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リットーの笑みに至るまで

とりあえずこちら、先日流された理人チセシンメを見つめる陽汰のツイートを見てほしい。

愛か? 愛だったな。愛だった。

これを受けて理人担当チセファンAntholicわたし、いてもたってもいられず何か書きたいと思ってしまった。Twitterでもさんざっぱら騒ぎ倒したがまだ足りない。というより、この衝撃をもっと違う形で残したいのだ。
Twitterは衝動的な「奇声の録音」には向いているが、奇声の意味と意図を汲み取り正しい形式で編集した「記録」には向かない。私は記録もしたかった。理人とチセの決定的なこの瞬間を、それに狂わされたオタクがいることを、残しておきたかった。

そんなわけで、文章を書くしか能のないオタクの行き着く先はそう、ここ、noteである。noteは良い。このnoteのシンプルイズベストな、精緻に計算され尽くしたマージンあるデザイン。ここに文章が載ると、それだけでなんだかオシャレなエッセイに見えてくる。私の「オタクという罪」も少しは清められた気がするのだ。
……免罪符にnoteを使うなと怒られそう。
なのだが、まあ「オタクっぽくない」というニュアンスはわかってもらえるかと思う。オタクっぽくない、とは、狂信的な雰囲気がしないことだ。今回のような「冷静な(冷静を装った)記録」には最適だろう。

上記のようないきさつなので、この記事は基本的に「体裁を整えた奇声」「綺麗に見せかけた断末魔」になる。中身は結局オタクの悲鳴だ。
具体的に書きたいと思っているのはタイトル通りで「リットーなんで笑ってるの?」に至るまでの二人のこと。「リットーはどうしてぼくが嫌いなの?」から始まった二人が、笑みをこぼし、それを指摘するようになるまで。

結論としてはこのツイートの通りなのだが、この奇声をどうにか整えてnote記事として成立させたいと思っている。

最初期の二人のスタンス

少年たちの成長譚であるからこそ、初期と今では全員変化したところがあるのだが、この二人は特にそれが大きいと感じている。なのでまず初期のキャラクター性についてある程度まとめておく。

まずは理人。基本的な解釈については先日の個別記事を確認してほしい。他のキャラの記事と比べて字数が二倍になっているが、まあ伊東健人についてもアホみたいに喋ってしまったので……チセとの絡みについても書いてあるので、キャラ解釈部分だけなら1500字程度だと思う。なのでさくっと読めるはず。

上記記事を簡単にまとめると、最初期の理人は他者を愛する反面「愛に飢えている」、「しかし愛を否定している」。そして、「チセが嫌い」
この基本2点+対人面1点が初期の理人を構成する要素の抜き出しとしては割と的確なのではないかなとは思う。理人のテーマである愛に則っているし、これらすべてが後々ひっくり返るからだ。成長譚の作りとして、キャラクターの軸にあるものが真反対に変化するのは正しいのだろうし。
基本的に理人は目の前にあるものほぼすべてに愛着を抱くような人だったのだろうな、と思う。ガバいのだ。出会いの時点でAnthosを家族認定していたように。挨拶なしという雑な対応は、そんな自分の愛着を馬鹿げた発想だと笑った結果の否定だろう。
それと、上記の個別記事でも軽く触れているのだがこの理人の「思考」崇拝というか、人たるもの考える葦であるべきという理念じみたものというか……とにかく「考え続けることを是とする姿勢」は覚えておくべき性質のひとつであるとは思う。おそらく愛を否定するのも愚かでいたくない、思考し続ける人間でありたい、という理念故だ。

対するチセの方はやはり自己肯定感の低さとそのカバーの仕方が問題になってくる。
チセはとにかく「チトセが嫌い」だ。だから「チセ」になったくらいには、嫌いだった。
理人で合計3つの要素をピックアップしているのでチセも同数出してみようかと思ったのだがどうにも思いつかない。マジでチセ、「チトセ」の全否定で人格が成立している。

