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Reiです【自己紹介】

こんにちは。
当アカウントを始めて6年ほど経過しました。最初の方は読むだけで、1年前くらいから書く方にも挑戦しています。

改めまして、Reiといいます。自分の名前はとても気に入ってます。ほんとは本名とセットで教えたいところなのですが、色々な都合上、下の名前だけにさせていただきます。

以下、簡単な自己紹介です。
名前:Rei
性別:女性
年齢:24歳(2001年1月生)
出身:千葉生まれ、静岡育ち、神奈川住み
経歴:中高一貫女子校→慶應義塾大学文学部→社会人→音大ピアノ専攻
好きなこと:楽器の演奏、文章を書くこと
MBTI:INFP

私は小柄なのですが予定日より1週間以上遅れて生まれた時から体が小さかったそうです。また人と違うことをしたいという思いが常にあるのですが、当時もミルクの時間に爆睡して、お休みの時間にミルクが欲しいと泣いていたとか。すごく手のかかる赤ちゃんですね。

小学生の時はとにかく元気な子どもでした。クラスに新しい係を作ったり、運営委員会をしたり。ワクワクすることを考えたり人を巻き込んで何かをしたりすることが大好きでした。いま思うと羨ましいくらい。だってそれはどのような仕事をするにも必要なスキルだからです。現在の私には全くといっていいほどありません。人って変わるものですね、悲しい。

勉強もほどほどにしていたと思います。結構地元の中学が荒れていたのと勉強熱心な姉は片道2時間かかる私立校に通っていたのですが、私も行きたいといったらすごく反対されてびっくりしました。Reiちゃんは勉強なんてできないしピアノだけやっていればいい、と家族に言われて意味不明と思ったのをよく覚えています。その後の流れはご想像にお任せしますが、結局受験して姉と同じ学校に通うことになります。

中学に上がってからすごく勉強は楽しく感じられました。成績が上がるのも嬉しかったです。常に上位をキープしていました。高校に上がってからは自然に東大を目指すようになってより一層がんばりました。でも自称進学校的な感じでもあったので、受験期に入ると静かに勉強する私は少し浮いていたと思います。人間関係もうまくいかなくなったり。自分が善意を向けてもそれが思わぬ悪意で返されることがあるんだなと初めて知りました。何あいつ勉強しやがって、ムカつく、みたいな負の感情は適当に受け流していればいつか終わる、と考えていましたが、たしかに精神的にくるものがありました。

結局第一志望に落ちて国立は受からず。慶應の文学部と経済学部に合格をもらい、就職の有利さとか何も考えず、やりたいことやろう、なるようになる、と若干投げやりな感じで文学部にいくことに決めました。それでも東大に落ちたことを1年生の時は結構引きずっていました。その憂さ晴らしで忙しくしてやろうと大変なサークルに入ったり、文章書くインターンをしたり。それなりに楽しく過ごしていました。

サークルはオーケストラに入りました。ピアノ、書道、水泳、体操、英会話などと一人でできる習い事しかしてこなかった私はチームワークの必要な何かをした方がいいのではと考え、入ることに決めました。しかし新歓合宿のあと体調を崩して一週間寝込むほどショックを受けたのを覚えています。簡単に言うと風土が合わない、ノリが分からないという悩みでした。でも先輩方がとても優しくしてくれて、やめるのは悪いな、もったいないなぁと変に真面目だったので続けました。

私の大学生活は常に楽器とともにありました。暇さえあれば上手くなりたいと練習して、青春そのものでした。私のパートは慢性的な人手不足で個人の裁量が大きかったので、未経験から活躍できると謳うベンチャー企業並みの勢いでした。同期もみんな楽器上手でいい意味で尖っていて刺激を受けることが多かったです。これは音楽のコミュニティあるあるなのか分かりませんが、楽器できる人ほど発言できて影響力があるように感じられます。私はアンサンブルも何も知ったもんじゃないので、よく言えば全部吸収する姿勢で、悪くいえばイエスマンでした。

学年が上がるにつれてリーダーシップを求められて発言することが次第に増えてきたところで暗雲が立ち込めていたのですが、常にパワーバランスの覇権争いなので、地味な私が少しでも目立とうもんなら潰されるような勢いで、楽しいと同じくらい怖いという気持ちもありました。イエスマンで通せばよかったのに変に自我が出てきちゃったからめんどくさい人になってしまいました。嫌なことも数え切れないくらいあって本当に次こそやめてやるとずっと思ってました。それでも先輩がいる間は泣きついてなんとかなっていたけど、最高学年では頼れる人もいなくて、本当に大変な思いでした。

無事に卒業して国際機関に就職、働き始めます。これで社会人として自立し、安定するかと思いきや、壊滅的に合いませんでした。英語好きで海外志向だけどなるべく家から出たくない私は、バックパッカーで何日も生き延びられる会社同期と比べると、そういう力がありませんでした。担当のアフリカに行ってきてと言われても全然イメージがつかなかった。それ以前に社会人として人間関係を築きながら納期までに終わらせる、みたいなデスクワークが全然できず、上司と教育係から毎週末の振り返りでバチボコにされて泣いていました。

それで一年以内に仕事をやめて、私って全然何も続かない人だなぁと落胆しました。その後は好きなピアノでもするかという軽い気持ちで音大の短大に入りました。現在1年生を終えたところです。ソルフェージュや和声など、音楽の勉強をちゃんとしたことがなかったからすごく難しく感じました。教職課程も履修しています。なんとか踏ん張ってあと1年で次の進路を決めなくてはなりません。いまのところは、のんびりピアノの先生でも出来たらいいかと考えてます。たかが24歳、されど24歳。まだ何にでもなれますね、多分。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。今後もマイペースに記事を更新できればと思うので、よろしくお願いします。本日も皆さんに幸あれ🫰

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