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ごみ拾いに2,000人!?日本一楽しいごみ拾い海さくら!

神奈川県江ノ島の海を中心に「ゴミ拾い」を軸とした、様々な活動をされているNPO法人 海さくら 代表 古澤さんとyoutubeで対談させて頂きました!

より詳しくインタビューもさせてもらいましたのでnoteでご紹介します。

ゴミ拾いをする?海を守る!?
様々な活動には、どれも信念がある素敵なものです。



NPO法人海さくら
当団体は、2005年12月より神奈川県江の島の海に、かつて生息していた「タツノオトシゴ」が戻ってくるようなキレイな海にするため、「楽しい」「体験」「体感」をキーワードに、今までにない挑戦をしつづけています。全国29箇所に拠点を展開し、(休止中の団体も有り)毎月のゴミ拾い・年中無休のゴミ拾い・面白いゴミ拾った選手権・映画製作・タバコのフィルターでカヌー制作など、これからも「目指せ!日本一楽しいゴミ拾い!」を合言葉に、挑戦してまいります。ぜひ、江の島で一緒に楽しみながら海をキレイにしましょう!!

Q. 海さくらさんの理念が「日本一楽しいゴミ拾い!」なのですが、ゴミ拾い自体に「楽しい」というイメージがなくて、どのようにしてゴミ拾いを楽しいものにされているのでしょうか?

シンプルに「ゴミ拾いやろうぜ」って言っても誰もきてくれないからですね。海さくらの立ち上げ当初の僕は体育会系で威張っていたので、仲間や後輩に「おいこいよ。」と声をかけると1回や2回は来てくれるんですよ。単発で来てくれても、どこかで来てくれなくなるどころか、誘われる鬱陶しさで嫌われたりしますからね。この誘い方ではいけないんだって感じました。自分が呼ばれる側であっても、呼んでくれる方との友情で行くことはあっても、自らゴミ拾いに行きたいと思うことってないな。って感じたので、みんなが行きたいと思えること(楽しい)×ゴミ拾いを組み合わせることで、みんなが詰まるようにしようとしたのが楽しいをテーマにしようとしたきっかけです。 

具体的にどんなことをしているのかと言いますと、ゴミ袋をとトングを可愛いものにするところから始まり、集めたゴミ袋でゴミ箱をアートにしようという創作体験を始めてみたり、「どすこいビーチクリーン」というお相撲さんと一緒にゴミを拾ったり、「昭和ロックゴミ拾い」という昭和のロックスターたちとゴミを拾うようなイベント×ゴミ拾いであったり、LEADS TO THE OCEANプロジェクトというプロスポーツの鑑賞後にスポーツチーム主催でみんなでゴミ拾いをするゴミ拾い×スポーツであったり、ジャンルは他種多様です。


ゴミ拾いを面白くする=ゴミ拾い×「〇〇」なんですね。その「〇〇」のアイデアってどのようにして考えるんでしょうか?

最初は「ゴミ拾いのソフト面」から変えていこうという発想から始まりました。先ほどあげた例でいうとゴミ袋を可愛くすることやトングをおしゃれにすることですよね。でもこれにも限界を感じ始めてしまいました。「ゴミ拾い」と「可愛い女の子とデート」だったらどっちを選びます?多分多くの人が後者なんですよね。そういうシンプルな思いに寄り添っていこうという思考になって、企画のハード面を変えていくようになりました。「ゴミ拾い」×「○○」の思考ですね。最初はご飯が好きだからゴミ拾いをした後にみんなと美味しいご飯が食べられるよというところから始まりましたね。そこからは面白いと思った「○○」の発想をどんどん試していくだけ。あとアイデアの考え方としては問題から着想することもあります。
例えば、「どすこいビーチクリーン」はビーチにゴミの中でも触れると危険なガラスなどゴミがたくさんあるという問題から着想して、裸足で相撲ができるほどの安全なビーチにしよう。というところから着想しています。本当のお相撲さんが来てくれたらめちゃ楽しいよね。が楽しさの部分ですね。他にも夏シーズンが終わると釘のゴミがたくさん海に現れるんだけど、それって海の家の解体の時に出るゴミでして、なら釘を使わない海の家を建ててしまおうということで、宮大工さんと一緒に海の家を作ったり、問題を解決する際のプロセスも楽しさを意識してますね。

「楽しい」にシフトするようになって参加者さんたちの反応って変わりましたか?