どうにかもう少し話せないかと考えてみたが「チトセが嫌い」以外に的確な表現が出来そうにない。強いて言えば、「チセ」になっても本当の意味で自信はないのかもしれない、とは感じた。今後一生「チトセ」の人格が表に出てこないとしても、初期のチセはまだ「チセ」を肯定しきれていたかは微妙だ。いやそりゃそうだな、「チセ」が生まれてすぐのことだしな。まだ自分が好きとか嫌いとか自信があるとかないとかそういうのわかんないよな。
それと、チセはシナスタジアという絶対的な正解が常に見えてしまうため、その正解への導出過程はまったく見えていない。そして導出過程の推測も人並み以下だと思われる。数学で言えば定理のカンニングは出来るが定理の証明が載っていない、ぐらいの状態だ。簡単な問題には対応できるだろうが、定理の根本を理解しているわけではないため応用問題で詰む。

そういったことをなんとなくで覚書きした呟きが残っていたので貼っておく。

ざっくりではあるが二人それぞれのキャラクター構成要素はこうだとして、対比を見てみる。
(灯堂彼方からある程度の情報を得ていたのも手伝って、だが)自信がある理人と、自信がないチセ
周囲に愛着を覚えるところまではおそらく一緒だが、その愛を否定する理人と、素直に表現するチセ
考える理人と、感じるチセ。
他者に愛されたかった理人と、自らを愛したかったチセ
こんなものだろうか。整理してみると、理人はきっちり自分には愛を向けていたが他者には向けられず、チセは他者には愛を向けられるものの自分には向けられなかった、とも表現できる。愛の矛先が真逆なのだ。そしてそんなお互いを理人は疎み、チセは羨望した。

2巻までの二人

2巻(Project Archive1-9)で「リットーはどうしてぼくが嫌いなの?」が出てくるので、ここまでの二人は理人の一方的な嫌悪をチセが避ける構図になる。今更見直してみて気になったのは以下の連投ツイート。

PA1-9ではチセ曰く理人はかなり初期からチセのことが嫌いだったようなので、もしかしてこの不参加はチセが自ら遠慮した結果かな、とも思えてくる。今のチセならもうちょっと理人にぐいぐい行くだろ。ポージングレクチャーなんて口実に過ぎないってレベルのべたべたっぷり見せてくる私にはわかる(ぐるぐる目)理人さんも口では鬱陶しいなんて言いながら笑ってるんだろ私にはわかるよ(ぐるぐる目)

ところでAnthosTwitterとProjectArchiveはきちんと連動していて、だいたい2019年3~5月が1巻、6~8月が2巻、9~11月が3巻、12月~2020年2月が4巻なのではないかと私は思っている。
これを踏まえて、CDでも印象的な出来事が起こった日をある程度特定できるのではないかと思うのだが、そうなると2巻(8月末日)までで気になるのはこちら。

開花……したんか……?
理人はときどきポエミーなツイートをするが、その中でも圧倒的にこれが写真付きで印象的だった。だから気になってはいたのだが、開花したからこそだと思えば納得は出来る気がする。
この日が(開花してすぐに医療棟に入ったり一日休養したりだったから数日後かもしれないが)開花日だった可能性は高い。上述の仮定に則るなら5月中旬はちょうど1巻ラストあたりに来る。
ちなみにリンドウ、基本的には秋口に咲く花ではあるが春に咲くものもあるようで(残念ながら植物は門外漢なので詳しくは語れないが)、5月にリンドウを咲かす、というのも納得はできる。

次に気になるものはこちら。

8月下旬、仮説通りならば2巻ラストあたり、理人は何かに挫折じみたものを覚えたようだ。もうわかると思う。2巻ラスト、PA1-9~10、「リットーはどうしてぼくが嫌いなの?」イベントである。

いつかのプレゼン企画で私は理人とチセについて「『リットーはどうしてぼくが嫌いなの?』から始まる地獄のシンメ」と書いた。
二人の始まりがここだ。この日だったのだ。……たぶん。
一応その匂わせのようなものはもうひとつあって、この眞紘のツイートが気にかかる。

