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柊マグネタイト「テトリス」のバズに見る、これからのボカロ曲推論。

(2025.2.15 追記)
「テトリス」はサンプリングではなく「インターポレーション」という行為に近いものと判断したので、一部追記修正しました。


「終焉逃避行」「マーシャル・マキシマイザー」で著名な柊マグネタイト氏が2024年に発表した楽曲「テトリス」がいま、議論を巻き起こしている。

2024年のトレンドである重音テトをボーカルに据えた当楽曲は、その歌詞やキャッチーなMV、イラストで媒体を問わない大ブームを巻き起こしている。
しかし、この「テトリス」という楽曲にあまり良い感情を示さない人たちが存在するのもまた事実。今回の記事では『なぜ「テトリス」にネガティブな反応が散見されるのか?』『「テトリス」から読み取れるこれからのボカロ曲とは?』を、私の持論を挟みながら記述していこうと思う。

なぜ「テトリス」にネガティブな反応が散見されるのか?

まず、当楽曲におけるネガティブな反応としてはこのようなものがある。


・既存のメロディにバズワードを詰め込んだ、「狙って作られた」楽曲のスタイル。
・とりあえず重音テトを使っておけば良いという安直な発想。
・柊マグネタイト氏個人の「バズ狙い」への転向を思わせる作風の変化。


正直下二つに関しては少々飛躍しすぎているものがあるが、これらのネガティブな反応からはボカロ曲の現状と未来を垣間見ることができる。
まず既存のメロディにバズワードを詰め込んだ楽曲のスタイルについてだが、この「テトリス」はロシア民謡「コロブチカ」のメロディを引用、つまりインターポレーションしている。

In popular music, interpolation (also called a replayed sample) refers to using a melody—  or portions of a melody (often with modified lyrics)—  from a previously recorded song but re-recording the melody instead of directly sampling it. Interpolation is often cited as a legal defence to mask unlicenced sampling when the artist or label who owns the recording of the music declines to license the sample, or if licensing the piece of music is considered too costly.
(以下和訳)
ポピュラー音楽では、補間(再生されたサンプルとも呼ばれます)とは、以前に録音された曲のメロディーまたはメロディーの一部(多くの場合、歌詞が変更されている)‍—を使用して、直接サンプリングするのではなく、メロディーを再録音することを指します。補間は、音楽の録音を所有するアーティストまたはレーベルがサンプルのライセンスを拒否した場合、または音楽のライセンスが高すぎると考えられる場合、ライセンスされていないサンプリングを隠すための法的防御として引用されることがよくあります。

interpolation(popular music) - Wikipedia

インターポレーションとサンプリング、オマージュの違いはみの氏の動画がわかりやすいので、是非参照していただきたい。

これらの曲はパクリ?-みのミュージック

このメロディをインターポレーションして新しい楽曲を生み出す手法は世界各国で昔から行われており、現在またトレンドになっている手法である。
海外アーティストでの例を挙げると、Ava MaxDua Lipaが近年サンプリングを使用して世界的にヒットを飛ばしたアーティストだ。

下記はインターポレーション元。

そして、インターポレーションによく似た行為であるサンプリングを使用した音楽として忘れてはいけないのがHIPHOPの存在。
音源をそのまま使用したものからメロディだけをなぞるものまで古今東西、多種多様だが、ここでは最近の事例として21 SavageNicki Minaj×Ice Spiceを挙げる。

下記はサンプリング元。

しかし、HIPHOPの文脈でこれらの行為が批判されることは少ない。元々サンプリングありきで発展してきた文化であるからだ。
サンプリングやインターポレーションに対する風当たりが強いのはどちらかというとポップスの方、ここで挙げた事例で言えばAva MaxやDua Lipaがそれだ。
Instagramなどでは、これらの楽曲とインターポレーション元の楽曲をDJがつなげた動画をいくつも見ることができるが、これらに寄せられる反応としては、


・Ava Maxはオリジナルを作れない。
・FUTURE NOSTALGIA(Dua Lipaのアルバム)に期待するものはない。
・彼女のキャリアはすべて「サンプル」だ。


