「刀鍛冶への弟子入りについて」の炎上をうけて②「刀鍛冶の徒弟」(後編)
現代は機械化により作業上、昔のように弟子を持つ必然性は無くなりました。
日本刀という非常に狭い、ある意味で特殊な趣味にお金を使う方は当然多くはないです。ましてや、現代刀は熱心な刀剣愛好家からは軽んじられることも少なくなく、実は顧客層としては少数です。
現代に「日本刀を作る経済的メリット」は、よほど有名になって高額で取引されない限り、皆無と言っても過言ではありません。
そんな中で弟子を持つ刀鍛冶の師匠というのは本当に希少です。
現在、日本経済の不況、刀剣文化の根源的な衰退などで、殆どの刀鍛冶は大変な思いをしながら生活をしています。
ですから例え、衣食住の世話まではしない「通い」の弟子であっても、師匠には大きな負担です。
文末のsuumo記事にもありますように、刀鍛冶の作業は収入に直結しません。
例えば刀鍛冶の弟子が最初に与えられる作業に「炭切り」があります。慣れれば師匠と遜色のないくらいの作業クオリティになります。ところがいくら弟子(がいないところは師匠自身)が炭を切っても、その燃焼で費やした作業が失敗したとなれば、それまでの労力は全て無駄になり、完成にはまた一から労力と資源を費やすことになります。
それに刀鍛冶はオーダーのみをこなす仕事ではありません。オーダーの仕事以外にも実験、創作などを自らの理想のために行う作業も多いのです。
それと違い、研師の弟子が最初に与えられる作業に「艶摺り」があります。こちらも慣れれば師匠と遜色のないくらいの作業クオリティとなります。師匠が弟子が摺った「艶」を使えば、刀は美しく研ぎ上がり、お客様にお渡しでき、研ぎの代金をいただけます。まさに作業効率が上がり、収入の向上につながりやすいのです。
昔、有名な研師のお宅へ将平一門で伺った時、そこにも弟子が3人ほど居り、皆月々のお金をいただいていると聞き羨ましい限りでした。
研師さんの作業の意義とそのお金の流れの話を聞いて納得しました。
それほどに同じ刀職者でも師匠の収入に至る経緯が違いますし、ましてや他の伝統的な業種と比較するのは全くの無意味です。
中にはヤクザの子分と比較する方もいらして、もう何も言えません…
繰り返しますが、弟子は被雇用者ではありません。師匠の元で学びたいと願ってやって来たから、受け入れているだけです。
ただ、師匠選びだけは弟子志望者に権限があります。自分に合いそうなところを探すのが唯一の自由です。
弟子に入ってしまえば、師匠の定めたことが全てで、弟子に権限はありません。私たちは全員、そうして弟子時代を過ごしてきました。
勘違いしてほしくないのですが、それは虐待の連鎖のような悪い慣習ではありません。
伝統的なことの継承には、一心に師匠のやる事に従うことで習得できる大事な側面があるからです。
続く