時間としては上の理人のツイートの翌日。二人の始まりの場に居合わせた眞紘なりにいろいろと考えた結果のツイートだったのではないか、と深読みは出来る。

なんとなく時系列がわかってきたところで、本題だ。PA1-9のイベントについて振り返っておきたい。

問題の「リットーはどうしてぼくが嫌いなの?」が出てきたのは、理人の暴言に応える形だった。
レッスン終わり、スタジオから寮に戻る途中で陽汰がいないことに気づいて薫が離脱。凌駕、理人、チセ、眞紘の4人のみでシーンは進む。チセのわがままを聞いていられなくなった理人が「先に戻っている」「馬鹿に付き合ってられない」といったことを言い放ったところでチセが「馬鹿ってぼくのこと?」と聞き返す。その返事もなかなか強烈だったのだが、そこでチセは理人を罵り返すことはせず「リットーはどうしてぼくが嫌いなの?」と投げかけたのだ。

個人的にはチセ、ほんとよくここまで耐えたな、と思う。初期の理人は言葉選びがキツいためチセひとりをバカバカ言っていってもそう強い違和感はなかったのだが(2巻時点ではチセにのみアタリが強いというよりは、最初に優しくしてくれた弟チームには心を開いてきたのかなと思う程度)、チセはシナスタジアのこともあって理人の嫌悪感を肌で感じ取っていたのだろう。出会ったのが3月、そしてこのPA1-9が8月下旬ならば半年間、ずっとだ。お互い決定的な言葉にすることなく、けれど誤魔化しきれるものでもなく、見ないふりをして過ごしてきた。

チセが暴言に暴言で返さなかったのはひとえに性格、というところもありそうだがどちらかというと本当に「疑問で仕方なかったから」のようにも思う。
チセは、考えることが苦手だ。理人よりずっとずっと苦手だ。なんならAnthosいち、思考回路が単純だと思っている。シナスタジアがあるからだ。
二人のスタンスのところでも語っているがチセはとにかくシナスタジアのおかげで「正解」が見えてしまうため「どうして」の部分がわからないことが多い。理由を推測しきる前に色のことを言ってしまって奇異の目で見られたり、次の色が見えて余計に混乱したりしてきたのだろう。
それでも半年間チセなりに考えて、それでもわからなくて、本人に聞いた。

ここで二人の相性が最悪だな、と思うのが、理人が圧倒的に言語化に長けた「考える葦」であったことだ。チセと真反対。理人は、チセについての分析をおそらくもう終えていた。終えた上で、だいたいの正解に辿り着いていて、嫌いだと結論付けていた。そんな、理人がとっくの昔に片を付けていた嫌悪感をチセは今更掘り返して真正面からぶつけてしまったのだ。簡単に言ってしまえば、そんなこともわからないのかという事実かつ反発心が、嫌悪感に上乗せされた。80で済むはずだったダメージが100になってしまった。
理人の返事がえげつない声色をしていたことはもはや私たちAntholicにもわかる。それでいて、中身も的確で強烈だ。「外側ばかり着飾って」「見た目や名前を取り繕ったうわべだけの薄っぺらい人間性」と、おそらくあの時点で辿り着けるところまでの真実を、チセが最も痛がる言葉で表現してぶつけていた。直接ぶつけられたチセはたまったものじゃないだろう。

このあたりで出てきた「あんたは本気でアイドルになりたいと思ってない」「ちがう、ぼくはアイドルでいたい」という応酬もふたりの認識の違いが浮き彫りになっている。理人はまだアイドルでないと判断しているがチセはもうアイドルになれたと思っているのだ。価値観のすり合わせって大事だよな……ほんとな……
だが、おそらくこの会話がきっかけになってチセは理人に「真実を理解していない」ことに気づいたのではないかと思うのだ。理人は思考に長けた人間ではあるが、まだ判断材料が少なすぎて、チセのことをきちんと知らないのに嫌悪感だけが先行している。
「チトセ」ならできないことでも、「チセ」なら大丈夫。そういう不確かな自信もどこかにあったのだろう。きっと理人にも「チセ」は好かれるはず、そんなあいまいな自信と期待がもともとあって、「どうして僕が嫌いなの?」に繋がり、そこからのシナスタジアの発露も相まって「兄さんがいたんだ」という過去を明かす行為に繋がったように思う。

