全日本まで振り返り
「練り間」管理人です。久しぶりの投稿になります。というのも、Winning Eye を走りながら目指していたら故障しまくりで、一度その練習を中断していた(る)からです。ただ、トレーニング自体は継続していました。
来年から就職しトレーニング環境に変化が生じるということと、トレーニングレベルを上げる前の基礎鍛錬終了を目指す節目として、10月23・24日にあった全日本オリエンテーリング選手権を競技歴の一つの節目として昨年度から目指していました。
居住地を静岡県として1年余りを過ごしたので、どのようにトレーニングが進んだのかを備忘録として残しておきたいと思います。
2020 春
喘息の元となっている花粉症と、COVID流行を言い訳に、まる2ヶ月走らなかったところからスタート。GWからマスクを着けてリハビリジョグを開始するも、足底筋膜炎とかを結構やっていた気がします。1ヶ月かけてなんとか60分ジョグをできるようになったような……
オリエンテーリングは近所の公園でシミュレーショントレーニングを試してみていました。6月でようやく月に200kmくらい走れるようになりました。
2020年 夏
シミュレーショントレーニングに精を出していました。インターバル走やLSDに地図トレを取り入れ、フォームが乱れていったと思われます。7月もオリエンテーリングはゼロでした。人生でたぶん初めて月に280km走ります。
8月になると、9月の東大OLK大会へ向け、3月以来のオリエンテーリングを行いました。主にはサマーチャレンジOLの利用ですが、振動ダイレクトな感じの車での長距離移動が増え、腰に負担がかかり始めつつ、脚の疲労も慢性化しているようです。問題の東大OLK大会は体力的には全く問題なく、1つの致命的なミスを除けばなかなか良いレースでしたが、記録を残せず失格。
2020年 秋
目標大会もないので自分のオリエンテーリングは行わず、コーチをしている学生たちのために何度か静岡東部←→日光の下道日帰りドライブを敢行して全身が石化した季節です。
中旬に東京へ寄った隙に5000mのタイムトライアルを行いました。16:57のPBタイムでしたが、上半身は石だったようです。それまではロードジョグが基本でしたが、徐々に不整地を日常的に走るようにコースを探し始めました。走行距離も11月に300kmを超えられたものの、体のアライメントが狂っていることを常に感じていました。
2020年-2021年 冬
崩壊の始まり。良い時と悪い時の差が激しく、ジョグでの違和感や小さい故障も多発しています。一方でまだまだ走行距離を伸ばそう、強度をあげようと考えていて、身体と気持ちが大きくズレていました。
また、富士でのオリエンテーリングや近所のテレインジョグも数回行っていて、テレイン走のキツさを認識した頃だったと思われます。
そして、2月頭からスギ花粉と故障気味とで、基本はジョグです。
2021年 春
3月は花粉と故障と就職活動で終わってる月です。4月の代表選考会を目指すために何度かマスクをつけたままオリエンテーリングに挑戦していますが、あまり効果はありません。さらには、本格的に身体の動きが悪化していき、ジョグを20分行うことすら困難になりました。
そこで、富士市へ鍼治療を受けに通うようになりました。硬くなった腰が右に回旋していて、坐骨神経痛の原因となっていました。治療院へ2週間に1度通うことで、動かしながら体のバランスを戻すという話です。その甲斐あって、5月中旬には60分ジョグと200mインターバルをできるようになりました。ただ、当然まだバランスは悪いので、軽い故障を断続的に発症し、治療し、の繰り返しです。しかし、JOA合宿も日帰りで利用しながら、明確に全日本大会を目指せるようになってきました。
2021年 夏
故障予防のためにランニングの基本は芝などの平らな不整地とトラックにし、不慣れなオリエンテーリングは低負荷なLSDとして技術練習のみに特化させました。しかし、今振り返ると、オリエンテーリングのHow Toを忘れていたので、せっかく用意したメニューを有効活用できていなかったように思います。つまり、メニューのレベルがリハビリとしては高すぎました。
その一方、ポイント練習の設定は1年前よりも早く余裕をもって進めていくことができていました。小さな故障や調子の良し悪しはあるものの、継続的に練習をできています。インターバルも400m×10はほとんど練習にならない程度にこなせるようになり、ペース走も余裕を十分に残せるようになっていました。
レースについては、全日本出場権を求めて出場した2本です。6月の姫木平ではペース走不足で失速したものの、7月末の菅平ダウンヒルでは2位とレースもまとまり、経過は順調と思える内容でした。8月は(完全自主隔離後に)祖父母宅へ1週間帰省していました。
直前期
全日本大会に向けて足りないものを補い、仕上げにかかった時期です。
登りの速さについては弱さを認識していたので、筋肉の使い方からアプローチし、お尻を使う上り方と、前腿を使う登り方の両方を坂道を使って練習するようにはしました。ただ、心肺機能を効率的に向上させるための陸上練習では、1年前より5~10秒早い設定の1000mのインターバル走や、12000mのペース走を導入できるようになっていて、成長を感じられました。さらに、起伏多めのクロカンでの高負荷練習もできるようになっていて、体力的な水準はバランスが整った非常に良い状態でした。主眼はミドルディスタンスと決めていたので、ロングディスタンス競技の準備はほとんど全く行っていませんでしたが、それなりに積めているから110分くらいならバテることはないだろうとは言われていました。
まあ、あったよね
