スルガ銀行の不正融資事件から思う目利きと忖度
不正な融資が1兆円!
スルガ銀行の事件は社会を揺るがすと同時に、銀行の組織が崩壊していることを示している。関わった職員は300人ということは、一人当たり300億円の不正な融資だ。
なぜこのようなことが起こるのだろうか?
銀行というものは、組織的に動くものと思われている。担当から、課長、次長、支店長と全て通らないと稟議は通らない。そのはずだか・・・
翻って自分の銀行時代を思い出してみる。
なかなか融資してもらえないはずの銀行だが、そうでは無いこともあった。バブル時代は、ゴルフ会員権を購入するための融資が流行った。バブル時代は高値(1000万以上するのもざらにあった)であったゴルフ会員権を購入するための融資をするのだ。なぜ流行るかというと。会員権は価値があるものだと考えられ担保に取れるし、高価なので融資の数字も上がる。つまりは、リスクの少ない融資が積みあがるので銀行としても業績に直結するから積極的になったのだ。
ところが、バブルがはじけて会員権はほぼ紙くずとなり、借金だけが残ることとなった・・・
今回の不動産賃貸のシェアハウス向け融資も一緒のように思う。
なぜ、同じことを繰り返すのだろうか?
銀行の担当者は、よく、
「本部がだめというから今回はできません・・・」
「上司に相談してみないと、担当ではお答えできません・・・」
などと、複雑な組織の中で、判断がされているように話している。
ところが、仕事の進め方から見ていくと、意外と属人的だということがわかる。事務マニュアルや格付けのための金融検査マニュアル等細かなルールが決められているはずなのにそのとおりにしても仕事が進むかというとそう簡単ではなかった。
まず全ての仕事は稟議と呼ばれる書類を作成し、その上で上司に決裁を仰ぐ形となる。担当者から、係長、課長、次長、部長、支店長と決済をしていくが、なかなかスムーズに判子は押してくれなかった。
係長に説明してようやく納得してもらっても、次は課長にまた同じことをする。
担当者はほとんど同じことを全ての上司に説明していた気がする。
私の部下で支店長に気に入られてたりするとぽんぽん判子が通り、決済されるのには驚いた。私が説明しようとすると、
支店長は「いいよ、もう夏坂くんとは話を済んでいるからだから印鑑押す」と言われたのだ。
夏坂からは「課長そういうことですから回しといてください。」私は、最終決裁者の強さを思うと同時に、相互牽制能力の低さを感じた。
私としては、これが諸悪のひとつではないかと感じる。つまり仕事の内容に対する判断ではなく、属人的な判断で仕事が進むのだ。またポストではなく、人なのだ。
よく、上司に「あいつに任せれば大丈夫だといわれるようになれ」といわれていたが、銀行とはそういう組織なのだ。上司に気に入られなければならず、そのとおりにしていたら、不思議と仕事はスムーズにまわっていくのだ。
問題点は、『どんな稟議でも上司が言いといえばが何でも通ってしまうことなのだ。』
私が担当者時代の鹿児島支店で戸田次長によばれて、戸田次長は、今で言うパワハラ形で、前にも話したが、机の前で30分は立たせて仕事の進捗報告や説教をするし、平気で書類を頬莉投げるような人だった。
戸田次長が私に、
「まだ稟議は出来ないのか?なぜできないのか?いつ出来るのか?」
と言われ、私が
「すいません。取引先からの資料が来ていないので出来てません。もう少し時間がかかります。」というと
次長は、「おまえは、目利きというのはわかるか?一を聞いて十想像して理解するんだよ。すべてのことがわかるわけは無いのだから。自分で仮説・検証して資料も作るんだ。わかったか?」
私は、「わかりました・・・」
わかるわけは無いが、言われたとおり、資料は、取引先の資料を1割で残り9割を自作で作成し、稟議を回す。
一番大事なことは、融資に対応できるようつじつまをあわせることだった・・・
次長は「よくできた。スピードが大事だ。」
はじめて、ほめられ私も麻痺してそんな仕事が正しいと勘違いし、銀行員となっていった・・・
今から思うと、自作の資料でつじつまを合わせて、稟議を起こしていたように思う。それを仮説と検証で目利きだと勘違いするような文化が根付いていた組織は、いつ崩壊してもおかしくなかったのだろう・・・