小さくても夢は夢なのだ(笑わないでね)
夢なし、強迫観念。
夢を叶える。夢を見続ける。夢を追いかける。というワードをよく目にします。私にも、チョコっとはあるんですよ、夢。
でも、心がザワザワする時があります。
夢をもってないといけないという強迫観念。
私は言われたことに対して『そうなんだー』と全面的に受け取ってしまう性格。よく言えば素直、悪く言えば自分の意見がない。
私、自分軸がない人代表。
あっちにふらふら、こっちにふらふらの人間なので。
夢というワードを聞くと、夢がないといけないみたいに思ってしまうのです。
腰が重くなる
夢にもいろいろあります。
小さなものから、(夕食にすき焼き食べたい、春のワンピースを買いたい、カフェでゆっくりコーヒー飲みたい。)大きなものまで(ハリウッド俳優になりたいとか、タワーマンションに住んでみたい、世界一周豪華客船旅行とか、とか、とか。)これはきむこ基準です。
夢に向かって生きるのもスゴイと思うけれど、大きな夢がなくても生きているってもっとスゴイと思う。今の世の中、生きているだけでもスゴイ。それに小さな夢か、大きな夢かは、自分の物差しできめるもの。
ここまで書いて、これは私が夢に挑戦しない言い訳のように見えてきたゾ。
どうしてかというと、夢や新しいことに挑戦する時って年をとればとるほど、腰が重くなってくるのです。腰の浮き輪肉だけのせいじゃないと思う。
未知の世界はワクワクもするけど、それと同じぐらいドキドキ、怖い気持ちにもなります。
また、過去の経験(特に失敗した経験)を引っ張り出してきて、また上手くいかないんじゃないかと想像して自分にブレーキをかけてしまいます。
コンフォートゾーンから抜け出すのは簡単じゃない。
コンフォートゾーンにいるのが心地よい時は、無理して外に出なくても良いのではないかと思います。でも他人が夢を叶えているのを見て嫉妬したり、このままじゃイヤだという気持ちになった時は抜け出すタイミングかもしれない。
でもいきなり壁を超えてしまうと、墜落しそう。少しずつ登るのに越したことはありません。海に入るときも胸に水を少しずつかけるように、少しずつ慣らしていかないと心臓麻痺をおこしちゃいます。
夢は簡単に実現しないようになってますね。
棚からぼた餅が落ちてきても、自分の努力じゃなかったら、達成感を得られないと、いうのは昭和的人間の発想ですかね。
私は毎日、小さい夢から叶えていこうと思います。そして壁を登って、中くらいの夢へ、コンフォートゾーンを超えて大きな夢に移行出来たらいいなぁ。
明日の小さな夢
明日はカフェでゆっくりしよう。
これも私の夢です。
夢がなければいけないという強迫観念に押しつぶされないように、楽しい毎日を、送りたいと思うのです。