「病み系ボカロ」は終わったのか?
ボカロ曲の中でも随一の人気を誇った「病み系ボカロ」が、最近勢いを落ち着かせつつある。
現在人気のボカロ曲はポップな楽曲が並び、内容もそこまで暗い表現や暴力表現などは見受けられない。
そこでこの記事では、「病み系ボカロとは?」「病み系ボカロはどのようにして今の状況になっているのか?」を独自に考察してみようと思う。
病み系ボカロとは?
さて、度々出てくるこの「病み系ボカロ」とは一体どのような楽曲なのか。
ここでは、病み系ボカロを「マイナーキー(短調)メインの曲展開」「楽曲中に何らかの陰鬱な表現を用いている」ボカロ曲と定義する。
百聞は一見に如かず。ここ数年でヒットした上記のような楽曲を載せておくので、一度聴いてみよう。
上記に挙げた楽曲は電子音楽がメインとなっているが、これらが発表された当時はリリースカットピアノ等が使用されたダンスミュージックの全盛期でもあるので、当然の帰結といえる。
この楽曲たちを作った3人のボカロPのうち、なきそ氏とsyudou氏はじん氏やハチ氏からの影響を公言している。このうち、病み系ボカロとの繋がりが垣間見えるのはやはりハチ氏。
楽曲では、「結ンデ開イテ羅刹ト骸」のような少々ダークな楽曲が病み系ボカロの音楽的起源と読み取ることができる。歌詞の世界観という視点で見れば、カンザキイオリ氏の「命に嫌われている。」に代表される、人間の生死について語る歌詞も病み系ボカロに多大な影響を及ぼしていると考えられる。
その他にも、ボカロP個人が外的要因からインスピレーションを受けて楽曲を制作した可能性もある。後述するが、個人的にはこちらの方が信憑性があるように思える。
ハチ氏が病み系ボカロにとって一応の音楽的起源とするならば、文化的起源は地雷系ファッションの流行だろう。
たびたび病み系ボカロのモチーフにも利用されている地雷系ファッションは、上記に定義した病み系ボカロの音楽性と非常にマッチしている。
こちらの記事によると、地雷系ファッションの流行は2019年頃、ちょうどトー横界隈が話題になり始めた頃と時を同じくして一般に認知が広がった。
このトー横界隈、報道で記憶に新しい方もいるかもしれないが、援助交際(現在でいうパパ活)や暴力行為、薬物(違法、合法問わず)のオーバードーズ(過剰摂取、以下OD)などの社会問題を引き起こす温床になっており、実際に命を絶った若者もいる。
ファッションの観点では、ゴスロリ等のダーク且つ可愛らしさを残したファッションをカジュアルにしたものが現在の地雷系である、というのがファッション界における地雷系ファッションの認識のようだ。
これらトー横界隈、地雷系ファッションはネットを中心に流行した。これは原宿発祥であるゴスロリが地雷系ファッションと形を変えて歌舞伎町のトー横に伝播し、それが原宿界隈に逆輸入された理由でもある。
元来、地雷系ファッションを好む者たちはボカロ曲に対して非常に好意的だ。上記の記事では、「周りと違うことをアピールしたいが、浮いてしまうのは嫌だ」という、地雷系ファッションを好む者たちのそこに至るまでの動機を指摘している。現在ほどメジャーではなく、かと言ってアングラでもなかった当時のボカロ曲の立ち位置を考えれば、この思考でボカロ曲、その中でも彼らの共感を呼びやすい病み系ボカロに辿り着くのは容易に想像できる。
また、原宿で地雷系ファッションを扱うブランドやショップも、SNS上での宣伝では積極的にボカロ曲やその周辺に位置する楽曲を利用する傾向にある。これは地雷系ファッションの影響元であるゴスロリの発祥が、元々サブカルチャーの受容がされやすく独自の文化を持つ原宿であるという点と、トー横界隈との繋がりが強い地雷系ファッションが原宿に逆輸入されたことによる化学反応的なものと見ていいだろう。
