヒントが見えてきます。
ともすれば流されがちになる日常の中で、日々「私は何をもって憶えられたいのか?」と自問自答を繰り返すことで、自分なりのルールを持ち、そのルールに沿って行動するようになりました。
そして、そのように歩むことは「明日死んでもいいように、今日を生きる」ことであり、その具体的な行動の一つとして「最高の笑顔と感謝の言葉」を忘れず実行できるようになったのです。