Ava MaxやDua Lipaの場合、その数があまりにも多いのでこういった反応をされることが多いというのもあるが、こういったメロディのみをインターポレーションする楽曲に対する反応の傾向として、リスナーの世代的にインターポレーション元の楽曲を知らない場合が多いのを承知で有名曲をサンプリングした楽曲を制作し、名声を得るという手法が気に入らないようだ。
つまり元アーティストに対するリスペクトが感じられない、或いはファンとの「共犯関係」が築けていないというのが彼女達に批判的な人たちの本音だろう。
そこで「テトリス」である。タイトルからもわかる通り、柊マグネタイト氏がテトリスから着想を得てコロブチカをインターポレーションしたと推し量ることができる(テトリスはソ連発祥、コロブチカはBGMに採用されている)。どうだろうか。テトリスというコンテンツのブランド力や日常的にボカロ曲を聴くであろう彼のファン層、彼の常日頃からのロシア民謡への姿勢を考えても、彼がバズ狙いでコロブチカをインターポレーションしたとは到底思えない。これはテトリスというコンテンツやロシア民謡に対する、彼なりのある種のリスペクトのようなものだ。
現に、コロブチカを視聴できる動画のコメント欄にはコロブチカのことを知らないボカロファンが「(ゲームではなく柊マグネタイト氏の)テトリスから来ました」とコメントを残す姿が見られる。まさに共犯関係が築かれている最中だ。自身の作品がきっかけでコロブチカに触れるファンが出てきているのは、それはそれは作者冥利に尽きるだろう。
もしこの推理が正しくて、インターポレーション音源由来のバズでないとしたら、次にキーポイントになるのは歌詞だ。

こちらの記事によると現代人の生きにくさを表現した歌詞であるらしいのだが、あまりにも表現がぶっ飛んでいて私の思考力だけではこの歌詞で何を表明したいのかイマイチよく分からなかったので、今回はこの記事での考察が正しいと仮定して話を進めていく。
細かい内容は記事を参照してもらうとして、結論としては八方塞がりの自分の人生、今風に言い換えれば詰みゲーの人生をブロックを積み上げるゲーム(積みゲー)のテトリスになぞらえて表現した、所謂ダブルミーニングである。
また、バズワードを多用した歌詞は、最近のボカロ曲の流行を踏襲したものと言えるだろう。
ではなぜ、既存のメロディにバズワードを詰め込んだこのスタイルがネガティブな反応を呼び寄せるのか。
これは、ボカロ文化における一種のオリジネーター的思考が強く影響している。
はちゅねミクも、プロジェクト系の流行も、人間には歌唱不可能な楽曲も、(実態はどうであれ)すべて自分たちで作り上げてきたものという自負が一部のボカロファンには強く根付いている。我々が文化やミームを「生み出す側」なのだと。
同じニコニコで盛り上がっていたネット文化とは棲み分けがされていた歴史的背景、暗黙の了解、ファン層の違いなど、さまざまな要素が働いてボカロ文化はこれまでガラパコス的発展を遂げてきた。それが最近になってボーダーレス化し、ボカロの外から出てきたネットミーム、ネット文化がボカロ曲と組み合わされた結果、ボカロは文化やミームを「享受する側」にまわりつつある。こうしたボカロ曲を取り巻く環境の急激な変化についていけない保守的なボカロファンが表立って上記のような批判を繰り広げるのだろう。
個人的な所感であるが、所謂パクリ行為に厳しい邦楽界の中でもボカロ曲は一際その傾向が強い。有名な事例では、Neru氏にパクリ疑惑が出て騒動になったり、かいりきベア氏に良く似た楽曲を発表したボカロPが猛批判に晒されたことがあったりしたが(このときはイラストもかなり寄せてたのであまり擁護はできないが…)、一度パクリと認定されてしまうと相当なレベルで叩かれることがある。海外ではパクリ行為に寛容というわけではないが、「ちょっと似てるよね」のレベルではそこまで騒がれない。これでは、パクリやサンプリング、インターポレーションの区別がつけられず、パクリと決めつけてアーティストを叩いてしまうボカロファンの存在も今後ますますあらわになってしまうことだろう。
これもボカロ文化がはらむオリジネーター的思考のひとつだ。
また、ボカロを聴かない歌い手のファンや、ボカロに親しんでいない、元曲を知らぬまま楽曲を聴くリスナーに元来のファンが厳しい態度を取るのも往々にして見られる。ボカロ曲の場合、TikTokの登場でこうした者達の存在があらわになったが、「テトリス」のようなインターポレーションを使用した楽曲にも出現する同様のリスナーにも同じ態度を取っている。そういった人たちには、元曲やサンプリング元を紹介するなどして輪を広げていくのが理想なのだが、残念ながらそうはいっていないようだ。
それらが理由かはわからないが、これまでボカロ曲で表立ってインターポレーションを行った作品はあまり存在しなかったのが事実だ。実例を挙げるとしてもオワタP氏の「トルコ行進曲 - オワタ\(^o^)/」くらいしかない。

