ほぼひとりごと(9月26日(水))
(写真は、飛行機の中から見たクアラルンプール近くのマラッカ海峡です)
(マラッカ海峡から、イランイラク戦争の話などに移ります)
昨日は、それまでと趣を変え、マラッカ海峡から、石油の安定供給、シーラインの話を書きました。1979年から、1982年まで、通商産業省(今の経済産業省)に出向し、中東を担当したので、NTT(当時は電電公社)では、味わえないいろいろな体験をすることになりました。
最初は、イラン革命が起こり、ホメイニ師というイスラム教の僧侶が一番えらい人になったころでした。政権としては、別の人が担っていて、統治体制がわかりにくなったのですが、自由主義よりだったそれまでの体制とガラッと変わり、イスラム教原理主義ということになりました。
その後、自由化などの変遷もありましたが、ホメイニ師が登場して、中東情勢の主役になったのが、今のイスラム国や、アルカイダが標榜している、イスラム原理主義が前面に出て来た契機だったように思います。日本での関心は、もっぱら、石油が安定的に輸入できるかでした。
続いて、起こったのが、テヘランのアメリカ大使館占拠事件でした。これは長く続き、救出に向かった米軍機が墜落したり、アメリカ主導で、イラン向け禁輸措置が発動されたりと、中東室は大騒ぎ、昼も夜も大忙し。間違いなく、ブラック職場、帰宅できるのが幸せという状況でした。
安定的と思われていた、サウジアラビアで、メッカ事件が起こったり、トルコやエジプトの債務超過問題や、根底にあるイスラエルとパレスチナの問題など、経済と政治が結びついた上、日本から現地に行っている多くのみなさんの安全問題もあり、盛りだくさんの大事件が連続しました。
そんな中で、イランイラク戦争が発生しました。爆撃という第一報を聞いたオフィスの様子は、今でも鮮明に覚えています。これまでの騒ぎは、暴動だったり、局地的でしたが、今度は本当の戦争です。そこで、大問題になったのがシーレーンの話。マラッカ海峡を越えるのは大変なことでした。
人命は地球より重いというのが、日本の方針でしたから、戦争で、犠牲者が出ないことを祈るだけでした。東京にいても、不安で落ち着かない日々を過ごしたのですから、現地にいた方々は大変だったと思います。関わりの深い省庁のスタッフとして、難しい時期を過ごしました。
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