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ワーホリ失敗表明

日本から遠い異国の地での新生活に胸をときめかせ、不安も入り混じりつつ意気揚々とNZへ向かった2024年3月。
2025年を迎え、残り2ヶ月で終わろうとしている。

私のワーホリはどうだっただろうか。
過去の記事と重複するところもあるだろうけど、久々の更新でもあるし、このタイミングで振り返ってみようと思う。

私のニュージーランド生活6ヶ月の記録。中間報告。

きっかけ

友人からワーホリの話を持ちかけられ、
偶然出会った同じ業界の人からニュージーランドの話を聞き、
元ラガーマンの父からずっとニュージーランドの話を聞いていたことが相まって決意。
こう言う、なんか重なることってありますよね。
はじめは首都ウェリントンへ行く予定だったものの、とても悩んだ挙句南島へ行くことに。

約7年勤めた会社を退職していくという、私にとって大きな決断。出発の1年前にビザを申請し、少しでもお金を貯めようとギリギリまで勤務し、いざNZへ。

はじめの一歩

はじめての南半球。
それだけで胸がときめく。
今まで何度も見ているはずの飛行機からの風景もなんだか新鮮に見えて、凄く神秘的に思えた。

飛行機の中から

まずは直行便でオークランド。
幾度となくYoutubeで観てきたマオリゲート。

マオリゲート

マオリの音楽も流れていて、まだ外に出てもいないのにとてもNZらしさを感じた。やっときた。

乗り継ぎへ向かう途中、無事免税でSIMを購入。
散々ネットで、乗り継ぎは混雑で遅れる可能性があるから3時間は必須!と見ていたものの、スルスルなんの問題もなし。
荷物を一旦受け取り、国内線で改めて預ける時。ちょうど受付が開く頃でまさかの一番乗り。行き先だけ伝えたら航空券の確認もせずに受付完了。
多少の不安はあったものの、口頭で行き先は確認していたのでまあなんとかなるか、と先へ進む。

国際線から国内線へは無料のシャトルバスか徒歩。
時間が有り余っていたので15分程掛けて徒歩で行くことに。
Youtubeで観ていた通り、地面には国内線乗り場へと緑の線が続いていた。

国内線乗り場へ

辿っていくとすんなり到着。手前にも奥にも乗り場があって、はじめての空港は勝手がわからずアタフタ。とりあえず奥まで行って係の人に便を伝えて、乗り場を確認して待機。時間がありすぎてもう爆睡。なんとか起きることができ、軽く航空券の確認をされ、プロペラ機に搭乗。

ついに新生活の地、ネルソンに一歩足を踏み入れた。

新生活

はじめ3ヶ月は語学学校へ行くことにした。
多くの人はまずホームステイをして、そこからフラットと言われるシェアハウスみたいなところへ移っていく。しかし私は過去のトラウマからホームステイはもうしないと決めていたため、1週間だけアコモデーションを予約しその中で家を探すことに。
案の定学校へ行ってみるとホームステイの人ばかり。けど有難いことにフラットの掲示板がありそこから探すことができた。
運良く数日で内見を経て良いオーナーと出会うことができ、そこから約半年そこでお世話になった。

1週間滞在したアコモデーションは、いかにもNZらしいバックパッカーズで深夜まで賑やかだった。私の性格上、馴染むことはできなかったのが心残りだが緑に囲まれた素敵な宿だった。

学校生活

はじめて英会話スクールへ行ったのは確か、、3歳の頃。
幼稚園の頃通っていた記憶は今でもしっかりあるし、家で親から与えてもらったワールドファミリーで遊んでいたことも凄く覚えている。

とても長い間英語に触れてきているにも関わらず、学校初日のクラス分けテスト。
エレメンタリー(初級)
なんてこった。。

来る前に受験したTOEICが少し点数上がっていたこともあり、正直落ち込んだ。
この3ヶ月で頑張ろう。そうするしかない。

そこから最終的に、プレインターメディエイトを経て
インターメディエイト(中級)で卒業。

時期や学校内のレベルバランスでも結構変わってくるらしいが、直接校長先生が一人一人の希望や相談に親身になって聞いてくれて最後までモチベーションを保つことができた。
また、そこで出会った友達はみんな最高で、まさかこの歳になってこんなにたくさんの出会いがあるなんて思っていなかったし、全く自然に興味がなかった私がこの自然豊かなNZ・南島で初キャンプなんてキメちゃって。
とても濃く、充実した日々を送れたことに感謝しかない。

