左手から沁みわたるのは幸せ
はぁーっ。冬の朝、私は白い息を確認するのがすきだ。
「ほらみて、息が白いよ。今日も寒いね」
時刻は朝の7時、私は子どもと一緒に保育園へ向かっている。冬の朝はキリッと冷たく、まだほんのりと夜の空気が残っているように静かだ。
「まだ、だれも来てないんじゃない?やだな。さむいよ」
「誰も来てなくないよ。先生の車があったでしょ」
「ちがうよ。そうちゃんとかのことだよ」
まだ眠っているような静かで冷たい朝に、子どもはやや不機嫌のようだ。
家でゆっくりとさせてあげたいのはやまやまだが、仕方がない。
「あ!見て」
私は駆け出して土の見える植え込みに近づく、つられて子どももかけだし、追いかけてくる。
「あー!ママ、まってよ!さきに行っちゃだめなんだよー」
「ほら、これ!霜柱!」
足元のこんもりと盛り上がっている地面を指差す。そこには氷の細かい無数の筋が、土を押し上げて姿を現していた。
「ほんとだ!しもばしら!」
「今日は多いね。まだ誰も踏んでないね」
「ふんでいい?」
そう言うやいなや、子どもはザクザクと地面を踏みつける。
バリッ、バリッ、
ザクッ、ザクッ、
「全部ふんじゃおうよ。どうせ溶けちゃうからさ」
私も一緒になって踏みつける。
「たのしいね」
子どもの頃から好きだった。
まだ暗い中当時飼っていた犬と散歩に出たときに、あっちやこっちや踏みつけていた事を思い出す。
「あっちもいい?」
「そっちはだめ。お花さんが眠ってるって。」
保育園の先生が『チューリップを植えています』と書いた立て札をたててくれている。
「さあ、もうそろそろ行こう。遅くなっちゃうよ」
そう言って私は子どもに向かって、左手を差し出し手をつなぐ。
何も言わなくても、すぐにつないでくれる。この小さくてちょっとぶ厚い、温かい手が、私は大好きだ。
「手あったかいね」
寒い朝につないだ手は、ゆっくりと、じんわりと体温を伝えてくれる。いや違う、体温だけじゃない。このじわじわと、つないだ手から前腕、上腕にわたってゆっくりと沁み渡ってくるものはなんだろう。
「幸せだなあ」
そうだこれは幸せだ。
やさしく、でもしっかりと繋いでくるこの小さな手には、大好きだよって気持ちがあふれてる気がする。
「ママは、〇〇くんと手をつなぐと、すごく幸せな気持ちになるよ」
うれしくて、ブンブンと腕を振ってしまう。
「しかも、あったかいしね」
「ママ、あったかい?」
「うん。すごーくあったかい」
「じゃあ、またこんども つないであげるよ」
「やったー」
手をつないでしばらく歩く。保育園の駐車場から園舎にむかうこの50m程の道は、急いでいるときにはもどかしかったし、風の強い日や雨の日は、憂鬱だった。でも、今はとても幸福な気持ちで歩いている。不思議だ。いろんな気持ちで通った道なんだ。
「あ!あっちにも しもばしら!」
突然、勢いよく手を振り払って、子どもがかけだす。
ああ、さっきまで手をつないでくれると言っていたのに。
「待ってよー。一人で先に行っちゃいけないんだよー。手、つないでくれるって言ってたじゃんかー」
振り払われた手を名残惜しく感じながら、私も慌てて追いかける。
さて、あと何年こうやって手をつないでくれるんだろう。
さて、あと何年私の左手からは、大好きが沁み渡って幸せを感じられるのだろう。