その空気感を破壊したのが「テトリス」であり、柊マグネタイト氏である。
また、重音テトの使用について、流行に便乗した安直な思考であるという批判も目立つが、彼が2021年に発表した「マーシャル・マキシマイザー」のボーカルも当時大流行していた可不であるし、その他にも初音ミクや歌愛ユキも使用している。多少は流行を意識しているだろうが、結局のところ彼は曲によってボーカルを変えるスタイルのボカロPであるというだけの話なのだ。
そもそも、流行に便乗するのは何も悪いことではないし、バズを狙って曲作りをするのも何も悪くない。DECO*27氏のようにずっと初音ミクを使い続け(一時GUMIを使っていたのはあえて言及しないが)、同じ作風を貫く姿勢も素晴らしいが、どちらが良いとか悪いとかの話ではない。
流行の変化についていくのも、立派な実力のひとつだ

「テトリス」に見るこれからのボカロ曲

インターポレーションを使用したボカロ曲が大々的にバズったことや新しいファン層の流入によって、ここからさらにボカロ界はサンプリングに対して寛容な姿勢に変化していくことだろう。その過程で、権利問題が表面化してもう一悶着あるかもしれないし、何よりボカロファンたちがインターポレーションやサンプリングに対してもっと理解する必要がある。
それを乗り越えれば、ゆくゆくはボカロ曲をインターポレーション、サンプリングしたボカロ曲が生まれる可能性だって存在する。これらの手法によって、ボカロ曲が聴き継がれていったり、眠っていたボカロ曲が新たに注目されるかもしれない。しかしそれは、保守的なボカロファンの批判もさらに大きくなることを意味する。今、Ava MaxやDua Lipaがされているような批判をこれからのボカロ曲がされるということ。ここでインターポレーションやサンプリングに否定的な感情を振りかざして、わざわざ海外と同じ轍を踏む必要が一体どこにあるのか。
もはやボカロ文化はニコニコだけのものではない。「愛して愛して愛して」「メズマライザー」などのボカロ曲が海外で発掘されつつある昨今、ニコニコにしがみつけばしがみつくほど、ニコニコにおけるボカロ文化は衰退していくだろう。
ほとんどのボカロPはそのことに気づいてアンテナを高く張り、さまざまな情報をインプットして自分の作品にフィードバックさせている。それこそが2019年頃からのボカロ人気再燃の要因のひとつであると、私は考えている。
ボカロファンも同様にアンテナを高く張り、広く視野を持つべき時が来ているのではないだろうか。その上でニコニコが一番だというならそれも良い。だが、これから世界がボカロ曲に注目する未来が待っているというのなら、長く住み慣れたニコニコという殻から飛び出して、様々な媒体で大勢の人目に触れることこそが、ボカロファンの大勢が願うボカロ文化の発展なのではないだろうか。それでもブレない独自の要素があるとしたら、それが真のボカロらしさということだ。
もしそれが原因でニコニコにおけるボカロ文化が衰退してしまうなら、その時ニコニコはボカロ文化における役割を終えたということになるだろう。
「テトリス」は、単に「バズったボカロ曲」から、我々にボカロ曲の現状と未来を指し示す重要な楽曲へと姿を変えている。

⦅参照⦆

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