何事も始めるのに遅いことはない。
よく耳にするこの言葉を体感した日々だった。

ワーキングのこと

後先何も考えず、今を楽しもうと脳天気に久々の学生生活を満喫していたわたし。約3ヶ月の学校生活を終えて、卒業したのは6月末。
周りの友人たちがその間に卒業したり、仕事を始めたり、街を移動して行ったり、様々な様子を見聞きした。
中には仕事が決まらずに帰国を余儀なくされた子たちもいた。

私も卒業後は働かないとな、けどその前に旅行に行こう。なんてCVは早めに作っていたものの、呑気に旅行に行ったりなんかしちゃって。
いざ仕事探しを始めると、NZは完全に冬。
求人が全くないのだ。

街がとても静かで、話を聞いてくれたオーナーも
冬はまるでゴーストタウンよね。と
私が来た頃はまだ半袖を着ている人もいるくらいには暖かくて、日も長かった。それが2週間ほどで一気に寒くなり、日も短くなり。
確かに外に出ている人の数も来た時より減ってはいたが、既に減っている途中だったからかAHA体験並みに気付かぬまま減っていた。

勿論お客がいなけりゃ、働き手も必要がない。
現地のKiwiもCV片手に彷徨っているのを見かけたこともある。
現地民でさえ仕事がないのだ。
そりゃ、短期で尚且つ言葉もままならない外国人なんて選ばれるはずもない。

何枚のCVを渡しただろうか。送っただろうか。

ビザの期限が残り半年を切ると一気に採用率が下がる話は聞いていた。しかし、街と住まいを気に入りすぎてほんの少しの希望が見える度に、あと1週間待ってみよう。が続いた。

そして気付けばビザは残り半年になっていた…

やっとの心機一転

毎日やることを探して1日が終わる。
車でも買っていれば行動範囲が広がったかもしれないが、車もなく散歩をし続けていた。
そんなある時、このままではいけない。と
突如あんなに重かった腰を上げて1週間ほどで次の街への準備をした。

街を動くなら今よりも仕事がある場所へ。
北島ではなく南島には居続けたい。
けどネルソンより大きい街でなくてはならない。
南島で、今より大きい街。
それを条件に街探し。

結果、YoutubeでNZ関連の動画を観まくり
風景と直感的な、行ってみたい。住んでみたい。
それだけで決めた

ダニーデン。


引越し

まだワーホリは半年続くわけで。
なかなか捨てられるものがなく、思いつきでレンタカーでの移動を決意。
と言っても、ネルソンからダニーデンは結構な距離がある。
そこで数日掛けて一人旅をしつつ南下することに。
幸いダニーデンでの住まいは引越し前に決めることができ、内見はできなかったもの沢山の質問に全て丁寧に答えてくれたところにした。

新居への入居日に合わせて旅程を組み、レンタカーや宿も予約。家族に伝えると、元々来たがっていた上に心配した母が急遽来ることに。
一人旅の予定が、二人旅となった。

波乱の旅の序章

引越し予定日、その1週間前から天気予報では大荒れ。
注意報も出ていたりして、祝日が被っていたこともありいくつか予定されていたイベントなども延期や中止に。
そんな中、母がやってくる。
もう日をズラせない状況になっていた。

母が日本を発つため予定通り空港へ。
その時点で既に遅延となり、オークランドからの国内線も変更されていた。とても悪い予感がする。

案の定、オークランドへ着くとまた国内線変更。
変更された便でウェリントンへ。
そして、ウェリントンで再度変更。
ネルソン行きはもう今日はない、と。
1本前までは飛んでいたのに母の便からまさかの欠航。
新たな便を見てみると、翌日再びオークランドへ戻りそこからネルソンへ。当初の予定より1日以上の遅延となっていた。
ネルソンを発つ時間をズラすことにした。