オリエンテーリングに関してはそれ以前はJogやLSDペースばかりでしたが、サマーチャレンジテレインで9/5, 24, 10/9, 14 の4日間、合計160分程度無理なくスピードを出すミドル練習を行いました。キロ当たりタイムや、同コースを別日に走った選手たちと比較しても、スピードの水準はミドル入賞に相当すると思われるところまで上がっていると考えていました。また、技術に関しては日常からコンパスワークに集中して取り組み、大会1週間前のコリドアOにおいて、直進の精度やマップコンタクトのリズムは国内でなら伊藤選手や入江選手以外に負けないだろうと自信を得ます。不慣れな読図走に関しては、Magniferによる地図の拡大と、直進による読図範囲の限定でカバーする戦略を取り、スピードのメリハリをつければ問題ないと感じていました。
まだまだですが、コツをつかみ始めた最終コリドアO
また、レース準備として、予想地図の作成とイメージトレーニングには特に励みました。もうやりたくないです。優しいのでクラブ員には提供してました。前中選手は予想コースを組んで提供してくれたのでいい人です。
iPhoneSE用読図ファイル。ミドル本番では2レッグだけだった。
調整期
2週間前から調整に入りました。疲労が溜まっていたので、練習量を大きく落とし、コンディションを整えます。鍼の先生には4月と見間違う身体になったと言っていただき(ただ、まだ使い方が不十分なのだろう、とも)、半年ぶりくらいに体重を測ると2kgくらいは絞れていました。ここ数年ではベストの絞れ方です。おやつをフルーツグラノーラから、ミューズリーやオートミールに変更したからな気がします。甘い物が好きなので、コロナ禍以降のお菓子を買わない生活は結構きつかったんですが、最近は食事が自分の育成ゲーム化していて大丈夫でした。
最後のスピードを出すOL練習。マーキング無しでスルーミス含めて32:03。
プログラムが出る前の1週間も、出てからの1週間も、毎日、毎時間、ずっと楽しみでした。小牧選手はずっと強いし、伊藤選手や前中選手が今年の全日本大会に懸けていることを知っていたから、彼らにどこまで迫れるか。夢のような日々でした。1週間前にフォームが乱れて膝を少し痛めたのですが、トレーニングを継続できたことも、大きな故障の不安もない中、運と実力以外が絡まない状態でレースに臨めることが本当に嬉しくて、幸せでした。その反面、色々と放置して犠牲になってるけど。。。
レース
父が脚を故障中でも遠征に同行してくれたことで、最後のイメージトレーニングを含めて、前日からレースに向けた準備は100%不安のない内容で、結果に対する言い訳が何一つない状態で本番を迎えることができました。
足場が想定よりも荒れていたり、高地順応が間に合わずにフィジカルが上手く発揮されないながらも、レース内容は8番/25番まで非常に冷静で良いオリエンテーリングでした(1番のアタックで20秒ロスしましたが)。そのあとは不慣れなレース展開や打撲転倒、練習できなかった藪や登りで乱れ失速していったものの、レース内容も結果もこれまでの練習の全てを反映したものになったと思います。ある練習したことは全てできて、しなかったことは全てできませんでした。
結果は目標の6位以内には届かず、トップ+6:50、6位+1:28の12位でした。レースを終えると、9に向かう途中の読図中に笹藪に隠れた倒木の根で打撲した膝上が酷く腫れて10時間以上冷やし続けて寝て起きても屈伸できなかったため、24日のロングディスタンスは出走を棄権しました。
ミドルディスタンスも高地で序盤から息苦しいだけで心拍数はレース中に減少していて、フィジカル的に出し切れなかったという感覚があったり、ロングを走れなかったりと、消化不良感のある帰路でしたが、同志の力走には胸を打つものがありました。
数年前のオリエンティアAdvent Calendarで、管理人は「インカレのような熱い舞台が他にない。全日本の後に感極まっている選手が見られない」というようなことを綴っていました。しかし、今年の全日本大会は運営者陣の思いに絶対的な信頼を置けたし、明確に目標としてトレーニングし続ける同志がいたから、管理人も迷うことなく全日本大会を目標に据えることができました。フィニッシュ後に膝から崩れて嗚咽する選手も、安堵から一気に表情が緩む選手もいました。
今年は「練り間」管理人は夢を見せることはできませんでしたが、見せてもらった夢に報いる走りを、これまでの恩人たちに報いる走りを来年こそは。そして何より自分の目指す走りのために。
今年27回。思ったよりはOLしてた。1日40~90分なので実践量は少ない。
これから
ひとまず苦しくない範囲でオリエンテーリングに集中し切るピリオドはこれで一区切りで、次に向かう前に一度研究をどうにかする時間です。
それが明けると、自由に使える全ての精神的エネルギーと時間をオリエンテーリングのために使うピリオドが始まります。管理人のような凡人はそれこそ、頭がおかしくなるくらい練習しないと老化に間に合わないような気がします。まずは壊れない強靭な身体を作ることです。この冬は焦らずそれに集中していきます。
来年の全日本までは、スイスのWorld CupかO-Ringen等の北欧レースをターゲットにしようと思っています。国内では日常的に合宿を行うためにキャンプ場で生活することを検討し始めました。誰かテント泊教えてください。
またどこかでお会いしましょう。
P.S.
コロナ次第ですが、花粉から逃げるために2月ごろから3月ごろにスペインかどこかに遠征しようかと考え始めています。雪が少ないなら北に行ってもいいけど。行きたい人いたら一緒に行きましょう。
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