理人なりにチセの過去は衝撃的だったのだろう。考え抜いて嫌いだと結論付けていたがその時点で思考停止して、チセのバックグラウンドまでは辿り着けていなかったのだから。理人が顔の美醜について語ったのちぶつけられた「それは自分に自信がある人にしか言えない言葉」という評価が最もわかりやすいただろうか。この一言で理人は自分が驕っていたことと、チセに自信がないことに気づいた。
チセは、シナスタジアという才能を持ち、それに苦しみ、無理解な環境下で鬱屈し、華人形プロジェクトに手を伸ばさざるをえなかった。そんなことのために、と理人が呟いたとき、チセは「ぼくにとってはすごく大事なこと」と言葉を返した。

ここからトラック的にはPA1-10の話になるのだが、チセと別れて、凌駕と話しながら理人も考え直した。愛は人を愚かにし、憎しみは人を狂わせる。理人は愛に飢え、それでいて自らの愛を否定し、チセを憎んだ(もしかしたら根本的には父親への愛憎もあるかもしれない)。チセもまた自らを愛することが出来ず、他者の憎しみに晒され続けて耳と目を塞いでいた。
二人は、Anthosたちは、同じ地獄を歩いている。理人の言葉を借りれば、喜劇という名の。「俺たちは全員馬鹿だ」からだ。

理人がそうして内省し、チセを認めるまではトラック内で描写されているが、同じ夜にチセがどうしていたかは正確にはわからない。陽汰が「リットーに嫌われたって泣いてた」と言う程度だ。しかし、チセの行動を思えば「チセ」であっても理人に好かれるのは難しいと認めること、は大きな意味を持つのではないかと思う。
種を植えられて「チトセ」が消え去った、まっさらの状態ではまだ不可能なことがある。「チトセ」じゃないから愛されるなんて幻想で、「チセ」は「チセ」でまた努力を重ねていかなければいけない。それこそ理人に言われた「見た目や名前」を変えただけではアイドルになれない、アイドルで居続けられない。
チセのことなのでここまできちんと言語にしていたかは微妙なところだが、おそらくそうしたことは感じ取って、理人に嫌われたと自ら言葉にしたし、泣いて悲しんだのだろう。

翌朝のふたりは「チセ」と理人が初めて名前を呼び、また「おはよう」と初めてあいさつを寄越す。チセも一度面食らった様子で「おはよう?」ととぼけたがすぐに理解して、飛びついて、「おはよう、リットーだいすき」と(黄色のハートマーク付きで)(つけていい?)(オタク臭さ100倍になっちゃうからやめようね)返す。
あれだけツンケンしていた理人なので、おおよそ「あいさつ」だけでハードルは並みの高さではなかったはずだ。これ以上言葉を尽くすことは不可能だったろうし、正直これ以上の「言葉」は私も期待しない。けれど私はこのとき、理人が「あいさつの声色」にも何か意味を持たせていたら良いなあ、と思うのだ。チセにだけわかる、何か。
それが謝罪なのか、愛の表現だったのかはわからない。なんにせよ、それはきっと光の色をしていただろう。そしてチセがそれを感じ取って、その「あいさつ以外のメッセージ」への返事として「リットーだいすき」を選んで伝えたのならこれほど美しいことはない。

この「リットーはどうしてぼくが嫌いなの?」イベントは、理人とチセが同じだと気づくためのイベントだった。これを機に理人はチセに対して肯定的に考え直し、チセは「チセ」への妄信を反省する。二人の間にあるものを共感や信頼と言ってしまうよりは、一言に愛と表現してしまった方が今回に限ってはよっぽど適切だろう。理人のテーマでもあるし、チセを理解する上でも大切なキーワードだ。
二人はここから始まった。ここから愛が芽生えた。

3巻までの二人

3巻。3巻といえばPA1-12、チセの開花だ。9で芽生えた愛が12で完成するわけだが、トラック的には3つしかないってどういう……いったいどういう……?
トラック数だけで追うと「急展開」という感想が否めないので、Twitterを頼りに時間経過量を追ってみる。
まず2巻PA1-9「リットーはどうしてぼくが嫌いなの?」が先に貼ったの理人のツイートの日だとして、その日からの二人のツイートに注目してみた。

理人のツイートが8/25、このチセのツイートが8/27。「ぼく、いろいろちゃんと見えてるよ」は明らかにシナスタジアのことだ。なお2巻発売は10月なのでこの時点でAntholicはチセのシナスタジアを知らない。
……AnthosTwitter、芸が上手すぎる。
なおこの星の王子さまに繋がるツイートは七夕にさかのぼってチセ自身から語られている。

