現代武士道 其の参
武士道の心
敷島の
やまと心を 人とわば
朝日ににおふ 山桜かな
こんにちは、
神社の神主
神道家の誠徳です。
この歌は、
江戸時代の神道家の
本居宣長がよんだうたです
やまとこころをは どうゆうものですか?と
きかれて、こたえるならば、
朝日とともに凛と自然に咲く、
山桜のようなものです
という意味です。
桜は、使命だけをばーっと
全うして、さっと散る。
そのちりぎわが、素敵だから、武士道もそうであれ、と
とらえられてしました。
でも、
本当は、違ってて、
大和魂ってのは、
自然とともに生き、
そこに花をそえる人生であるように、
そして、
観賞用にに人が作った桜ではなく、
人知れずとも、山奥に、
だれにも見られなくとも、
山桜のように、
じぶんの花を盛大に咲かせる
そんな生き方こそが、
日本人ですよ!
という意味の
和歌だと、
私はおもいます。
武士道も、
死ぬことをみつけたり、
は
逆にとって、
咲くことをみつけたり
ということなんだと、私は解釈しています。
今日は、このへんで、
ではまた
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