名古屋へ転勤(ほぼひとりごと(2020年7月20日(月)))
(写真は、名古屋駅に近づいた新幹線の車窓から撮った線路。遠くに見えるのは近鉄特急です)
1975年、社会人になっての現場研修は三重県の津でした。名古屋で乗り換えて、近鉄で約1時間。何度も、名古屋駅に近づく前、E席の車窓から、線路を眺めたものです。初めての一人暮らしでした。
8年半経った1983年、名古屋にあった東海電気通信局という東海地区のエリア組織で、課長になりました。初めての管理職です。31才でしたが、年長のスタッフと一緒に仕事をすることになりました。
写真にかすかに写っているのは、あおなみ線の電車です。名古屋勤務の時には出来ていませんでしたが、貨物線を使って、第3セクターの名古屋臨海高速鉄道という会社が金城ふ頭までの線を経営しています。
手前はJR東海の関西本線、三重県の亀山から先はJR西日本になります。向こう側は、津で研修とした時、お世話になった近鉄です。急ぐ時やお金に余裕のある時は、20分早く着く特急に乗りました。
名古屋で暮らしているころ、清水義範さんという作家の、蕎麦ときしめんという本が発行されました。名古屋の人の中にとっては、激怒と納得がないまぜになった、よそ者には最高の作品でした。
名古屋は、当時、東京から東海道新幹線ひかりで2時間。品川駅はなく、新横浜に停まるひかりも確か、一日一本だったので、東京駅を出発すると、名古屋までノンストップ。今は1時間半です。
東京からあっという間の大都会名古屋ですが、いろいろと違うことがありました。管理職としての仕事も新鮮でしたが、まだまだ、吸収することの多かった31才の自分に取っての一大事でした。
【自分(の仕事史)㉚=名古屋へ転勤(www.akihiko.com)】