英語ができない母の救世主;ポケトーク
大活躍だった。
買って1度も使っていなかった祖母から借りてきたとのことだったが、まさかこんなに活躍するとは。。
運良く航空会社からタクシーとホテル、夕食、朝食のチケットを貰うことができ、同じ状況だった親切なKiwi紳士が助けてくれたんだそう。

そんなこんなで、私は遠隔で新たな作戦を練ることに。
翌日の夕方に到着予定だと遅すぎる。
それに、またオークランドへ行って便変更となったらもう永遠に辿り着かない。なので、翌日早めに空港へ行って直行便に変えてもらう作戦に。
私が送った英文とポケトークで、翌日母がチャレンジ。
なんとかウェリントンからの直行便のチケットを獲得!
数時間だが、早く到着することに成功した。

遂にはじまる波乱の旅

無事、母との再会を果たし一旦私のフラットへ。
本当だったら私がとても気に入ったネルソンの綺麗な海や、街並みなんかを見て欲しかったが天気も悪く、これまでの疲労でそれどころではなかった。

フラットのオーナーに挨拶をし、やっと出発。
雨も思ったよりは降っていなかったため安心…
していたのも束の間

急に凄い量の雨が降ってきて、
レンタカー水没、、、
レッカーされた。笑

レッカーされてゆく…

この旅のことはまた改めて纏めようと思っていますが、
川が氾濫して、私たち含む約5台の車がレッカーされ
ブレナムで足止めを食うことに。

しかし、この件でたくさんの優しいKiwiたちに助けられ、
改めてこの国が好きになった。

レッカー待ち仲間がくれたパイ。この味と温かさ、忘れない…!

母とこの旅を振り返った時、
下手したら死んでたよね。って
確かに死んでいたかもしれない。
そう思うと運が良かったし、凄い体験ができた。
私としては、なにより両親が
母も、日本で話だけ聞かされた父もいい経験できたね!って
こういう考えの人たちで本当に良かったと思った。

ブレナムのモーテルのご夫婦が本当に親切で
新しいレンタカーも手配してくれて
1日遅れで再出発。

モーテルにてNZお決まりの牛乳と可哀想にとチョコをくれた

正直ここまで事故の手続きや宿泊予定だった宿への連絡など
私の拙い英語で本当に大変だった。
けどモーテルのお母さんが助けてくれたり、電話口の人が親切な人が多くなんとか理解してくれて感謝しかない。

ここからが旅の本番

再出発をしてから、行きたいところへ寄りつつ
少し予定を変更した結果、なんとか元の旅程に追いつくことができた。

今回のこの旅は
ネルソン→クライストチャーチ→テカポ→ダニーデン
入居や諸々の予定を終わらせて
ダニーデン→クイーンズタウン→ロトルア

テカポではちょうど行く前に大雪が降り、溶けて
到着したその夜から素敵な星空を見ることができた。
翌日も雪山を背景にテカポを眺め、夜の星空ツアーにも参加することができて大満足。

再出発後は、天気は全体的に曇っていたものの今までの波乱を払拭するかのような経験ができて思い出に強く残る良い旅となった。

南海のエジンバラ

オークランド空港で母と再びさようなら
新拠点、ダニーデンへ

南島でクライストチャーチに次ぐ大きな街。
オタゴ大学があることで、学生の街として知られている
また、ギネス級の坂があり、尚且つ多い。
動画で私を魅了したスコテッシュ調の街並みが本当に素敵で
違う国に来たのか、と錯覚するくらい新鮮だった。

坂が多いため、新居も当然の如く坂の上
部屋からの景色が最高。

街並みからもわかるように、スコットランドの人々が気候が似ているという理由から昔住み着いてできた街だとか。
イベントやバグパイプの演奏など、ところどころスコットランド文化を垣間見ることができる。
スコットランド以外で最もスコットランドらしい街、とのこと。