7月、このときは写真付きではなかったのに8月では絵本の写真付きだ。持っていなかった本をこの期間で手に入れたのか? ドラマトラックから得られる情報では3巻あたりでやっと自由外出が(開花メンバーに限って)許可され、希望品が支給されるようになるので、7~8月ならチセ自身が買い戻した可能性は低めだろう。チセなら本よりも真っ先に服を買うだろうし。どこかから借りてきた、特にAnthosメンバーが持っていたと考えるのが妥当だろう。
ところで時系列は飛ぶが少し前に理人がこんなツイートをした。

星の王子さまがある。

理人、まあポエミーなツイートが多いが、その分匂わせるのが上手い。もうあえて貼りはしないが、先日は誤爆を装ってチセにデレてきた。もう匂わせが上手いとかそういう次元ではない。公言しとるがな。

おそらく、理人なりにPA1-9のイベントのあとチセに謝罪やお詫びがしたかったのだろう。それでチセのツイートを思い出して本を貸してみたのではないか。
二人が公に語らない以上、二人だけの思い出にすべきことだろうしこれ以上は深く踏み込まないが。

このふたつについては和解から2、3週間後のことだとして見返してみれば、なんとなくチセの思いも理人の思いもわかるような気がしてくる。
ひとつめのツイートの方は2巻Boxedのモチーフとして多く登場した雨についてのヒントだった、と受け取れるのだが、それをチセという個人に当てはめて考えるなら理人に嫌われていた半年間を雨が降っている間に例えていると解釈できる。晴れたときの光は名前のことか、あのあいさつか。
あとこの誕生日のツイート。理人が愛に飢えた人だとは繰り返し書いているが、もしそれをチセが無自覚なり意識的になり理解していて、その上で「ハートいっぱい嬉しい??」などと書いたなら私は暴れる。嬉しいに決まってんだろ灯堂理人だぞその人は!!!!!!!!!愛が欲しいに決まってるだろ!!!!!!!!!!!!!!!

……理人担当の贔屓目だと言われないためにも落ち着いて書き直したい。

理人の「おはよう」への返事に、チセは「だいすき」を選んでいる。
この時点で、理人に向けられていた感情はもっともプラスのもので「尊敬」ぐらいで、理人の求めるものには届いていなかった。でもチセは真っ先に「だいすき」を返したのだ。理人の欲しいものを直感的に見抜いて、なんのてらいもなく与えた。誕生日にも理人の一番欲しがるものを与えていたと考えて問題ない。それが文字にすれば「ハート」だったのではないか、という、それだけの話だ。
それだけの話に崩れ落ちるのがオタクという生き物なのだけども。

たぶん、理人は2巻ラスト~誕生日あたりで完結している。理人が「種」を求めた理由――「病」はほとんど癒えた。「病」が「愛への渇望」ならば、の話ではあるが(理人は4巻発売時点で元モデルであることと父親の存在しかまともに判明していないのでどうにも推測しづらい)。
チセの方はいつ癒えたのか、についてはやはり開花シーンになるのだろう。
Twitterでそれらしいことはないかと探してみたのだがそれらしいのはこれだった。

だが、どうにも断定しきれない。チセ開花のとき、一番大変だった眞紘が次に呟いていて、しかも内容がこれだ。

チセの「大変だった」は「撮影が大変だった」ということだろうか? そう考えた方が良い……のだろうか。
が、仮説に則れば一応11月は3巻に収録されるあたりだし、PA1-15の眞紘の手料理についても11月中に言及されているため、時系列の推測として大きく外れているわけでもないだろう。

しかしマジでチセの開花が11/4ならば、眞紘と凌駕がギスギスし始めたのもハロウィンのあたり……? 薫と陽汰の号泣エピソードも11月? マ?
もうちょっと前かな、と9月ごろまで遡ってもみるが9月は基本的に2巻発売前でそのことしかツイートされないし、10月はハロウィンやAnthoZoo告知でTwitterに不穏な雰囲気はない。お化け屋敷のAnthos楽しそうだったね。
これ以上探ってみても仕方ない、としか思えないので、ツイートからの時系列整理はひとまず11/4にチセ開花、ということで結論付けておく。なおスイセンの開花時期は早いもので11月ごろからのようだ。

