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アマチュアコーチは何をできるのか

スポーツにおける心技体。
「技」の手本を示したり、その磨き方だったりを教えることは、コーチにできることだ。
「体」のつくり方を教えることも、コーチにできることだ。
「心」はどうやって育てればよいのだろう。


私は現在、2年前に卒業した母校のオリエンテーリングクラブにおいてコーチを務めている。昨年も務めた。現役学生はだいたい70人前後で、3人のコーチがチームの相手をしていく(実際は120人くらいの多大学サークルなので、大学ごとに1〜3人のコーチがつく。便宜上、指導対象をチームとしてカウントする)。

コーチとしての仕事は、実際のオリエンテーリング技術指導を始めとして、目標設定に付き合ったり、レースの反省を添削したり、大会のサポートをしたり。所詮はアマチュアコーチなので、そんなに密にやるわけではない。彼らの成長を促す程度だ。

チームの目標は年によって異なるが、近年は3月の学生選手権の団体戦(3人リレー)での優勝を挙げることが多い。はて、と、ここで疑問を浮かべる人もいるかもしれない。
個人競技で部活(運動会)でもないくせに、70人から代表3人だけが走るリレーを目標にするのか、と。残る67人に何の利があるのか、と。

まあ、そうだ。そこが根深い問題な気もする。
私個人は、67人が楽しく活動したり、練習に励んだりすることが3人を支えていくわけで、3人の活躍は自分たちの勲章みたいなもんじゃんと思ったりしているわけだが、チームの目標を別世界のものと捉える人が少なくないのも事実であるようだと4年次に気付かされた。

少々脱線したが、さてさて、こんな訳で、オリエンテーリングを上手くなりたいという人と、ただ楽しくサークル活動をしたい人たちとが入り混じっているチームのコーチを私はしているのだ。
ここ数年では、チーム内の人々のバランスがある程度良好に保たれ、ワイワイやりたい人はワイワイやるし、頑張る人は頑張る、そんな環境になっていた、ように思う。いや、単なる懐古かもしれないが、当面の間、崩壊の兆しは見られなかった。
ところが、新歓活動のゆらぎなのか、数年間の小さな出来事の積み重ねなのか、徐々に徐々にオリエンテーリングを頑張り続ける学生の割合が減ってきた。しかも、そんな最中の新型コロナウイルス流行により、学生たちのモチベーションはドン底といって違いない。もちろん、未だに全国大会の中止が決定されていない時点で、インターハイや甲子園より恵まれている。が、オリエンテーリングクラブのコーチとしては他のスポーツがどうとか関係ない。

私は何をしたらよいのでしょう?

いやね、「チームの目標は団体戦優勝、ただ一つ!」というなら、モチベーションのある少数の学生だけみっちり教えてもいいわけよ。よくないかも知れないけど、一応、務めは果たせるわけ。

一方、「(クラブ内で)オリエンテーリング活動に参加する人を増やすのが目標」って言われたら何をしたらいいんだろうか。いや、そもそも何かをすべきなのか。もし「サークル内でテニスをする人を増やしたい!」という目標のテニサーがあったとしたら、そこはもはや飲みサーだったのではないか。
もちろん、実際のオリエンテーリングを通じてオリエンテーリングの楽しさを伝えるのはコーチに出来ることだし、すべきことだろう。ただし、活動に参加していない人を活動に引っ張り出すのはコーチの範疇から外れている気がしている。オリエンテーリングするもしないも個人の自由だもの。したくないならしなければいいし。兆しのない人へのそれはきっと過干渉だ。
その人と一緒にオリエンテーリングしたいのなら、仲間として、友人として誘うのがスジなのではないかと思える。思えてきた。改めていま書きながら。うん。

という訳で、オリエンテーリングの上達に全く興味がない人や、オリエンテーリング自体に興味が薄い人をコーチとして時間を費やすことに関しては、そもそも殆ど関心がないし、責任もないだろう。

情熱という名の苗は選手が中心となって育てる方が自然だと思っているし、アマチュアコーチは甲斐甲斐しく世話を焼くブリーダーではない。コーチが出来ることといったら、せいぜい、たまに肥料を与えたり、鉢植えを替えたりするくらいのものだ。種を蒔くのも、芽を出すのも、毎日水をやるのも、並のコーチでは出来ないように思う。少なくとも私には出来ないし、そこまでお人好しでありたくもない。情熱を、「心」を見つけるのは、あくまで選手の役目だというのが私の考えである。

で、一番頭を悩ませていることは、果たして団体戦優勝という目標を支える環境がチーム内に残るのか?ということだ。チームの9割以上が情熱を失った現状のままでは、目標は夢のまた夢という予感がしている。チームのエースたちがトラブルなく圧倒的な情熱で一年を走り切れれば話は変わる。が、オリエンテーリングをする学生は大概にして賢く、モチベーションにムラっけがあるので、大きな失敗のリスクを背負った努力をし続ける選手が複数育つ保証もない。
つまり、情熱を学生たちに取り戻さなければ、そもそものコーチの務めを果たすことにはならない、かも知れない。しかも、その情熱は取り戻すものではないかも知れない。

コーチが変われば選手が変わる」という言葉を見た。

選手を変えようとする、その考え方そのものを転換することで全てが変わると伊藤氏は言う。
「選手が思うようにならないと悩む人が多いのですが、そもそも選手をうまくコントロールしようとしても、自分の分身ではないのですから操ることなどできません。他人は変えられないのです。では何を変えるか。単純です。自分が変わればいいのです。頑張れという前に自分が頑張る。勉強しろという前に自分が勉強する。コーチが変われば環境が変わり、環境が変われば選手たちもそれに適応して変わっていくのです」


オリエンテーリングが好きという姿勢はここ数年間ずっと見せてきたと思う。このコロナ禍では、自宅で楽しめる練習やイベントも連日のように紹介・企画してみた。我々コーチが持つ情熱を分け与えたつもりだ。

学生の情熱を生むために、相当にエネルギーを注いでいると思う。しかし、反応は芳しくない。彼らの苗は枯れたのか。そもそも、そこに種はなかったのか。コーチが種を蒔くことはできないのか。

私自身も選手として向上を目指しながら、結果も見えないままボランティアで情熱を他所に注ぎ続けることには限界がある。そろそろ大学から課外活動も許可が下りる可能性もある。ここらが手の引き時か。彼らを信じて待つことが賢いのかも知れない。待った結果がたとえどうなろうとも。

私には分からない。

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