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自己紹介:山下涼子

はじめまして、山下涼子と申します。

今回のnoteの記事は、自己紹介を中心に書かせて頂きます。
ご興味ある方は、ぜひnoteをご覧いただけたら幸いです。


1、家族に支えられた幼少期

私は転勤族で、東京生まれ、愛知、香川、岡山育ちです。
ちょうど予定日の1か月前に生まれ、体重も2150gと小さく生まれ、長女ということもあり、とても大事に育てていただきました。
5人家族で父は大手エネルギー会社の営業マン、母は専業主婦、弟2人という家庭で育ちました。
父は仕事が忙しかったと思うのですが、あまり接待などが好きではなく、当時のサラリーマンからしたら、わりと自由に家に帰ってきていました笑
「仕事なんてしたくない」と言いながら家族のために働いてくれていて、冗談を言いながら家庭を明るくしてくれる、ひょうきんな父です。
母は専業主婦で、家事をいつも懸命にやってくれていました。本当に家族のために尽くしてくれて、私は感謝の気持ちでいっぱいです。さみしい思いをすることはなかったですし、料理やお菓子作りなどいつも一緒にやらせてもらっていました。本当に愛情いっぱいの家庭です。
弟2人は、とてもやさしく穏やかで、たまに喧嘩もするけれど、とても仲良い兄弟でした。

2、実は苦しく、そして楽しかった学生時代

私は、小学生の時はまだ体が小さく、背の順は一番前、スポーツをしても給食を食べてもいつも最下層を走っていました。
極めつけは、連絡帳に「学校の授業についていけてないので、特に算数を家でも特訓させてください。」と書かれて、すごく恥ずかしかったのを覚えています。
そして何回かそういうことが続くと、何をやっても劣っている、、、と非常に苦しかったのを覚えています。

それは今思えば、私の捉え方もあります。国語は大好きだったので、読書感想文で学校代表に選ばれたり、絵も金賞を取ったりしていました。
できていることよりも、できないことに目を向けてしまっていました。

とはいえ、その状況を打破したいと親にも協力してもらいながら、勉強を家で特訓し続けた結果、学力も上がり中学校の2年生あたりから急に勉強が楽しくなってきたのを覚えています。
そこから、私は今でも継続の大事さを体感している気がします。

学力も上がりテストの点数も上がり、先生からもどんどん褒められるようになり、そして、恋愛も学年一のモテ男子と上手くいっていて、学校生活は勉強に恋愛に、そして部活に打ち込むことがたくさんありました。

ただその結果、同学年の女子から目をつけられるようになり、急に仲良しグループから外され、仲良かった人が離れていく経験もし、孤立していくようになりました。
学校で目立つのは大変だ。面倒。そう思い、普通、みんなと溶け込んでいるのが一番、と思うようになりました。
部活動では吹奏楽をはじめ、中学校3年生で岡山県に転校し、その結果、楽器を持っていないと部活に入れなかったのでダンス部に入りました。
なんとなく、音楽つながりで、という感じでしたが、ダンスを選んで正解でした。今ではとても良い経験です。

ただどこかで、グループを急に外された恐怖があり、だったら目立たなくていい、波風立てない人間関係が一番楽だ、と思いはぬぐいきれないまま学生時代を過ごしていました。

高校生活でもダンス部に入りました。どこかで、自分に対する成長願望というか、別人になる変身願望はあったのかもしれません笑
ダンス部は目立つ存在の子が多く、色々先生に目を付けられることが多かったです。校則である髪色、ピアスなど校則破りまくりの集団でした笑
ただ、岡山県の進学校であったため、基本的には、学力があれば目をつぶる、という先生方で、私は大好きでした。

そのころから、やり方は自由でいいし、そして、結果を出せばなんでもいい、という思考になりつつありました笑
結果を出す、というところでは、自分の第一志望の大学に行くことができましたが、先生方からしたら、もっとレベルを上げて大学に行ってほしい、という思いをひしひし感じていました笑

