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「何者かにならなければならない」からの解放 2021

去年、「何者かにならなければ」から解放された。

それは私が気づかないうちにかけられていたけっこう大きな呪いの一つだったと思っている。


佐藤雅彦さんが好きだ。

昔の美術手帖の「佐藤雅彦」特集(2010年10月)を手に入れて読んでいた。

(卒業を控えて就職の段になると学校側の指導として必ずでてくる言葉の)自己実現という言葉には、自分は何者かにならなくてはいけないというのが強迫観念的に含まれています。少なくとも若い人たちはそう強要されている。何者かになれ、と。言われた若者は何者かになろうとするのですが、そこでひとかどの人物になれないと周囲からは負け組と言われ、自分も諦めてしまう。でもそこで自分ではなく、世界に意識がいっていると希望がもてるんですよね。諦める必要なんてないんです。
「私が私が」と自己の属性に執着することで見失うもの、自分を生かしている大きなる世界への畏怖を感じて欲しいということです。

私は私なりにもがきながら、民藝という道筋から、この佐藤雅彦さんがかつておっしゃっていた「何者かにならなければならない、からの解放」に辿り着くことができた。それがなんだかすごく嬉しく誇らしかったし、そういう世界の捉え方、視点、が好きだから、佐藤雅彦さんが好きなんだなぁと改めて認識した。

そして、記事を読み進めていて、おぉ、と唸ったのは、佐藤さんの話の中で、同じく(いや、正確にはかなり)好きな小沢健二さんがでてきたこと。

それ(自分ではなく世界に意識を向けた時に得られる自由さについて)は、一緒に活動していたミュージシャンの小沢健二が教えてくれたことなんです。彼がある日、事務所にウキウキした様子でやってきたことがあったんです。どうしたのかと尋ねたら、近所の魚屋のおじさんが毎日店の路地で魚をさばいている。そして今日もいつもと同じようにさばいていて、見ていて嬉しくなったと。それだけしか言わなかったけど、僕は彼の言いたいことがよくわかりました。

そのおじさんは存在意義とか自己実現のために魚屋になったとかではなく、おそらく代々の家業が魚屋だから、その後を継いだのでしょう。でも不満もないし過度な期待もない。生業として与えられた仕事をやっているんです。

別に何者かにならなくてもいいじゃないですか。自分が自分であることの証を求めるのは本来、無理があります。その魚屋のおじさんは決して何かを諦めたわけではないはずです。過度に自己を主張しないことの中に希望があるんです。

お二人がお友達だとは知っていたけれども、若かりし小沢さん*はすでにそういうことをわかっていた、ということを知って、その人をずっと好きでいることがこれまた誇らしく、嬉しくなった。
*一緒に活動していた、ということで、おそらくNYに行ってしまう前なので20代のオザケンだと思われる。


ある人に惹かれるのは、その人の世界の捉え方、視点、が好きだから。

だから私は佐藤雅彦さんが好きだし、小沢健二さんが好きだし、永積タカシさんが好きだし、是枝裕和さんが好き。なんだと再認識した体験だった。
(ちなみにこの方達は、佐藤さん⇆小沢さん、小沢さん⇆永積さん⇆是枝さんというぐあいに実際に繋がっている)

さて、そのインタビューでは小沢さんが再び登場する。

これも小沢健二がいったことですが、遠方に出かけた時にたまたま海の近くを通りかかって広い浜辺に出た、と。そこでごろごろとした石を眺めるうちに、あたり一面に見える石や砂の分子と、自分の体をつくっている分子が元は同じだということを強く感じたそううなんです。どちらも何十年、何百年という単位で入れ替わっていくから、いずれこの水や砂の一部が自分の体になるかもしれないし、その逆もある。ならば自分は世界と一体化しているはずだ。それが理屈だけでなく体得できたんでしょうね。とてもうれしかったと言っていました。

それはだいぶ前の出来事で、そのとき僕はまだ属性という言葉は意識していませんでした。しかし例えば皮膚のように、あたりまえに自分の一部であるものも、実は長年月の中で一瞬だけ自分に所属しているに過ぎない、ということに気がついたんです。自分の職業、生き様、身体からも無頓着でいられる自由さが、自分にはあるんだと。

確かにオリーブの連載ドゥワッチャライクでそういうこと書いていた。若いオザケン、すごいなぁ。


こういう佐藤雅彦さんの言葉と視点に触れるたびに、佐藤さんのような先生の下で大学時代を過ごしていたら、、、と思う。今の自分の人生を後悔しているわけではないけれど、「学びたい先生で大学を選ぶ」、という真っ当な視点を持っていたならば、私の人生はまた違ったものになっていたのではないか、、と思ってしまうから。

資本主義社会にどっぷりつかって、いい会社に入ることだけをゴールに考えて(自然にそう刷り込まれていた)大学を選んでいた学生時代がうらめしくなる。まぁそんなことも含めて私の人生、なのだけれど。




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