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スルガ銀行不正融資からみる暴走する銀行組織の内側

はじまりは不動産融資だった・・・

 最近、スルガ銀行の事件が大きく報じられているが、この事件の根幹はどこにあるのだろうか?私は、組織の方向方針の策定時は間違っていないと思っている。

 今、伸びている産業や経済の流れに対し、注力するための枠組みは作るのには問題は無いが、組織全体でその枠組みを数値化し達成しようとすると、必ず無理が来る。

 スルガ銀行の事件も、不動産の賃貸業者への融資を増加させる方針はそれ自体に問題は無かったが、実は不動産業者でなく、サラリーマンやスポーツ選手といったいわば事業の素人にまで融資を拡大したのは大きな問題だったろう。

 では、なぜ組織が暴走するのか、止められなかったのか?私の時代にもあったことを思い出してみた。

 2004年頃リーマンショック前は私は本部スタッフとして、本社に移動していた。部署は融資企画部。

 そのころは、円高と低金利時代を迎えて製造業は海外に移転し、卸売り小売はデフレの影響を受け有志は伸び悩んでいた。

 銀行としても、貸出金利が下がり、デフレ倒産が増えつつある中、業績を上げるためにはどうするか?銀行同士の競争を勝ち抜くためにはどうするか?不良債権の処理はどうするか?

 など将来に不安を抱える状態が続いており我融資企画部も役員からどうするのか近日中に役員会で提案する事例をまとめるような指示が来るはずだった。

 融資企画部の和田部長に呼ばれた。私にだんだん貸出金粗利が取れなくなっていく中、どうすれば改善するか上に求められたとのことで、私にも意見を求められた。

 私は、これまで考えてきたことをまとめるように慎重に伝えた。まずは、伸びている業種の融資を進めること。もうひとつは、手数料収益の確保についてだ。部長は、興味を持ったようで、もう少し具体的な説明を求められた。私は、

 「バブルの崩壊後、卸・小売はデフレ状態で縮小しています。また、円高の影響で製造業は海外に工場移転促進等しており、どちらも資金需要は大きく伸びません。ただ、不動産だけはバブル崩壊後傷が癒えつつありまた相続関係も有り根強いニーズはあります。ここに融資を増やすような施策をうつ。そして、最近で出したデリバティブでスワップ手数料を稼ぐのはどうでしょうか?」

 部長は、不動産業の融資拡大については、審査部が反対するのを心配していた。それは、過去の不動産融資の問題で融資部は消極的だし、また失敗して責任を取らされるのを見てきたから、自分は反面教師にしたいようで、私の意見には少し慎重な考えであった。

 私は、大丈夫です。審査企画部の松岡とは同期ですからすこし、様子を調べてから報告しますというと、時間がかかると困るが、やはり融資部を巻き込む方がいいという考えで私の調査を待つということになった。

 部長は、役員のネゴが一番の問題との考えも私に言った。つまりは、融資部と営業推進部に旗振り役をさせて、我部は後方支援でやりぬきたいという思いがありありとわかった。私はうまく調整しないと、失敗した時の責任は大きいと感じていた。

 部長と別れて、そのまま審査企画部にいき、松岡に17時に話をするアポをとった後、私は、融資企画部に戻ると、考えていた構想をまとめた。

 東西産業銀行は、製造業の融資比率が高いがバブル崩壊後と円高で製造業の資金需要は減速し、融資残高の落ち込みも大きく問題となっていた。そこで、一番伸びている不動産の融資を増やして業績を改善させたい。

 融資は、現在は支店で案件をまとめて本部に申請して審査している。これを各支店に決裁権限を与えて現場の審査で融資していけば、今より増えるはずだ。

 そのためには、どのくらいの決裁権限を与えて、審査能力をどうつけさせるか?これも案はあった。まず1億円まで支店に決裁権限を与えて、各支店に1人融資の研修を受けた専属担当者を置くというものだった。
 
 17時に松岡に会い、この話をすると顔を少し曇らせた。松岡は、やはり不動産業に対する融資の拡大には消極的であった。私は、きちんとマニュアルも制定し研修するから、協力してほしい旨を伝えると、松岡は、貴重な情報をおしえてくれた。

 それは、10年に一回の審査の方針の改定があるみたいだということで、中身は財務の格付けや、審査の方針、現場の体制まで大きく変更するものだった。

 そらにはもしかしたら、その中で不動産融資も変わる可能性がある。比較的東西産業銀行はバブルの時も不動産融資は大きくしていないから痛手が少なかったから、少し現場に任すという方針に変わるかもしれないということだった。

 私は、こちらの思惑通りに進むのを感じつつ、翌日和田部長に先日の松岡の話をした。すると部長は、

 「なるほど、確かにそういう話は聞いた。われわれの立位置をどうもって行くかだな。われわれの関与も残したいが、金融庁検査で融資企画が主導したといわれればそれも困るな・・・」

 和田部長は、バランス感覚はいいほうで、これで流れはいけると考えたみたいで、役員と相談すると言ってその場は終わった。和田部長はこれまでのことを役員に話すと、役員は、

 「いいんじゃないか。融資企画としては、融資の体制が変わる中、現場に権限委譲して顧客ニーズに対応するというのは筋が通っている。まあ、全体の融資の権限委譲もさせてその中の不動産も一部以上だというストーリーなんだろうね。リスクは現場にある・・・なあ和田君。」

 この話を聞いた私は、やはり、お上は頭が良くて現場に任せるというのは聞こえはいいが、責任は現場任せとなるのだなと感じた。後は、現場がどううまくオペレーションできるか。少し不安になった。

 融資企画部の和田部長には、不動産はやる方向で決まったので、後は、デリバティブについてはどう進めるかを問われた。銀行というのは、決まるまでは大変長いが、一旦方向が決まると後は都合も考えずどんどん進む傾向がある。これも、組織の暴走を助長する原因であろうと感じていた。

 私は、もう松岡と話しはしており現時点で問題点とを説明すると、部長は、

 「本件は、ネゴも何も、役員含めた経営陣は早く進めるように言っているから、このまま進めてください。」

 私は、やはり少し不安を感じるものであった。一度決まるとどんどん進んで、再度の検証や、停まる発言はまったく無くなる。これを止めるには、一度事件が起きないと止まらないが、事件は現場の責任だから、属人的な物として金融庁には報告され、組織としては、問題の融資はいつの時代になっても復活してくる。まったく反省を生かしきれていないのはこういう体質からくるのではないだろうか?

 それからは、順調にマニュアル制定、システム改訂、人材の育成と進んでいき、その年の年末の支店長会議で翌年の4月からのスタートが説明された。
これで、体制が動き始めた・・・・。

 問題融資も、当初の体制の枠作りに問題は無いが、それを再検証しとめるシステムが無いこと。また数字のノルマとすることで現場が当初の枠組みと違った、今回で言えば、不動産業に対する融資で進めていたのに、現場は素人のサラリーマンやスポーツ選手に対する融資をどんどん進めるなど組織として暴走を食い止められなくなっていったのだ・・・

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