「刀鍛冶への弟子入りについて」の炎上をうけて③ 「将成鍛刀場の事情」
日本刀を作りたい、刀鍛冶になりたい、という入門先を探している「弟子志望者」へ向けた、当鍛刀場の受け入れ条件は今のところ件の記事の通りです。
私は師 藤安将平(以下 親方)の将平鍛刀場で昔ながらの「徒弟制」にありました「住み込み」で衣食住の補償をしてもらい、修業にあたってきました。
そもそも弟子を受け入れる修業先は少なく、さらに「住み込み」で弟子を受け入れているところは1994年当時でも僅かしかありませんでした。当時から多くは「通い」の修業です。それらは私が明示している内容とほぼ同じです。
批判の中に、「自分は衣食住を補償してもらって、後進にはそれをしないなんて不義理だ」との意見も多く、確かにそこの点は私自身が後ろめたく感じております。ただ、2022年現在、「住み込み」は私の親方も行っておらず、西の有名刀工だけのようだと先日聞きました。
また「通い」の内容が、「奴隷的だ」との批判もあります。
ところが実際には「通い」の内容よりも「住み込み」の方が衣食住の補償があれど、従事する内容は実は遥かに奴隷的です。これは批判でも自虐でもありません。
「住み込み」の環境は弟子本人にとって、より厳しいものと承知おきください。住み込みの弟子にプライベートはほぼありません。ただし、ずっと刀のことに浸れる喜びもあります。
私は入門前にその「住み込み」の厳しさが最終的には自分のためになるだろうと考えて、あえて少ない「住み込み」の入門先を選びました。現実、数多の弟子が将平鍛刀場に入っても、一人前になれたのはほんの一握りです。
今の社会では想像も理解も難しいでしょうが、そんな世界もあるのです。そういう濃密な環境でしか得られないことが実は大切なのではないかと考えております。
そうして、今の私があります。
当鍛刀場も住居、資金の面で、「住み込み」の環境を用意してあげられないのは私自身が情けなく歯痒くも思っており、では自分に出来る範囲で受け入れを考えた時にどこまでが可能か、というのが今回の内容です。
それぞれに個別の事情があります。
しかし弟子を受け入れるということは、弟子に学びの機会がある、つまりは私自身の仕事があり継続の見通しがあることに他なりません。
多くの伝統的技術の継承には、まず仕事の受注が必須です。
法隆寺や薬師寺などで修復、建造に携わった宮大工の西岡常一棟梁すら、現場が全く無い期間は鍋の蓋を作ったりし、当然弟子の受け入れは拒否していたそうです。
師匠自身の仕事がなければ、弟子は習得機会がありません。
先に書きましたように、昭和に刀剣ブームがあり、親方をはじめ人間国宝 宮入行平の高弟たちは弟子の時分から多くの注文があり、作れば作っただけ購入してもらえたそうです。
その恩恵もあって、親方は「住み込み」で受け入れも可能な資金がしばらくはあったのでしょう。
そんな恵まれた時代の名残りも、私たち就職氷河期世代が社会に出てからは全く感じられず、ただただ厳しい景気状況であることは皆様ご存じの通りです。
私たちは無給の弟子を持ったとしても、金銭的には殆ど得になりません。師匠が弟子の生活費を負担しない「通い」であってもです。
企業に置き換えて考えてみてください。どんなに有名な学校卒の優秀な人であっても新卒の新入社員は企業にどれだけの利益的な貢献ができるものでしょうか。
おそらくしばらくは企業にとって、新入社員に支払う給与はいつ企業利益へのリターンに転じるのかも不明な投資でしょう。
貰う給与以上の利益貢献をして、はじめて企業の成長に寄与できます。そんな社員になれるのにどのくらいの経験が必要となるのかは存じませんが、1年2年ということはないはずです。
ですから弟子が師匠の利益に繋がる貢献ができるのは、長い時間をかけて一人前になれてからです。そして一人前になれば、大抵は私と同じく独立して師匠のもとを離れます。
弟子から大なり小なりのお金を入れさせる修業先もあり、その事情も痛いほどにわかりますが、大変な思いをしてまで無償でも弟子を受け入れている修業先の師匠たちは純粋な善意によるものだと考えています。
あと、最も多くの疑問と批判に、「通いの弟子の間、収入もないのにどうやって暮らしていくのだ」とあります。先に書いてある通りに、預貯金があれば切り崩し、または大学、大学院に送り出すつもりで身内からの援助を受けて続けていくしかありません。
そんな提示をする理由の一つには、独立開業時の資金の問題があるからです。
現実問題として、独立開業には用地取得、鍛刀場建設、設備費用などで500〜1000万円ほどの資金を用意する必要があります。
事業計画書を作成して銀行から融資を受けられれば良いのですが、キャリア(職歴)は無職なので審査は通らないと思います。
なので「通い」にしろ「住み込み」にしろ、独立には必ず多くのお金がかかることは考えておかねばなりません。
今後、それが可能な家庭環境は減っていくのだと考えられますので、そこは業界として支援制度を設けられるように政治、制度への働きかけが必要となってくるのかもしれません。
そして、独立後はたった独りで生き抜いていくことになります。
私自身、独立後は親方から顧客の注文の紹介などはなく、受注に関して直接的にお世話になったことはありません。
さらに厳しさを増すと考えられる日本経済と日本刀市場、その中で真っ直ぐに生きられるだけの覚悟と挑戦が必要となってきます。
だから、最初から狭き門なのは当たり前なのです。
繰り返しますが、それでもなお「自分は刀を作りたいのだ!」との熱意を持った方が訪ねてくれることを願いつつ、門戸を開いておきます。
この度は炎上というかたちではありましたが、非常に多くの気付きを得られました。
また暖かい言葉も寄せられて、大変に嬉しく思います。
もしも今後、将成鍛刀場に弟子が入り修業に打ち込んでいる姿を見かけましたら、ぜひとも応援、厚いご支援をいただけると幸甚です。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
将成鍛刀場 工藤拝