となれば和解から開花までまるまる二ヶ月は空いていることになる。人が感情を整理し、ツンがデレになるまで十分な期間だ。なるほどこれは理人もデレる。Twitterでもデレていた。

理人とチセのオタクはこのリプツリーを見てくれ。たぶん「わっかりにくいけどこれはデレ!」って思えるはず。

ところで、こちら本題のチセの開花イベントについて。
理人の「病」はもう癒えていて、チセも「病」が癒えたとするならそれは開花のタイミングだった、という前提で話を進める。

チセの「病」とは何か? 理人の「病」は「愛への渇望」とした。結局はスタンスの項目で語った基本的な要素のことだ。ならばチセの「病」は「自己肯定感の低さ」、特に「チトセ」の強い否定だ。
チセは「チトセ」を否定するためにアイドルになって、「チセ」になった。その病が癒えたとするなら開花のシーンしかない。理人が「チトセ」と呼んだのだから。

上にツイートを貼っているが、まあ理人のオタクから見れば「なるほどこういった痴話喧嘩をAntholicに見せつけてデレてんだな……」と思えるのだが、普通に見れば「これでデレ? ならもっとマシな方法でデレたら?」と突っ込まれるところである。
真面目に考察すれば、だが。理人はここまで愛されることを知らなかった。自分の内側にある愛についても否定していた。それが急激に満たされて、他者を愛してもいい、と思えるだけの出来事を目の前にして「けれど表現できない」という次の悩みに行き着くのは当然ではないかと思う。
その点、チセは愛の表現については大げさなほどだ。理屈の言語化はできないが、感情表現に長ける。抱き着く、「だいすき」と伝える。名前を呼ぶ。チセがしてきたことは、理人の悩みに対する解答だ。もちろん理人がチセそのままを真似ても戸惑うのだけど。戸惑うどころの話ではない。さすがにそんな理人は嫌だ。
でも理人はそれくらいわかっていなかったんだろうと思うのだ。好きな人に触れて、欲しがる言葉を与えて、名前を呼ぶ。これだけのことが理人にはわからなかったし、できなかった。もしくはある程度考え抜いていたにしても、ふんぎりだけはつかなかった。

チセはいつも、理人の欲しい言葉をくれる。開花の痛みに耐え抜いて、疲労いっぱいの中で、そばにいた理人を呼んだ。焦りからか混乱からか、天邪鬼が顔を出したのか、オプティミストだのなんだのとこんなときまでシニカルな物言いしかできない理人を掴まえて「リットー、おねがい、褒めてよ」と言い切った。それだけでいい、というニュアンスはおそらく理人も感じ取っている。
だから理人も一度黙って「よくやった、チトセ」と返した。

チセがこのとき意識して欲しがったのは、本当に「よくやった」の一言だけだったのではないかと思う。けれど「チトセ」と付け足された意味は、一瞬で汲み取ったはずだ。無意識にチセが欲していたものは「チトセ」を肯定することばだ。理人が与えたものだ。真に欲していたものを与えられて、チセは「すっごく嬉しい」と返している。

理人の性格を考えれば、和解してからチセについて分析し直したはずだ。聞いた過去をもとに、何を欲してアイドルになったのか、どうしてAnthosとしてここにいるのか、自分がどう関わっていくべきか、そのすべてを見直しただろう。ならば、だ。明確に「チトセ」と「チセ」を呼び分けていると考えていい。
チセ開花のシーンで理人が使った名前は「チトセ」だった。「チトセ」じゃないといけなかった。
理人の中で「チトセ」と「チセ」がそれぞれどんな意味を持つのかは作中で語られていないが(語られることもない気がするし)、チセの用法をそのまま正しく理解して使い分けているとしていいだろう。
理人が褒めたのは、チセが嫌っている「チトセ」のことだ。顔に傷があって、変なことばかり言う、いらない子。それが「チトセ」だ。けれど「チトセ」はそんな自分が嫌いで、自分を変えたくて、華人形プロジェクトに手を伸ばした。合格して、「チセ」になって、理人に出会って、理人の欲しいものをくれた。