思いっきり変化がありました。数字で言うと、最初は自分の身内20人がどんどん右肩下がりになっていたものが、「楽しい」ことにシフトするようになってからどんどん参加者が増えてくるようになって、今や1度のイベントで2000人近くの人が集まるようになりました。「楽しい」を意識するまでは「押し付け」の気持ちがあったと思います。だから参加者さんも押し付けられている意識があったのかなと思いますね。僕に「おい!ゴミ捨ててんじゃねよ」って言われるのと可愛い女の子に「これどっから来るんだろうね?」って話しかられるとでは嬉しさが違うし、自分ごとになりやすいですよね。

一緒にゴミ拾いした方が自分ごとに感じている瞬間はありましたか?

数字でみると、藤沢のビーチのゴミの回収量は我々が活動してから減少しています(2005年以降)。町の人の意識が変わってゴミを拾ったり、町のゴミが減っていることなんだと思います。皆さんが自分ごとにしてくれているなと感じるのは、我々がイベントを開かなくても、片瀬東浜にはゴミを拾っている人がいるんですね。それって最大の自分ごとだなって感じます。ゴミ拾いのイベントを一緒に行った、TUBEの角野さんから聞いた話では、女子高校生がTikTokの撮影をしながらゴミ拾いをしてたんですって。海さくらさんのイベントが中止になったから自分たちでやってるんです。海さくらでゴミ拾いが楽しかったからという理由でみんながイベントがなくても自主的にゴミ拾いをする光景が、自分ごとを体感する機会ですね。でも、まだまだゴミが海から無くならないのも事実です。もっと面白いことでゴミ拾いの輪を広げていきたいですね。

楽しいの力をとても実感しました。お一人で立ち上げた団体さんがJリーグのチームやFM横浜などのビックネームとコラボするようになるまでに至る、海さくらの成長の経緯を教えてください。

とにかく意識していることは「誠実」さと「感謝」の気持ちを行動で示すと言うことですね。ゴミ拾いにきてくれた人がすぐに次回の日程がわかるように、情報の更新スピードを高めることと、質問に対する返答やお礼状やお礼のメールを逐一行うこと。参加してくださる方のストレスを感じさせない環境作りは徹底しています。活動報告も一回一回のゴミ拾いを必ず記録しています。

それに日々のゴミ拾い活動で感じることをキャッチすることを大切にしています。「町からのゴミが多いな」とか、「タバコのゴミが多いな」など、コツコツ拾っていくことで、感じる違和感をキャッチすることで、その課題解決のために今までのやり方を更新するきっかけが生まれますよね。その先で誰かの力が必要になるから広がっていく。その繰り返しを継続していくことなんです。違和感に気が付く→解決のために何ができるのかを考える→そのために必要な人や物を仲間にする→その実績を残す→さらに大きくしていく。というサイクルを五、六年と続けていくことが成長に繋がりました。きてくれる人を大切にすることと、シンプルにやるべきことをコツコツ積み重ねていくことが大切です。

それとは別に戦略的にやっていくポイントもあります。メディアに出てメッセージを発信したいなと思うと、メディアの人と出会うための口実を考えることも大切です。「FM横浜でこんな番組をやりたいんですよ」と自分の企画をお伝えしたり、イベントなどでご縁した方に海さくらってこんな団体なんですよと興味を持っていただくようにプレゼンする。そして何よりヒヨらない。加山雄三さんにお声がけしてみよう!とか、BEGINさんにきてもらおうとか、できるかどうかわからないこともとりあえず挑戦してみるのは団体を広げる上で大切だなと感じています。

そのようなビックネームにお話を持っていくことへの緊張や恐れはないのでしょうか?

緊張も恐れもなかったですね。昔は海に釘や注射器などの危険なゴミが落ちているのを放置している市に対して腹が立ってきて、自ら役所に乗り込んだこともありました。それは反省している点です。本来の目的は「危険なゴミを放置させないこと、捨てさせないこと」なので、役所の人に気持ちをぶつけても変化は起きません。今は市役所とも協力体制をとっているので、僕が藤沢市役所に行って手をグンと上げると、みんな同じポーズを返してくレルほどの関係性を築いています。押し付けがましくゴミの話をするのと、ゴミ問題について一緒に考えましょうよというスタンスを取るのでは全然話が変わってきますよね。後者の方が圧倒的にやりやすいし、相談された方も気持ちがいい。相手の話を聞く気持ちというのは誰と活動する上でも大切ですね。

問題を解決するための古澤さんのアイデアはどのように考えられているのでしょうか?