そもそもゴスロリがブームになり、原宿で受容された背景には1990年代後半から2000年代にかけてのヴィジュアル系のブームがある。原宿にはゴスロリのショップが並び、ヴィジュアル系のファン(バンギャと呼ばれる)はそれを着用することが流行した。それらのファッションを扱っていた原宿には、現在は地雷系ファッションのショップが立ち並んでいる。
奇しくも、ヴィジュアル系バンドの楽曲にはダークなテーマを扱うものが数多く存在し、それらは1990年代後半から2000年代のバンドに集中している。元々ダークな楽曲に寛容な環境が原宿では醸成されていたのだ。
これらの背景が、地雷系ファッションを好む者たちが病み系ボカロに好意的な理由につながる。
ボカロ曲の側からしても、上記に挙げた暴力行為、ODをやんわりとカジュアルに表現するには地雷系ファッションの存在はうってつけと言わざるを得ない。ボカロ曲がトー横の文脈を取り入れたのか、はたまた逆なのかは定かではないが、トー横界隈、地雷系ファッションと病み系ボカロが同時期に存在し、同時期に陽の目を浴びたことは事実だ。
上記の要素を加味した病み系ボカロでは、香椎モイミ氏の「キャットラビング」がその楽曲と言っていい。
DVがテーマになっている楽曲だが、かなりやんわりとカジュアルに表現されているのがわかる。
これはもちろん作詞者の技量もあるが、地雷系ファッションの視覚的効果による表現も無視できないだろう。
果たして、「病み系ボカロ」は終わったのか?
さて、ここからが本題だ。
本当に病み系ボカロは「終わった物」なのだろうか?
結論から言えば、病み系ボカロは終わったとは言わずとも、ブームは間違いなく去ったと言っていい。病み系ボカロを扱うボカロPが軒並み再生数をブーム時のそれより落としているという結果から、複数の原因が存在すると考えている。
まず原因として挙げられるのは、ボカロ曲が一般層に広く聴かれるようになったことだ。
普段からボカロ曲を聴いていると感覚が麻痺しがちだが、病み系ボカロに代表されるダークなボカロ曲は非常にアクの強いものである。一般層がカジュアルに聴くには、少し重苦しいのも事実だ。
最近のボカロ曲では、吉田夜世氏の「オーバーライド」やjon-YAKITORY氏の「混沌ブギ」、ゆこぴ氏の「強風オールバック」のように、ボカロ曲としてのカラーを残しながら一般層がカジュアルに聴ける楽曲の方が受容されやすい。この一般層の割合が直近で増加したことが、病み系ボカロの衰退に拍車をかけていることは明らかだ。
また、上記に挙げた地雷系ファッションやトー横界隈も、もはや世間の関心は薄い。原宿、歌舞伎町界隈では未だ根強い人気を誇ってはいるが、こちらも世間一般のブームとしては終息している。
これは個人的見解であるが、病み系ボカロはもはや行くところまで行き切ったということも原因として存在すると考えている。
楽曲では、なきそ氏の登場で病み系ボカロは限界点まで辿り着いたと言える。あれ以上にダークな世界観を楽曲に求めるならば、もはやそれはブラックメタルやノイズミュージックの領域に踏み込まざるを得ない。ボカロの視聴者層は、そこまでのダーク感は求めていなかったのだろう。
ロックの世界では、1980年代のヘヴィメタルブームが行くところまで行き切った後、NIRVANAの登場で全てが一掃された現象が起こっている。その後、アメリカ発のポップパンク(GREEN DAY, The Offspringなど)やブリットポップ(Oasis, Blurなど)、ニューメタルの登場(KoRn, Slipknotなど)で既存のヘヴィメタルは完全に蚊帳の外に追いやられた。
ボカロ界でも今、同じことが起こっている。
病み系ボカロは今後しばらくはなくならないだろう。ただ、ボカロ曲が世間一般に受容されるようになった現在、もはや病み系ボカロがメインストリームに戻ってくることはないのかもしれない。