自分を好きになるのは、とても難しいことだ。チセにはできなかったし、きっと方法さえわからなかったに違いない。「チセ」になっても「チトセ」のことは嫌いなままだった。そもそも「チセ」さえ好きでいられるなら「チトセ」なんて好きになるつもりもなかったのかもしれない。
けれど理人がまず「チトセ」を肯定してみせたことで、チセも「チトセ」を肯定できるようになった。自分を好きになるなど、好きになってもらえた、という成功体験ひとつあればよかったのだ。それが何より難しいのだけど。

理人の構成要素として「愛に飢えている」「しかし愛を否定している」「チセが嫌い」を抜き出して、これは2巻の時点で解決した。そして3巻ではチセの「チトセが嫌い」「根本的な自信がない」についてが解決した。
二人の「病」は癒えたのだ。
もうこの二人、完成していると見て良い。愛がそこにあるだけだ。

チセが「チトセ」を好きになれた証拠についてはPA1-14の陽汰とのシーンではっきりする。おまえ12で咲いたばかりだぞ……?
この陽汰とのシーン、本当にすごくて、チセが自ら「ぼくのこと嫌いになってもいいんだよ」と伝えている。花が咲かずに焦る陽汰に対して、花が咲いた側の人間としてチセがかける言葉が「嫌いになってもいい」だ。「本当に仲良くなりたいから」、嫌ってもいい、と。
自信のある人間にしか出ない言葉だ、と私は思う。これだけでも十分チセの成長がうかがえるが、このシナリオのすごいところはきちんと伏線が仕込まれていることだ。
上述しているが、チセは「リットーはどうしてぼくが嫌いなの?」イベントの夜、理人に嫌われたことで泣いている。この対比によって、チセが成長したことははっきりと示されることになる。

4巻からの二人

3巻で完成した二人なので、あとはもう理人とチセのデレを浴びせられる一方になる。とりあえずTwitterをさかのぼりつつ時系列を整理していく。

理人とチセを語るときはこのツイートを引用してこないといけない病なので許してください。考察メモのCYWの項目参照。

いやなんでこいつこんなTwitterでデレるん?
びっくりしちゃった……理人さん、おまえもしかして、言語化に長けすぎてツイッタラー適正高いのか? まあツイッターランドなんて活字ジャンキーがあふれる文字情報の回転寿司みたいなとこあるもんな……理人さんも呟きたくなるよな……

「一発芸、こんな灯堂理人は嫌だ! ツイッタラーの理人!」みたいなネタが脳内に出来上がったので放り投げておきます。

真面目にnote記事を書く……
4巻のことだが、Twitterと照らし合わせてみてもあまり決定的な情報は得られなかった。これかな、と思うのはこのツイート。

PA1-17ではみんなでアイスを食べている。ツイートが指しているのもこのときのことだと思っていいだろう。

ところでこのお出かけイベントの日に、Anthosが一般人に認知され、チセがシナスタジアで調子を崩す。そのときに理人がかけた言葉が「なにもこわくない」だ。「リットー、こわい」、そうチセのもらした言葉に応える形で理人が与えたのは安心だった。
この二人、基本的にお互いの欲しいものドストライクど真ん中をぶち抜いて与えられるのだが、この「こわい」という表現と、安心を与える意味での「こわくない」という返事、これが二人の欲しかったものだろう。
実はチセ、PA1-14(3巻)で、陽汰にもっと自分の気持ちをぶつけていい、「こわいこと全然ないから」、と語っている。もっと遡れば、理人はPA1-10で、凌駕に「じゃあ(チセのことが)こわいのか?」と指摘されて言い淀んだ。二人と「こわい」という感情は比較的近いところにあるのだろう。

他人を愛せるようになったって、自分を愛せるようになったって、この世は地獄だ。生きている限り、地獄だ。これはあくまで私の持論だが、Anthosにあてはめて考えてもそう間違ったことではないと思っている。
その地獄を共に歩く人間として、理人とチセはお互いを選んだ。
それがはっきりわかるシーンだったと思う。PA1-18「俺が部屋までついてってやるから」で崩れ落ちたオタクは私以外にもいると信じている。助けてくれ。理人とチセのターンはもう3巻で終わったんじゃないの……? なんで4巻でもこんな……こんなに……? どうしてェ……

