アン・ビョンジク「慰安婦の徴集は、事実上、戦時動員だった」
『週刊文春』への反論(安 秉直)
2014年11月28日7:08PM
軍慰安所の設置・管理と軍「慰安婦」の徴集は
旧日本軍が行なったものであり、
元日本軍「慰安婦」たちの証言は有効である。
『週刊文春』今年4月10日号の記事「慰安婦『調査担当』韓国人教授が全面自供!」は、同誌に寄稿した大高未貴氏が私の発言を恣意的に歪曲したものである。そしてこれは、河野談話の取り消しを主張する日本の右派メディアが、韓国の元日本軍「慰安婦」に対する調査は「信憑性がないので『慰安婦』問題はなかった」という主張を宣伝するために企画された記事の一環でもある。
そのため『週刊文春』は記事の掲載にあたり、私に事実確認をしなかった。もし『週刊文春』が公正な事実報道をする媒体であると自負するのであれば、記事が事実に基づくものではなかったと訂正報道すべきだ。以下、歪曲記事への批判と私の見解を提示する。
まず、背景から説明したい。大高氏が「慰安婦」に関する著書出版のための取材をしたいと、ある韓国人を通して執拗に要請してきたため今年1月16日、「報道しないことを前提」に面会したことがあった。それが記事の基礎資料になっているようである。
これより少し前には『産経新聞』から、また大高氏と同時期に『週刊文春』からも二度にわたって面会要請があったが、すべて拒絶した。その後、その『週刊文春』に私へのインタビューだとして、大高氏の作為的な記事が掲載されたことを知り、非常に驚きかつ反論の必要を強く感じた次第である。
歪曲記事の細部を検証
次に、私の発言を歪曲した記事の細部を検証したい。
(1)大高氏は、私が調査に参加した「慰安婦」の証言集『証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』(日本語版は93年、明石書店、編集は韓国挺身隊問題対策協議会と挺身隊研究会)を取り上げながら、私が「当時の調査方法は、反省してみますと、全然ダメです」と言って、「実質的な“調査失敗”を認めたのである」と書いているが、これはまったくの創作である。私は、調査の過程で元軍「慰安婦」かどうかを確認するのはとても難しく、当時の調査にもさまざまな問題があったとは言った。しかし、「実質的な“調査失敗”」を語ったことはない。
同書に出てくる19人の元軍「慰安婦」についても、存在を積極的に認めながら、今から再検討すればその中の一人は軍「慰安婦」だったかどうか疑問だと言っただけである。さらに「十九人はすべて会いました」との発言が載っているが、これは私の言い間違いがそのまま掲載されたものだ。この失言を正す機会もなく、記事は掲載された。19人に対する調査資料を包括的に検討する研究会に長期間参加したことはあるが、直接調査をしたのは数人しかいない。
(2)「河野談話はおかしい」という記事中の小見出しと関連内容も捏造だ。大高氏は「河野談話が、ただ元朝鮮人日本軍慰安婦からの聞き取り調査だけに基づいて作られたとすれば、それ自体がおかしいのです」と私が言ったとし、「ストレートに解釈すれば『信憑性に欠ける聞き取り調査をもとに発表された河野談話はおかしい』ということである」と書いている。
この解釈は、大高氏がいかに軍「慰安婦」問題について無知であるかを自白したようなものである。今年6月20日に日本政府が発表した報告書『慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯』の中でも、河野談話は元軍「慰安婦」に対する聞き取り調査がまとめられる前に、軍「慰安婦」に関する既存の研究を参考に日本政府が行なった調査に基づいて発表されたことを確認しているからだ(注1)。これは、以前から私が強調してきた主張と同じ内容である。
(3)「慰安婦を利用している」という小見出しと関連内容も、私の発言を歪曲している。私は、挺対協の活動目的に疑いをかける大高氏に対して、「運動家はそうして慰安婦たちを利用している側面があるかもしれません」と言ったことはある。しかしこの発言は、運動団体であれば問題を解決するために元軍「慰安婦」たちを、「『慰安婦』問題を問題として提起」したり、「国際的に訴える」運動に「利用する」こともあり得るという限定的な意味合いのものであった。大高氏はこの発言を、挺対協など韓国の運動団体の運動を全面的に否定したい自分の報道目的に悪用している。「挺対協には近づきたくない」との小見出しと関連内容も、似た事例である。
