11夜の話
タイトル 暗渠と悪童
幼いころSとTが玩具の取り合いで喧嘩をすると、父親はひどく怒った。ある時はひどく尻を打った。それ以来2人はものの取り合いをせず、団地でも評判のいい兄弟になった。
SとTはよく似ていた。顔つきはもちろん、体格や、考え方、物の見方までそっくりだった。双子のような特異な例を除いて、似た者同士は互いを敵視してしまいがちだがSとTの場合は違った。ふたりは兄弟であることに強い自覚を持って互いを尊重しあっていた。
仮初めの調和が崩れるのはあの夏。
団地にUの家族が越してきたのだった。
ふたりがUと出会ったのは団地の裏の用水路でザリガニを釣ろうとしていたときのことだ。SはTの釣り竿に煮干しをくくりつけてやったのだが、Tがザリガニのハサミの前に煮干しを流してやっても挟もうとしなかった。
「なかなか難しいね」Tは割り箸の竿を水面でポチャポチャさせる。
「捕虫網ですくってみようか」Sが言った。
Tが言われた通りすると、ザリガニ捕虫網に包まれた。
「今だ陸に上げろ」
Sは力まかせに捕虫網を引き上げた。空中に放り出されたザリガニは放物線を描いて地面に打ちつけられた。Tはザリガニの甲殻が割れる音を耳にした。ふたりは死んだザリガニから魚臭い匂いがするのをかいだ。
そのとき女の子が犬を連れて歩いてきた。
「暗渠を見に行くの」
Uと名乗った少女は、ふたりの住む団地に昨日引越してきたのだといい、暗渠の場所を訊ねた。
白いセントバーナード犬はザリガニに興味を持って匂いをかいだり、舐めたりしている。
「かわいそう。あなた達が釣ったんでしょ?お墓くらい掘ってあげたら?」
「暗渠を案内するよ」Sが言った。
捕虫網にザリガニの死骸を救ったTは、水葬にしようと言った。「この用水路をずっと辿れば暗渠の口が見えるよ」
セントバーナード犬を散歩させてみたいとふたりが言うのでUは手綱を持たせてやり、「双子なの?」と訊ねた。
「Sが兄貴で」Tが言い、「Tは弟だ」とSはTを指指す。
「よく似てるね、喋り方も顔も」
『僕らは仲良くしろっていつも両親に躾けられたんだ。』
暗渠の周囲は背の高い林に囲まれていて危険なため、近づいてはいけないことになっていたが、Uはどうしても見てみたいといった。セントバーナードノリードのリードをフェンスに縛りつけ、3人は暗渠が見おろせる場所まで歩いていった。
深くて暗い、暗渠の縁に膝をついて中を覗き込むUの声は震えていた。髪は垂れ下がり、首筋には汗が浮かんでいた。食い入るように暗渠の底を見つめている。
「S、T、やっぱり暗渠は思ってた通り恐いよ」
SはTに耳打ちする。
「なかなか可愛い子じゃないか」
TもSの耳に口を近づける。
「そうだね、好きになっちゃいそうなくらい。綺麗な子だからね。」
「僕もそう思う」
「兄さんもか。」
ふたりは顔を見合わせるーー。
「お前先に帰ってなよ、あのセントバーナード犬連れてさ」Sが言う。
「兄さんが帰りなよ」
ふたりの言い争いがはじめたのを聞いたUは、顔を上げた。
振り返ると武器にするための捕虫網を奪い合って2人が掴み合っているのを見た。捕虫網はSが奪った。Tは叫び声をあげてザリガニの死骸を拾いSの顔めがけて投げつけた。Sがそれをかわしたため、ザリガニはUの胸のあたりを掠めて、暗渠の淵に乗っかった。
「やめて、汚い!」
叫んだUは立ち上がったが動揺してふらふら前後に体を揺すった。砂が削れる嫌な音とともに足を滑らして暗渠に吸い込まれた。ふたりは慌てて喧嘩をやめたが、すでにUの姿は深い暗渠に流されていた。
大声で叫んで林から飛び出していく2人の少年の背中を、暗渠の淵カラグチャグチャのザリガニの潰れた目玉が見つめていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?