方法論というよりは常に考えることが大切です。寝る直前まで常に考えています。楽しい企画はなんだろう。どんな人とコラボすれば面白いかな。とかずっと考えてしまう。考えすぎで体調壊すんじゃなくて、むしろ考えない時間を作るために映画を見たり、絵を描いたりする時間を作ってますね。これは海さくらを始める前からそうでした。ずっと考えちゃうんです。考えれば考えるほど脳みそって活性化するらしいので、寝る限界まで考えることは脳にいいみたいなんですけどね。

コツコツ続けていくことって簡単じゃないと思っていて。海さくらのお仲間や他の団体さんが挫折する瞬間ってありましたでしょうか?

「ついていけない」とやめた人は何人かいますね。海さくらの活動が少しづつ大きくなって、補助金を頂いて、社員が一人増え二人増えという形で人を雇用できるようになったんですけど、雇った人が活動を続けられなくなることは少なくないです。同時期に始めたゴミ拾い団体は全部辞めちゃってますよね。みんな初速はできるんですけど、17年間それをやり続けることができている団体は他にないです。
続けられた理由は、僕にとってゴミ拾いが本当にやりたいことだったからです。だからこそ17年間1度も辞めたいと思ったことはないです。海さくらという組織の運営が辛くなることは何度かありますが、海を綺麗にすることを辞めたいと思ったことはないです。それに続けたくなければ無理に続ける必要はないと思っています。もちろん世間は狭いですし、辞めることに関して色んな印象を持たれることはあるので、礼儀を欠くような辞め方はよくないと思います。

僕は生きていく・食べていくことは大変だと思っています。原始人の頃から狩をすることが始まり、農業するにも、お金を稼ぐにも苦労や大変なことが伴うものだと思っていて、そこから逃げるような辞め方だと、僕はもっとがんばれと鼓舞するかもしれないです。挑戦すればするほど、壁や困難は何度も現れるし、それを超えていくことがその人の成長に繋がっていくので、その背中を押してあげたいと思っています。自分の下で頑張ってくれたマーケッターたちは「電通・博報堂」に入社した子もいて、頑張った子たちにはどこに行っても通用するような人になれる環境です。海さくらの社員になってガッツリコミットしてもらえれば、起業できるほどの学びと成長は届けていますね。小さい会社なので、経理・広告・デザインから全部やらざるを得ない環境なので、みんな頭から湯気を出してひいひい言ってます。なので必ず辛いことの先に成長や学びがあると思うので、諦めずに前に進んで欲しいですね。スターバックスやマクドナルドですら毎シーズン新商品を出すんだから我々は頑張らないとね。

これからの活動家ってマーケティングを学んでおいた方がいいんですか?

結論、学ぶ必要はないですね。僕にとってのマーケティングって必要なところに必要なものを置くことなんです。マーケット=市場に適正に届くためのデザインだったり商品価値を既存のデータから導き出すことをマーケティングというのですが、全くマーケットを踏まえずに設計されたものをコンセプトアウトというのですが、それらって全く別物なんですよ。カメラマンと写真家の違いですよね。商品の撮影だったり、時代のニーズにあったものを届けるのがカメラマンで、自分の撮りたいものを撮る人を写真家って分けて考えているように同じ写真でも全然別物のように、同じ社会活動でも「必要」だから行うのと、「やりたくて」やっているのでは全然違います。それにマーケティングから社会活動をしようっていう人は続かないです。はっきり言って。SDGsの時代だから社会活動をしているのでは続かない。本当にやりたいと思えないと17年続けてこられなかったですね。マーケティングではなく自分の心からやりたいものを追求して欲しいと思います。それがなんであれ徹底的にやり抜くことで何かが見えてきます。

古澤さんが動き始めた時のように、今挑戦をし始めた次世代の皆さんにメッセージはありますか?

メッセージ、、、特にないです。笑 むしろ読者の皆さんのメッセージや想いを聞かせて欲しいので一緒に楽しいことしましょう!

古澤 純一郎
1975年10月6日生まれ。
身長 :178cm 体重 : 96㌔ 
趣味 : 運動・酒・沖縄旅行・海あそび
船具屋の長男として生まれ、現在、古沢工業株式会社取締役/海さくら代表・発起人。慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、大手デパートに入社し3年間勤務した後、広告代理店にて5年間マーケティング営業の業務に従事。退社後、古沢工業株式会社に入社し取締役に就任。現在に至る。学生時代は、慶應義塾体育会庭球部(テニス部)に所属し、脳を含む全身が筋肉で構成されていたが、現在は脳は筋肉のまま身体はほぼゼイ肉だそう。

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