なぜボカロの「考察」はこれほどまでに盛り上がるのか?

本記事は、【ゆるめ2枠目】ボカロリスナー presents Advent Calendar 2024の参加記事です。

ボカロ以外での音楽における「考察」

そもそもの話、歌詞のついている楽曲において考察というものは付きものだ。
有名な楽曲を挙げるとするならば、アメリカのロックバンドEaglesの「Hotel California」がその例だ。
メンバーのDon Henley(Dr.&Vo.)曰く、

この歌詞の内容はアメリカ文化の度を越した不品行と、私達の知り合いだった女の子達についてだった。しかし芸術と商業主義との危ういバランスについてでもあった。

Daily Mail 2007.9.11

ということだが、リリースされてから約半世紀もの間、比喩や婉曲表現をふんだんに用いたこの楽曲の歌詞についてはさまざまな考察がなされている。
しかし私は、ボカロ曲における「考察」はこれとは少々事情が異なるのではないかと思っている。

MVに見るボカロ曲考察

ボカロ曲において最も重要なもののひとつに、MVがある。
ボカロ曲のMVは必ずといっていいほど歌詞とイラストで構成されており、これによって一件難解な歌詞を歌っていてもMVの視覚的効果によって多くのリスナーにわかりやすく曲の内容を伝えることができている。つまり、ボカロ曲に対する考察のハードルを低くする役割を果たしているのだ。
直近の楽曲では、サツキ氏の「メズマライザー」がこれに該当する。

正直、一回歌詞を読んだだけでは何のことを歌っているのかよくわからない人のほうが多いはずだ。ここでMVの出番である。
ネタバレになってしまうが、1コーラス終了後のクイズの描写や転調を経てラスサビに突入した時の初音ミクの挙動(あえてこう表現するが)など、節々で楽曲に込められたメッセージを視覚化したかのような描写がある。これもよく観察していないとわからないものではあるが、歌詞を読んだだけの状態に比べれば格段にわかりやすくなっているのか、リスナーたちはMVでの演出と本楽曲の歌詞を擦り合わせて考察を行っている。
これらの手法を駆使することで、歌詞を除けば従来は曲の構成(マイナーかメジャーか)やメロディなどでしか表現することのできなかった部分をMVに任せることができるので、楽曲はそういった縛りから幾分か解放される。
これを利用することで、たとえ難解で不穏な歌詞でありながら曲調はポップに振った曲を出しても、リスナーにその楽曲がはらむ内容がより鮮明に伝わるのである(制作者側の本意とは関係なく)。同時にこれは楽曲に対する注目を集めるための手法としては定番だと言えるだろう。
しかし内容が伝わるとはいえ、この手法はリスナーを1から10までガイドするようなものではなく、あくまで「含みを持たせた状態で」歌詞の内容を伝えていることがポイントになってくる。
それこそがボカロ曲の考察が盛り上がる理由にもなってくるのだが、それは後ほどお話しする。
これによって考察が過熱した結果、サツキ氏本人のこの反応のように作者本人が苦言を呈するほどになることもある。

そもそもボカロはなぜここまで歌詞偏重なのか?

ここからは完全に私の予想である。
上記のようなMVを駆使した手法が現れる以前にも、ボカロ曲では歌詞の考察が非常に盛り上がる傾向にある。
ではなぜ、そこまで歌詞が重視されるのか。
これは「強いストーリー性を持った作品の登場」まで遡らなければいけない。
黎明期の楽曲に全くストーリー性がなかったかというと決してそうではない。例えば、「メルト」は明確なストーリーが楽曲中に存在するが、歌詞を理解するために難しい考察を必要としない。自己解釈MVなど、二次創作文化の影響も間違いなくある。しかし楽曲中心に捉えるならば、主に「全盛期」と称されるうちの2009〜2013年頃の楽曲からの影響が最も大きいだろう。
もっと言えば、当時のNeru氏の作品のような当時の流行のど真ん中を地で行っていた作品群だ。
その全部がそうとは限らないが、これらの作品はボカロ曲における「あえて全貌を語らない歌詞が採用された楽曲のはしり」だからだ。
こうした作品のスタイルやそのメディアミックスが影響し、ボカロリスナーによる歌詞偏重、考察と強く結びついて「ストーリー性を持った歌詞をリスナーが考察する」という図式を定着させた。リスナーによる考察を助長した、という方が正しいだろうか。
さらに、人間の歌唱によるものではないという部分も強く影響しているだろう。
当然のことながら、ボカロ曲にはボーカリストの感情というものは存在しない。存在するのはあくまで作詞者の意図だけである。しかし、本人の発言なしにリスナーがその意図について完璧に読み取るなど不可能である。となると、そこにあるのは機械の歌うボーカルのみだ。
感情がないからこそ、リスナーの思い思いの気持ちをより鮮明に投影させることができる。
この現象こそが、ボカロ曲において考察が盛り上がるもう一つの要因であると私は考えている。
しつこいが、あくまで私の予想である。
異論があれば大いに指摘して欲しい。
ただ、ボカロ曲は歌詞が重視される音楽であるということは間違いないのであって、ボカロPとしてはもう少し音楽総体としてボカロ曲を聴いて欲しいなどと思ったりするのだ。

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