街の中心、オクタゴンにて

一つの国でここまで街によって違うのかと、
これもまた私にとって魅力に感じた。

続・ワーキング

存分にホリデーを満喫してきたのでそろそろワーキングをしなくては。

引き続き事故の手続きで、レンタカー会社と保険会社とやり取りをしつつ…新たな地での求人を探し。
実は、ネルソンにいる時から応募はしていて返事が来たものもあったが条件が合わず。引っ越してからは既に求人が2025となってきている。
やっと夏だと思えば、翌年の求人となりビザが半年を切った超短期の英語が拙い外国人なんて需要がない。
何通か丁寧にお祈りメールも頂き、全く引っかからない。

そもそも、飲食で働こうにも
日本での接客経験もない
飲食経験もない
バリスタのスキルもない。

飲食以外で探しても
接客経験に加え英語力も足りない。
厳しい現実を突きつけられた。

周りの職を得た友人を見ると、ビザがほぼ残っている時点で職探しをしていたり、バリスタ経験があったり、観光業が栄えているところへ行っていたり。タイミングも重要。
私はこれらを全て逃し、判断を誤っていたのだ。

ということで、ここに
ワーキングホリデー失敗
を表明しようとおもう。


表明を経て

失敗と言っても、、
仕事以外に関してはプラスなことばかりだったように思う。
思い切って来て良かったし、この歳になってこんなにも新しい発見があるのかと驚きの連続だった。なんの後悔もない。
失敗といいながら完全に自己満でしかないが、
自己評価としては二重丸くらいは付けてあげたい◎

思っていたよりも同年代との出会いが多く、
みんな様々な思いや目的を持って来ていて
そんな彼らと会話するのは本当に楽しかった。

ましてやオークランドやウェリントン、クライストチャーチではなく南島・ネルソンを選んで来て出会った人々。
国も街も、学校もタイミングも
沢山の選択肢がある中でそれらが合致して出会うなんて凄いことだと思う。

様々な国の人と出会い、様々な文化に触れ
会話する度に、もっと英語が話せたら…と悔しい気持ちになる。

英語は目的ではなく、あくまでもツールだ。
そう言っている人がいて
英語学習を義務だと思うと一気にやる気が削がれる私にとって
それはおまじないのように、モチベーションを保つためのキーワードとなっていた。そして友人が増えれば増えるほどそれを唱える回数が増えていた。

英語はやっぱり好き。
習得したい。
仕事をしていく中で忘れていた興味を持ち始めた頃のような初心を久々に実感して強く思えるようになっていた。

気分や状況が思い通りにいかずに気持ちが下がっていくとどこまでも深く悩んでしまうが、ある一定のラインを超えると急にどうでもよくなる。というか吹っ切れるというか…覚醒?こういうのをなんていうのだろうか。
ワーキングビザでもう2年くらい居たい、なんていう淡い期待がとっくに絶たれ、ワーホリで貯金しようなんてのも夢のまま叶いそうにない。

そこで、ワーキング失敗表明をして完全に割り切った上でホリデーに全振りすることにした。

まあ、なんだかんだ日本へ帰国してからのことも頭の片隅には入れつつ…
残り少ないワーホリ生活の目標としては、
NZ中を巡って、素敵な自然、癒しの動物、美味しい食やお酒
NZならではを余すことなく自身に焼き付けて帰国すること。

なので
旅の計画、はじめました。

行きたいところがたくさん。
幸い友人が何人か来てくれることもあり、一人旅だけではないため旅程を上手く組んで車でしか行けないところなども周りたい。

自分を変えたい。
そんなことも思いながらやってきて、正直少しでも変わったかどうかわからないし、そう簡単には変わらないよな、と。
日本に帰ってから胸を張って言ええるようなことを得られているのかもまだわからない。それに英語力もまだ全然足りない。
けど、少なくとも約10年前にアメリカへ行った時とは全く違う。そういった意味では既にリベンジは成功している。

人生で最初で最後のワーホリというこの体験。
終わりよければ全て良し。

日本に帰国した時に、最高だった。
思わずそう口にしてしまうほどのものにしたい。