宮益坂交差点(ほぼひとりごと(2021年9月2日(木)))
(写真は、宮益坂下交差点から取り壊されて東横店東館のあった方向を撮ったものです)
1962年に東急百貨店本店がオープンした時、戦争前から続いていた東横百貨店が名称を変え、東急百貨店東横店になり、東急バスの行き先も、それまでの東横百貨店行ではなく、普通に渋谷駅行の表示に変わりました。
東急東横線も、副都心線と相互乗り入れで地下の深いところに駅が引っ越し、車体の一部が案内所として使われていた、歴史的鉄道遺産の東横線5000型車両もハチ公のふるさと、秋田県大館に引っ越しました。
東急百貨店東横店も、東館、南館、西館の順に営業が休止され取り壊しが始まりました。あとには、スクランブルスクエアがさらに2棟建設されるようですが、たぶん、百貨店業態は復活しない気がします。
明治通りと交差する宮益坂下交差点に立つと、明治通り上にある東京メトロ銀座線の渋谷駅と、すでに東横線旧渋谷駅あとに建ったスクランブルスクエア東棟が目立ち、東横店南館の解体が進んでいます。
東横店南館の向こうに見えるのは、だいぶ前からあるマークシティとセルリアン、その間にあるのは建て替えられた渋谷東急プラザです。渋谷が東急グループの街だということが実感できます。
20世紀中盤、東急とはライバル関係だった西武百貨店が池袋拠点から渋谷に進出し、同じく西武系のパルコが開店しましたが、ずいぶん経った今も、渋谷は東急グループの存在感が圧倒的です。
宮益坂交差点に立って、360度首を回してそれぞれの方向での変化を確かめたあと、右に銀座線の駅を見てから、地下を走る東京メトロ半蔵門線のルートの上の宮益坂を青山方面に向かいました。