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寝るのが好きという気づきなど

ふと感じたり思ったことを、後から読み返せるようにどこかに書いておきたい、と思っても、何か結論や主張をする感じにまとめようとすると億劫だし、時間がかかる(ので書かない/かけない最近)。
ので、ふと思ったことを日記的に、つらつらと書いておけばいいじゃないか、っと思った今日。
ということでつらつらと。

 
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大江健三郎さんが3月に亡くなり、図書館に行ったら「あいまいな日本のわ私」が並んでいて、借りてきた。お恥ずかしながらそれまで大江さんの著作は読んだことがかなったけど、長男光さんとの日々のことが率直に正直に暖かくかかれていることがとてもいいなぁ、、と思って、それをきっかけに、恢復する家族、などを帰りてきて、母と同時並行に読んでいる。

亡くなってしまってからじゃなく、同じ世界を生きていた時に読めたらならば、何かしらより深く近づけるチャンスもあったかもしれなくて、それはある意味残念なことなのかもしれないけれど、でもその人の「死」をきっかけにして受け取れるものがある。だから「死」がすべての終わりで、「死」は無になること、とはやっぱり思えない気がする。とか考えていた。
私は大江健三郎さんの死をきっかけに、大江健三郎さんに出会った。そして確かに、自分にとって良いものを受け取っている。

それにしても大江健三郎さんはあの丸い眼鏡ものすごく似合っている。
いいなぁと思う。丸眼鏡ナンバーワン。


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数日ぶりのいい天気で気持ちがいい。そうすると気分がいい。

昨年来気持ちが低空飛行で、調子がいい!という時の方が少なく、仕事でやらなければならないもの以外にものを書く気になれないでいる。

今日みたいな少し調子がいい日がなぜ嬉しいかというと、
反対に言えば気持ちが上がらないとなぜいやなのかかというと、
調子がよくないとこころの扉が閉じてしまい「いいもの」を受け取る力がなくなるから。心が固まってしまうから。
かもしれない。

今日はその扉が、心が開いていたおかげで、いいものを聞けた。
リアリティとリアルの話とか。
タイムマシーンで過去に戻ってその時自分が見ていた方向ではない方を見てみる、とか。
そんな日はそれだけで最高にいい日だ。ありがたい。と思える。

音楽や、美味しいもの、美しいものをなぜ求めるんだろうか、好きなんだろうか、と考えてみた。
多分それらはたとえ気持ちが塞ぎ込みがちでも(落ち込んではまり込んでいる場合はそこまでの余裕もないのかもしれないけれど)そのパワーによって心を開いてくれて、心を震わせてくれるから。のような気がした。


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最近気付いたのは、私、寝ることが好きなのかも。ということ。
「とにかく早く夜になってまた寝たい」、と朝起きた瞬間から思うことが少なくなくて、「だから病んでる」と同じくダウナー系な敬愛する先輩に話したら「それ、寝るのが好きなんじゃないか?」と言われて、ハッとしたのがきっかけ。
わたし、寝るのが好きなのかも。


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