大学に行くなら、絶対に関東で進学したい、そして学費的に国立に行きたいと思っていたので、ドンピシャな大学に合格することができ、とても嬉しかったです。
高校も、大学も第一志望で行くことができ、小学校、中学校前半からするととても楽しい学生生活でした。


3、激動の社会人生活

(1)恩師との出会い

とにかく就活がリーマンショックもあってうまくいかず、大学4年生終わるギリギリで就活が終了しました。
考えれば考えるほど、特に仕事でやりたいことがなく、入ってみないと分からない、どれも楽しそう、という思考から抜け出せておらず、なぜその会社に入りたいのか?という志望動機を書くことに飽き飽きしていました。
自分の軸がない、ということがコンプレックスでもありましたが、であれば、汎用性のある、力がつきそうな会社に行こうと、ITベンチャーの営業に応募し、無事内定が出ました。

その会社に入れて嬉しいという喜びよりは、就職浪人なんてかっこ悪いところ後輩に見せたくない、という思いで安堵した、という感覚に近いです。

そんな想いだったので、絶対に社会人で頑張ろうと決めていました。
ただ、新卒1年目からの生活は、本当に大変でした。
私にとってはとても驚きの連続で、社長の当たり前の基準と、私の当たり前の基準があまりにも違ったことを今でも覚えています。
電車移動の際、訪問先に一番近い出口の車両に乗っていなかったら、とても怒られていました。時間がもったいないだろ、営業として24時間365日ある中で、契約を取るための時間以外は無駄だと。
そんなに変わらないだろ、と思っていましたが、今では分かります。

日々怒涛で23時24時まで働くのが当たり前になっており、それでも目の前の仕事を頑張れば何か見えてくる、そう感じていた社会人前半でした。

そんな時に今の恩師と出会い、そもそも人生の目的目標がないことに気が付きました。
会社の仕事がとても忙しかったのですが、それでも時間を確保して、将来の時間を考え、自分の向かう方向性を決めたいと思い視野を広げていました。

(2)目的目標を決める

恩師に教えて頂いたのは、まず、目標を「欲しいもの」「やりたいこと」「なりたい状態」に分け、それぞれ20個以上書き出しをし、人生の目的を思いっきり描こうと言ってもらいました。

「頑張った先に何を見てるの?」

とふと言ってもらった一言で、本当に真剣に考えました。
私は何を求めているのか、1回きりの人生どうしたいのか、何に向かっているのか、、、
これ以上なく真剣に考えました。

(3)学ぶ人を決める

私は、(1)(2)を経て初めて経営するという手段が視野に入りました。
本当に思いっきり人生を描いた結果、結果的に経営だった、できる/できないではないしやってみないと分からない、という恩師の言葉が離れませんでした。

同じ会社員というフィールドで、努力によって結果を作ってこられた、もうそれだけで衝撃的過ぎました。
私にもできるかもしれない、可能性を感じました。
その可能性にかけて一歩踏み出してきて、本当に良かったです。

4、今の事業と今後のビジョン

いまは、営業代行をメインにしています。
IT、人材、不動産をメインに、色々な業界の営業代行を行っています。

会社に所属していた時、あんなにも営業成績を出すのに苦しんでいた社会人1年目。
そこからたくさん教えて頂いて、今はたくさん案件を頂けるようになりました。

営業として、お客様のお役に立ったり、導入した商品やサービスが人々の手に渡っているのを見る瞬間は、本当に何にも代えがたいです。

そして、私はビジョンを描き、叶えていく人が増えれば増えるほど、良い社会ができると本気で思っています。
なので、色々な方とお会いさせて頂くことや、お話させていただく中で何かひとつでもプラスになるような影響を与えられる人間でありたいと考えています。

今後は、教育事業や出版もしたいと考えており、よりビジョンを広げて取り組んで世の中に貢献していけるよう日々全力で取り組んでいきます。

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