6夜の話
タイトル 傾奇者=躁鬱患者説
大学に着物を着て通おうとしたことがある。煙管をふかし、天狗の高下駄を履いて、緑の和着物を着ていったら、傾奇者だと思われるに違いない。実際、傾奇者とは隆慶一郎の言によれば、自分の志を貫くために奇矯な振る舞いをする人々とあるので、あながち間違ってはいないのではなかろうか。 しかし、残念ながら僕には生きるうえでの志や信念はなかった。奇矯な振る舞いばかりが目立って、本質がかけていた。amazonで作務衣を購入しようと思う、しかるに8万円貸していただきたい。両親に相談したときにはかなり心配そうな顔をされた。
大学に行っても講義には出ず図書館で本ばかり読んでいた。講義を受けようとすると憂鬱な気分に襲われた。周りが馬鹿に見えてしかたなかった僕は、講義に出ていないがレポート代行をして見せると、うそぶいて、大学で有名人になりつつあった。僕は自分のレポートを仕上げる代わりに、周囲の学生たちのレポートを安請け合いで書きまくり、貰い受けた彼らのバイト代を競馬、パチンコ、スロットなどの賭博に費やす日々が続いた。
留年が決まった。僕はCR真花の慶次で買った16万で当時刊行されたばかりの池澤夏樹の世界文学全集を購入した。僕は勝利に酔いしれ全集の第1巻である『オン・ザ・ロード』を読んだ。ビート・ジェネレーションの作家に影響を受けたのはそのときだ。それまで僕は太宰治や、ドストエフスキー、三島由紀夫といった作家を好んで読んでいたこともあって、こんな文学が存在するのか、とカルチャーショックを受けた。主人公サル・パラダイスの友人ディーンは傾奇者のように思えた。いや、どちらかといえばディーンは僕だ、信念があるようでない、それでいて狂った行為ばかり繰り返す、だからディーンは僕で、僕はディーンだ、と。
それから半年くらいは家でジャックケルアックやウィリアムパロウズやアレン・ギンズバーグの詩を読む日が続いた。
雨の日の夜、田舎道を一人でランニングする男がいた。彼は素っ裸で共同墓地へ向かって走っていた。数日前、心療内科でうつ病との診断を受けた彼は当時の僕で、抗うつ薬パキシルを飲んでパッキパキに決まっていた。パキシルは双極性障害、つまりは躁鬱には劇薬なのだが、まだ受診歴が浅く誤診されて処方されたのだ。
墓地につくとひんやりとする墓石に腰掛けて手に持っていた、コンビニで売っているようなやすい葉巻を吸った。時期に雨がやんだ。日が登る前に実家に帰らなくては。
当時、両親は僕の偽傾奇者ぶりに愛想をつかしつつあった。ディーンが仲間の多くにそうされてきたように。父親は、家で寝込むことが多くなっていた僕に、生きている意味あるのか?ときつい言葉をかけた。
『大丈夫だよ、俺もまた雨が降ったらさ、ほら、ランニング行くからさ』と、とても大丈夫とは思えない言葉を発した僕を、両親は精神病院に連れていくことにした。
その病院で判明したのが、僕はうつ病ではなく、躁鬱病だということだった。感情の大きなアップダウンは生来のものというより、病気が大きく関係しているということだった。
僕は大学を中退して躁鬱病やギャンブル依存症と付き合っていくことになった。僕は偽傾奇者、信念や志をもたぬ狂人だった。
しかし、入院した精神科の病室で村上龍のコインロッカーベイビーズを読んで、そういえば小説が大好きだったっけと思い出した。僕は、そのときから真の傾奇者になろうとしている。それは小説を書き続けていくという志と信念を持った傾奇者になるということ。
さあ、行こう。リベンジマッチだ。