このほかにも、この記事には私が語っていない言葉を巧みに加えたり、大高氏の問いの後ろに、異なる脈絡で私が語った言葉をつなげるなどの手法で、私の主張を捻じ曲げた箇所が随所に見られる。
「慰安婦」の全体像
次に、私の日本軍「慰安婦」研究をもとに、朝鮮人「慰安婦」の全体像に関する私の認識を記す。
(1)日本軍慰安所は1937年9月29日、陸軍大臣が制定した陸達第48号「野戦酒保規程改正」によって野戦軍の後方施設の地位を確保するようになった(注2)。軍慰安所は野戦軍の後方施設であるため、軍「慰安婦」たちは戦闘地の方面軍や派遣軍の動員計画によって徴集され、徴集された「慰安婦」たちは特定の軍部隊に所属し、移動するケースが多かった。すなわち、軍「慰安婦」は野戦酒保(売店)の「兵站品」の地位に置かれていたのだ。
こうした非人道的地位であったにもかかわらず、軍が「慰安婦」の徴集と管理を業者に依頼したのは、「慰安婦」に対する軍の直接徴集によって生じる責任を回避するとともに、セックス産業としての雰囲気をもたせるためであった。
(2)軍「慰安婦」たちが、国家総動員法が施行される威圧的な植民地支配の雰囲気の中で、方面軍や派遣軍の動員計画に応える現地の警察あるいは憲兵の協力によって、「女子愛国奉仕隊」などの名目で徴集されたという事実は、「慰安婦」の徴集が事実上、戦時動員だったことを意味する。
42年7月に日本軍が「第四次慰安団」として「慰安婦」703人を徴集した際、日本軍の一つである朝鮮軍司令部憲兵隊が協力したという事例もある(注3)。業者たちが朝鮮で軍「慰安婦」を徴集する際、前借金をエサに人身売買・誘拐・略奪の方法を広範囲に利用したという事実も明らかにされている(注4)。
(3)朝鮮人軍「慰安婦」の中には、性的に未経験の少女たちが多かったという報告が少なくない。代表的な例としては、38年1月に中国・上海の軍慰安所で朝鮮人「慰安婦」80人と日本人「慰安婦」20人余の性病検査をした麻生徹男軍医の手記が挙げられる。そこにはこう記されている。
「内地人ノ大部分ハ……(中略)……年齢モ殆ド二十歳ヲ過ギ中ニハ四十歳ニ、ナリナントスル者アリテ既往ニ売!稼業ヲ数年経来シ者ノミナリキ。半島人ノ若年齢且ツ初心ナル者ノ多キト興味アル対照ヲ為セリ」(注5)
44年8月10日ビルマの蜜支那(ミシナ)で捕虜になった朝鮮人「慰安婦」20人(第四次慰安団の一部)は、「これらの大部分の女性は無知で、教養がなかった。しかし、わずかながらだが以前から売春と関係があった者も居る」と報告されている(注6)。このうち12人は徴集当時20歳以下だった。
以上の視点からすれば、旧日本軍が慰安所の設置・管理と「慰安婦」の移送に関与したという趣旨の河野談話は、日本軍が直接慰安所を設置・管理し、戦時動員の一環として「慰安婦」たちを徴集したという事実を認める方向でこそ修正されるべきである。これが日本軍「慰安婦」問題における客観的事実である。
2014年9月9日
アンビョンジク。1936年生まれ。ソウル大学名誉教授。挺身隊研究会とともに90年代に「慰安婦」の聞き取り調査をした学者の一人。日本植民地支配下の朝鮮経済研究のほか、現在は第四次慰安団研究なども行なっている。
(注1)河野談話作成過程等に関する検討チーム『慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯』(今年6月20日発表) の「1、4 元慰安婦からの聞き取り調査の経緯」参照。
(注2)永井和「日中戦争と陸軍慰安所の創設」(同著『日中戦争から世界戦争へ』思文閣出版2007年)参照。
(注3)安秉直翻訳・解題『日本軍慰安所管理人の日記』イスプ、2013年(韓国語版)の「解題」参照。
(注4)吉見義明「日本軍『慰安婦』問題について」(『季刊戦争責任研究』64号、2009年6月)。
(注5)麻生徹男『上海より上海へ 兵站病院の産婦人科医』石風社、1993年、215~216ページ。
(注6)米国戦時情報局心理作戦班『日本人捕虜尋問報告』第49号。
(2014年9月12日号)
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