湯豆腐の夜
グツグツと煮立った湯豆腐の鍋をテーブルに置いた時だった。
主人が「弟夫婦が田舎来てるから、今からご飯食べにおいでって」少し申し分けなさそうな顔で言ってきた。瞬間、怒りのスイッチが入り、無表情になる麗子。人間は本当に怒ったとき、表情が消失するのだ。
こんな突然の誘いは今までもよくあって、いつもなら仕方ないと自分に無理矢理にでも言い聞かせ行くのだが。今日は満月の影響なのか、気分が朝から悪かった。イライラしてた。
「湯豆腐、どうすんだよ!」
「せっかく作ったのに‼」
「化粧落としちゃったじゃん。ブラジャーも外したし!!!」
「行ったら、また大量の皿洗い。」
こんな想いが駆け巡って、言い返す麗子。
「コロナ禍の中、地方から来た人と会うのは良くないんじゃない?お父さんも明日5時起きで仕事にいくのに。断ったほうがいいんじゃない?」
そうそう、断ればいいじゃん。自分だって、「次に突然来ても、もう行かなって怒ってたくせに。それに地方からくるか?不要不急の外出していいのか?
麗子の怒りは収まらず、速度をあげつつある。これ以上言ったら、夫の怒りに触れてヤバイことになると分かっちゃいるけど、やめられない。
夫は何も言い返さない。妻の言葉なんて聞いてるのか、聞いてないのか。聞いてないな、これは。すでに着替え完了している。
言い争いの言葉に部屋から出てきた娘。
娘よ、ごめん。母は怒っているのだ。母は田舎に行きたくないのだ。
けれど思うのだった。行かないとまた、義理の母になんか言われるよなぁ。すでにイエローカードの私は退場寸前。世渡り下手で愛嬌が悪いので義理の母に受けが悪いのだ。
のろのろとブラジャーを手にした、麗子。
「行かなくちゃね」これ以上抵抗しても、意味がない。結局、行くことになるんだから。
まだ、モヤモヤしている麗子の気持ち。
この気持ちの正体は、夫の言動だ。
それ以外にない。
子供の話を聞くときは、「共感しましょう」とある。
麗子の夫はこの共感力が限りなく0パーセントに近い。
夫も一緒に行くの嫌だと言ってくれたら、私だって子供みたいに駄々をこねないよ。逆に、夫をなだめるかもしれない。
そんなことを思いながら、生ぬるい湯豆腐を一口食べながら着替え始めた。
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