私が刀鍛冶の道へ飛び込んだ経緯 ⑧
繰り返しますが、工藤少年が高山武士先生主幹の刀剣文化研究所 解紛塾で出会った刀鍛冶は後に師となる藤安将平と松田次泰氏だったわけですが、埼玉県在住の工藤少年はより近くの松田刀匠のところへ見学をお願いしました。
ちょうど夏休みのタイミングで千葉県の船橋市(当時)の工業地帯の中にある仕事場を訪れました。
暑い夏、スレートの外壁のとにかく熱い仕事場でした。そこでは松田さんが鋼を打ってブロック状にし、切れ込みを入れて冷やしていました。
それを割って、割れ口を眺めたら高山先生に電話をしています。
どうやら、一般的な玉減しをせずともこのままで鍛錬可能なのではないか?と話していました。
私はこのやり取りを見た時、私の仮説と同じだ! しかも実践している!と衝撃を受けました。
私は私が考える刀作りに向き合う姿勢を同じくする刀鍛冶がいることに感銘し、弟子入りを願いました。
しかし、松田さんは弟子を受け入れる予定も準備もなく、断られてしまいました。
ただ、この工法の基は福島の藤安らしかったのです。
高校3年生、この夏休みには後に藤安の「将平鍛刀場」にも行くことになりました。