見出し画像

微笑みの国のひとびと① セレブ彼女からの贈り物

彼女は言った。
「いつか必ず別れるときが来るよね、だから私は、あなたが一生とっておけるものをプレゼントするわ」

当時、
僕はバンコク郊外の中流ホテルに長期滞在していた。
初めての日本人客を喜んでくれたオーナーに破格の家賃を賜り、ぼんやりとタイ語の勉強をしながら、ムエタイジムに通っていた。
ジムは世界各地から集まった実力も目的も人種も、何もかもが違う雑多な面々だった。

そこに居合わせた日本人の僕とドイツ帰りでタイ人の彼女。
お世辞にも美人ではなかったけれど、
明るく溌剌としていた彼女の存在を僕は気になっていたのだと思う。
「練習の後ご飯でもどう?」
と誘ってきたのは彼女だった。

彼女のイメージ

その頃の僕と言えば、大都会バンコクに暮らしながら、
生活圏以外の物事を直視していなかった。
高層ビル群や高級ホテルなんて、縁のない所だと思っていた。
噂には聞いていた現地の大金持ちの存在なんて、
自分には関わりのない人達だと思っていた。
他方、
彼女はドイツでの学生生活を終えて、タイに帰国。
有り余る時間と体力を持て余して、ムエタイジムに通っていたのだろう。

彼女との食事が練習後の日課になっていたある日。
何の前振りもなく「今日は私の父も一緒でいい?」と聞かれた直後、
品のある紳士が新車らしいベンツから降りてきたときの事を鮮明に覚えている。
彼女の家族はタイ国全土にて私立病院経営を手掛け、親族各々が高級外車を所有する、
"縁のないはず"の人たちだった。

バンコクの夜景

交際を始めた当初から、毎日24時間が言語のレッスンになった。
これまで僕が見知った人々と全く異質の経歴、教養、ライフスタイル、人生観、etc…..
彼女を取り巻く異世界に夢中になっていた。

タイ国内外を二人で連れ立って旅をしながら、
いつも明るい彼女と色んなことを語り合った。
サラリーマン時代には想像もつかなかった時間の使い方ではあったが、
言葉を覚え、習慣や礼儀を知り、社会との繋がりを築く、こうして僕は"外国で改めて大人"になっていった。

30歳を過ぎていた僕たちには結婚の話題にもなった。
一家のボスである彼女の母親は「早く孫が見たい」とまで言ってくれていたが、
タイの国民性のひとつである、何が何でも家族絶対主義を受け入れる事が出来ず、別々の道へ進むことになった。

僕のタイ語は現地の人から、
「タイ人よりも丁寧なタイ語だ」と褒められることが稀にある。
その度に彼女が言ったことを思い出すのだ。
“いつまでも無くさずに使えるプレゼント”
それは死ぬまで手放すことなく、大切に毎日使える贈り物であった。

いいなと思ったら応援しよう!