そんなこんなで理人とチセの変遷を追ってきて、もう完成したなと思っていたところでぶち込まれたのがこれだ。

陽汰がTwitterに密告していなかったら一生私たちAntholicはこのやりとりを知らなかったのだと思えば理人担当チセファンぼくAntholicくん、一生陽汰に足を向けて寝れない。乗り換えはできないけど、カケモ……カケモしようかマジで悩む……

チセ、本当に「色」だけが見えていて、その過程の推測が出来ないんだなあと思う。
上述なのだが、「どうしてぼくが嫌いなの?」と聞いたときの理人の反応として「そんなこともわからないのかという事実かつ反発心が嫌悪感に上乗せされた」と書いた。チセは本当にどうして理人に嫌われるのかわかっていなかったし、それと同じように「なんで笑ってるの?」もわかっていなかった可能性はある。チセ自身もある程度わかっていて、理人の反応を楽しんでいる……とも解釈できるので、どの可能性が高いとは言い難いが。
とにかく、本当にチセが「理人の笑みの理由」についてわかっていなかった場合、理人の「はあ?」に込められた感情はおそらく「そんなこともわからないのかという事実かつ反発心」が何かに上乗せされている。

その「何か」は、ここまでで十分推測できる。だ。

「リットーなんで笑ってるの?」の色は

理人の笑みについて、本当に笑っていた可能性と、チセのシナスタジアで感じ取れた「色」のみで笑っていた可能性のふたつがある。
私は陽汰が「オレなんでここいんの?笑」とあっけらかんとツイートしていることから第三者にも理人の笑みは見えていたのではないか、と思ってはいるがシナスタジアでチセにだけ見えていたとするのもエモくていい。どちらにせよ確認手段がないので、真相は永遠に本人たちの中、だ。私たちAntholicには触れられない場所にある。

それでも想像することはできる。理人が本当に笑っていたにしろ、声色だけに込められた笑みにしろ、チセにはちゃんと見えていたのだ。理人の笑う色が。どんな色だろう。理人の声だから、やはり光の色だろうか。光が笑うとどんな色に変わるんだろう。

今思い出したことだが、チセが初めて自らシナスタジアについて語ったとき「味がすることもあるよ」と言っていた。

実際に作ってみたのだが、このタルゴナコーヒー、えげつなく、甘い。コーヒームースの部分がお湯1:粉末コーヒー1:砂糖1で一人分でそれぞれ大さじ1が基本量。コーヒーという苦味要素があるにしても、想像してほしい、牛乳一杯に砂糖大さじ1を入れているのだ。もともとそこそこ甘い飲み物に砂糖が大さじ1だ。15㏄だ。私は基本量で作ったが、AnthosTwitterを見ると結構ムース部分が多いので基本量をオーバーしている可能性はある(グラスの形が違う上に泡立ちの感じでも体積が変わってくるから一概には言えないが)。
とにかく、理人の作ったタルゴナコーヒー、まず間違いなく、甘い。めちゃくちゃに甘い。コーヒーの苦みなど吹き飛ぶ甘さだろう。

チセの視界はわからない。理人の声の色を、私たちAntholicが見ることは決してない。けれどチセが感じたかもしれない理人の声の味、これは想像がつく。
タルゴナコーヒー、是非作ってみてほしい。100均で売っているブレンダー/ミルクフォーマーを使えば数分で出来る。

おわりに

理人とチセに狂ったオタクとして、一度二人のことは掘り下げておきたいと思っていたので、こうして書けて良かった。きっかけをくれた問題のツイートには本当に感謝したい。「リットーはどうしてぼくが嫌いなの?」「よくやった、チトセ」「なにもこわくない」に次ぐ爆弾だった。

理人とチセが好きだ。理人が本当に好きだし、チセには常に狂わされている。
私が二人のためにできることなど直接的には何もないが、二人がこの地獄をせめて幸せに歩いていけるようには祈ろう。
そして私のように狂わされたオタクがこの記事を見つけてくれて、私を救ってくれるようにも祈る。助けてくれ。二人のことを私は一人では見つめていられない。

5巻「For...」で、さらなるチセのわがままという愛情表現と、理人の優しさが見れますように。

またアホみたいに書いてしまった。

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